Vol.20

2014-06-23
ポストゼロ年代演劇と東日本大震災

ポストゼロ年代演劇と東日本大震災

 国際演劇評論家協会日本センター(AICT)の関西支部の演劇批評誌「act」のリニューアルにあたり、今回以降ビビッドな題材を取り上げてインタビューないし座談会を掲載することにしました。今回はその第1回として「ポストゼロ年代演劇と東日本大震災」を総合テーマに関西で今もっとも旬だと私が考えている3人の若手アーティスト(きたまり、杉原邦生、山崎彬)に集まってもらうことにしました。

 中西理(以下中西) 2010年前後にそれまでここ十数年、日本の現代演劇をけん引してきた平田オリザの現代口語演劇の流れとは明らかに違うスペクタクルで祝祭的な演劇を特徴とする若手演劇作家が相次ぎ登場しました。ままごとの柴幸男、柿喰う客の中屋敷法仁、快快らがそうなのですが、これをポストゼロ年代演劇と呼び、現代演劇における新たな潮流として注目していました。

 3月11日に東日本大震災が起こって、ポストゼロ年代の演劇がどのように変わるのかに今もっとも興味を持っています。作品のあり方にどういう形にせよ影響が出ざるをえないと思うからです。例えば阪神大震災の時はちょうどその年(1995年)に鴻上尚史と平田オリザが岸田戯曲賞を同時受賞しているのですが、鴻上に代表されるそれまで主流だったポストモダン的なものが急速に後退していき、平田オリザに代表される現代口語演劇が台頭してくる。その大きなきっかけが震災とオウム事件だったように思うからです。

 山崎彬(以下山崎) 関西にいましたからテレビとかでしか分からないし、あれ以降東京へも行ってないので、話とかを東京の演劇の友人から聞いたぐらいしか正直分からないです。前回の公演作品を書き始めたのも震災の後からでしたが、大きな影響があったかというとそれに対してはあまりなかった。でも確かにあの直後は気分は落ち込みました。でも関西では東京などであったらしい「この時期に公演やってどうなのか」という声もとどかなかった。まだ、自分としてはようやく今じわじわと実感してきたぐらいなんです。  

 中西 チャリティーイベントとかに参加したことは?

 山崎 余っているTシャツとかを提供したぐらいでイベントにっていうのはありませんでした。

 きたまり(以下きた) 難しいんですよ。ダンスとかは現地に行ってワークショップをはじめてるじゃないですか。それの募集もあったりして。だけど、中途半端になにかやるのはよくない気がして、募集が来ても「そこには登録できないな」と思ってしまう。中途半端に元気づけようとワークショップしてもしょうがないじゃないですか。どういうスタンスで私はなにをできるんだろうと考えています。  

 中西 きたまりさんもこの間公演(KIKIKIKIKIKI「ボク」)を行ったけどどうでしたか?

 きた 本当に難しいんですよ。地震の日以降、地震があった時に私たちが一番最初に思い出すのは阪神大震災の時のことなんです。地震あった直後、私やたら人と阪神の話をしゃべったんですよ。やはり、ああいう光景があったから。そして、そこからどうにかして今回の地震とつながりをつけようとしたんですよね。ただ、やはり当事者じゃないとこの問題は絶対に分からない。揺れを体験してるかしてないかで全然違うし、それは体感だから揺れただけであのことを思い出すんです。そういう体験をしてるかしてないかで全然違うし、身内が亡くなっているか、いないか。知ってる人に被災者がいたかどうかで全然違う。私は今回の地震はそういう意味ではなにもいえないと思っているんです。本当になにもなかったですから。

 ただ、私はちょっと暗い作品は作れないなと今回思いました。この前ダンスボックス*2でチャリティーとかもあったけれどあそこもなにをしようかとすごい悩んだんですよ。7分の中でチャリティーで収益全部を被災地に持っていくのでなにかしてくださいと言われた時になにをしたらいいのかを。
    

 その時に暗いことだけはできないなと思った。それで今回もすごくそれはあったかもしれないです。次の作品もまず暗いことはできないですよね。なにかこうどうせみな死ぬんだけど、なにをしていても、それでも生きているということをちゃんと確かめるようなことをしたい。舞台を作るうえでそれしかできないなって。だから無理やり私が今回の地震について発言しようとしたらいけないと思う
。重みが違う。でも、杉本君は実際に揺れを体験したじゃない……。

 杉原邦生(以下杉原) そう、神奈川県の実家にいてシャワーを浴びてたんです。本当は僕は仕事で名古屋に行く予定だったんですけど、その日には行けなくなってしまいました。実家が海から500mしか離れていないから、避難も経験しました。ただその後は次の日に名古屋に行ってすぐに京都に帰ってきてしまったから、計画停電がはじまったとか、原発がやばいとかっていうときは実際にはあっちにはいませんでした。

 3月末ぐらいに実家に再び帰ったんですが、帰るまで不安でしょうがなかった。向こうはどうなってるんだろうかということに対して京都では全然実感がなかったからです。帰って逆に友達に会ったり、家族に会ったりして安心して、そこでやっと俺は落ち着いたような感じがあった。僕の身内とかには亡くなった人はいなかったですけど、皆あっちだからコンビニにものがないとか、停電がどうとかいろいろあって、で、京都に帰った時に京都は(地震の影響が)なにもないなあと。そういう感じがあった。別にそれが悪いということじゃないです。僕も阪神大震災が起こった時にやはり遠くの出来事だったし、海外の大きな地震やあるいは9・11が起こった時も遠い出来事に感じた。

 それによってなにかを感じてはいるけど、遠くで起こっている出来事でしかない。それはそれで全然いい。というかそれがむしろまっとう。素直な意見だと思う。でも、僕は東京にも行ってるから、こちらだけにいた人とは少し感じが違うかもしれない。3月の末に帰った時に舞台を見に行ったんですけど、その時もみんなこの公演をなぜやるかということをたまたまNODA・MAPで野田秀樹さんがカーテンコールでしゃべったり、平田オリザさんの公演ではオリザさんが前説をしたり、1枚の紙で説明が入っていたりということが実際にあった。それをやっていない劇団は逆に見てると怖いなというのがあって、やってくれるとどういうつもりでやっているのかが、こっちに伝わってなんとなく安心できた。だから、僕はその時たまたま公演がなかったんだけれどそういう状況を体験したなかで自分はなにをやれるかというのは考えた。何をやるかを考えた時にそれを自分でどう出すかを考えて作品を作っても仕方ないので、そういう中で自分がやりたいことをどうやってやっていくかを考えた時にシンプルに考えてやるしかないなと思っている。先ほど(きたまりが)暗い作品作れないと言っていたけど、僕はなにかさっきの話じゃないけれど、演劇界全体がどういう方向に進んでいくのかは分からないし、どうでもいいんです。ただ、僕はそこにいままでやってきたことも含めて祝祭性のようなものに回帰していくんじゃないかと自分で個人的には思っています。

 震災が起きた後に観客だったから、社会なりお客さんが何をあなたたちはするのというのを見られたりしている気がした。というか僕がそういう風に見てしまったから、自分ならどうやるかと考えた時にそこを一番感じた。

 中西 それは確かにあるかもしれない。今回すごく感じたのは別に作品のテーマが震災と関係なくても見る際にどうしても無意識に関連づけてみてしまうことでした。ところで、杉原さんは「GroundP」の企画で東京の劇団を呼ぶから彼らとも話したりすると思うのですが。

 杉原 会った奴らとはかならずその話になる。ただ、呼ぶ際には電話だったり、メールだったりするので、あまりそういう話はしてないんです。 

 中西 いきなり震災の話から入ったので相前後するようだけど次に3人の関係を聞きたいと思います。杉原さんときたまりさんはどちらも京都造形芸術大学でしたよね。お互いのことはいつから知ってました?

 杉原 僕は大学に入った時は(その前には)なにもやっていなかったから、別にきたまりがその前に何やっていたかとかまったく知らないし、新入生として知ってただけだった。

 中西 お互いの舞台を見たことは?

 きた 私、相当見てないんだよね。

 杉原 俺はたぶん一番最初にやった「女の子と男の子」から見ていると思う。

 きた 私何から見たんだったったかなあ。春秋座は見た。

 杉原 あれ、俺たぶん初演出だよ。

 中西 山崎さんは立命館大学の学生劇団、西一風の出身。西一風出身者は京都の若手演劇人に多くて、ある意味京都造形大学と2大勢力みたいになっています。山崎さんときたまりはこの京都芸術センターできたまりが企画したトークセッションが最初だったんですよね。

 山崎 その時点では見てはなかったけれど名前は知っていましたKIKIKIKIKIのことも。ウェブのインタビューとかも読んでいたし。会うとよくしゃべる楽しい人だなと思いました。

 中西 でもその後は劇団の公演に客演してもらったり、ひとり芝居の演出をしたり、この前は逆に山崎さんがきたまりの舞台に出演したりと深い関係でしたよね。

 山崎 深い関係ね(笑い)。ずっと一緒だった1年間がやっと終りましたね。

 きた もうしばらく会うことはありませんねという感じですが。

 山崎 僕も(きたまりの)作品は見てないのですが、基本的には表現がどうのというよりは話していて面白い人とやりたいと思っているたちなので、話しましょうよという打ち合わせの時に僕もきたまりさんを呼ぼうと考えていたんですよという話をしたんです。

 中西 それで2回ほど演出したんですよね。

 山崎 僕の悪い芝居の公演とKIKIKIKIKIKIの委託公演(ごまのはえ作)の2度。

 中西 演出して見てどうでしたか? 本人の前ですが(笑い)

 山崎 いや、素敵な人でした(一同笑い)。

 杉原 本当に? 

 きた 結構いいよ、私使うと結構いいよ。

 杉原 従順なの?

 きた 従順かどうかは分からないけれど。

 山崎 従順じゃあないなあ。外部の人を呼んだという感覚でもないし、ダンスの人を呼んだという感覚でもないですが、でも面白いですね、基本的には普通の役者さんよりも自分でカンパニーを持っている人と一緒にやるというのは。楽しかったです。

 中西 きたまりと杉原さんは木ノ下歌舞伎*3で競作してますよね。

 杉原(きた) そうだ。(そうです)

 中西 その時は杉原さんが美術でしたっけ?

 杉原 そうです。俺が美術をやりました。

 きた わはははは。

 中西 その時は美術だけだったのでそんなにはかかわってないのですよね。

 きた 稽古に何回か来て、恐ろしい美術を出してきて、こんなんじゃ踊れるか、という。

 山崎 めちゃ苦い顔してましたもんねえ。この話題が出た時。何があったのか? 

 杉原 基本、バトってました。

 中西 あの時はきたまりを招こうというのは木ノ下裕一だったんですね。

 杉原 木ノ下歌舞伎は企画が僕と木ノ下君の2人でやっているのですが、木ノ下君が「きたまりで踊りがやりたい」と言って、さらに「2本立てでやりたい、美術は同じ人がいい」ということで僕がきたまりの美術もやることになった。全体の監修も木ノ下君がやっていたので、自分のをどうしようというのに専念していてあまりお互いの作品がどうこうというのはなかった。

 中西 山崎さんと杉原さんはこれまであまり接点がなかったと聞いたのですが、今度初めて杉原さんの企画に山崎さんの劇団(悪い芝居)が参加することになった。

 杉原・山崎 本当になかったです。

 杉原 話したりするぐらい。

 山崎 情報誌「Lマガジン」が以前やった対談で話したぐらいかな。

 杉原 でも舞台は2006年に初めて見たから、けっこう以前から見てます。最初に見たのはアトリエ劇研でやった「岩乙女!」だったかな。

 山崎 その時は顔を合わせてはいないのだけれど、その後は同世代で同じ京都でやってるということでは意識もあって、顔を合わせれば挨拶する仲ではあった。

 中西 今回の企画では東京勢を中心にしたラインアップのなかでただ1つ地元勢として悪い芝居を選んだわけですが。

 杉原 最初は今年は東京勢だけでやるかという風にも思ったんだけれど、やはり地元が全然ないのはなあとも思った。それでどこにしようかという時には一番最初に思いついたのはそれじゃ悪い芝居にお願いしようということでした。

*1:「団欒シューハリー」

*2:アートシアターdB神戸

*3:「道成寺/三番叟」

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2014-06-23
『ぼく』は舞台のプロレスだ|KIKIKIKIKIKI『ぼく』

KIKIKIKIKIKI『ぼく』(6月11日、12日@アイホール)

撮影:阿部綾子

撮影:阿部綾子

 KIKIKIKIKIKI「ぼく」は白い正方形のリングのような舞台を客席が4方に囲む舞台設定。ここに7人の男たちが入れ替わり立ち代わり登場して、それぞれが個人技を繰り広げる遊び場、あるいは闘技場のような空間設定を演出・振付を手掛けるきたまりは用意した。

 途中でセリフに呼応した動き(振付)を設定した場面もあるが、最初の「あいさつ」からはじまって、「自己紹介」「子供の時になりたかったもの」など登場する役者たちは誰かの役を演じるというのではなく、「ぼく=自分」のままで舞台に上がり、自分の言葉を発していく。

 注目すべきことは出演者はいずれも俳優、ダンサーであり、そのうち何人かは自ら集団を率いたり、作・演出、振付も担当するなど舞台に対する計算ができることだ。これで一見自分として舞台に上がり「素」の自分を出すようなドキュメンタリー演劇の体裁は装っていても実態はまったく違うものになる。

 出演者は皆「ぼく」として登場し、自分のことを話すが、そこには明らかに自分をどのように演出して演技しようかという計算が感じられる。しかもそれぞれ別々の劇団(カンパニー、個人も)から選ばれた7人だけにそこには対抗意識もあり、それゆえそこでは演技というフィールドを通じてのバトルが展開され、その「場」におけるそれぞれの個人技が最大の見せ場なのである。

 ダンスではヒップホップ(ストリート系)のダンスにおけるバトルなどがその代表的な例だが、コンテンポラリーダンスでも複数のダンサーが即興で次々と登場して、魅力を争うような形式の公演は珍しくないが、演劇においてはその手の即興というのは珍しい。それはダンスの動きや楽器の演奏ほどセリフの演技には自由度がないからだ。

 「ぼく」が面白いのは即興的な要素を含むといっても完全に何でもやっていいというわけではなくて、それがバトルになりえるようなルールがおそらく場面ごとに設定されているところだ。冒頭の「あいさつ」の場面でいえばそれぞれが四方の客席に向けて、お辞儀をしてまわるという約束事があり、その仕方はおそらく稽古場で出してきたもののなかで、演出家によって選ばれた(あるいは本人が選んだ)ものを順番にやっていくということをした後、次の「自己紹介」で自分が「何年生まれでどこの出身である」などということを述べていくのだが、2日間の公演を続けて見たところ、ここは最初の場面よりは裁量に任された部分が多いようで、大体の内容や順番は決まっていても登場の順は交代するし、話す内容もセリフのように同じではない。

 ここにそれぞれの役者の駆け引きが成立するわけで、何度も繰り返されるなかで自ずとそれぞれの得意、不得意によって役割分担が決まってくる半面、それをあえて破るようなしかけを誰がどこで繰り出すかのか、それぞれの個性とともに虚々実々の駆け引きが面白い。これはやはり舞台版プロレスなのだと思った。

中西 理(なかにし・おさむ/演劇舞踊批評)

 

2014-06-23
男には見えない男子のセカイ|KIKIKIKIKIKI『ぼく』

KIKIKIKIKIKI『ぼく』(6月11日@アイホール)

撮影:阿部綾子

撮影:阿部綾子


 週刊誌をペラペラとめくると、必ずといっていいほどグラビアアイドルがきわどい水着姿で笑顔を振りまいている。男の欲望の鏡となって彼女たちは微笑む。消費的な女性イメージ。男たちの視線を受け止める商品は僕たちの身の回りにあふれている。だが、その逆はどうなっているのか、男である筆者はその内実をあまり知らない。一体「男」のイメージはどのように消費されているのだろう?

 KIKIKIKIKIKIは女性三人のカンパニー。きたまりを中心として決して美しい身体ではないダンサーが肉体をさらけ出して踊る。背が小さいきたまりをはじめ、背の高い野渕杏子にぽっちゃりとした小太りの花本ゆか・・・彼女らはいわゆる「男性が欲望し、消費する女性像」からはかけ離れているがゆえに、艶めかしい「女」の存在感を醸しだす。そんなKIKIKIKIKIKIを率いるきたまりが今回取り組んだのは男のみ7人の俳優・ダンサーに振りつける作品、その名もズバリ『ぼく』である。

 四角形の舞台を囲んで観客は座る。舞台上にはミラーボールがつられ、ダンスホールのようなイメージ。対面式の舞台でないことも相まって、どことなく自由な雰囲気が漂う。開演とともにおもむろに男達が入ってきて、普通に自己紹介をはじめ、即興的に一発ネタをやったりコントを展開したりしていく・・・これだけ見ると、ただ単に男達が遊んでいるようにしか見えず、エチュードは稽古場でやってくれという思いが湧いてくる。多分、ワークショップの過程で作られていったのであろう舞台展開に、だからなんなんだよという感触をいだいていたのだが・・・私の中でこの気持が一気に反転したのが「ぼく、かっこつけます」と言いながら一人ひとりがまさにかっこつける大喜利的展開を見せる場面。

 なんとなしに客席を見回すと何か女性たちがニヤニヤしている。これはどうしたことだろうと考えると、ああ確かに「ぼくかっこつけます」という男の子的馬鹿っぽさは女性がのぞきみたいと欲望する男子のセカイなのだ。いまこの瞬間、女性の目には男性(私)の目に映る身体とは全く異なる何かが見えているのである。

 ここで、私は梅佳代(うめかよ)の『男子』という写真集を思い出さずにはいられなかった。『男子』はその名のとおり、誰にでもある「男子」時代を女性独特といっていい視点で切り抜いた写真集である。女子のセカイが男子からはうかがい知れないように、男子の世界もまた女子からはうかがい知れない秘密があることを、この写真集は教えてくれる。

『ぼく』が同じ主題をめぐって動いていることは疑い得ないだろう。実際、その後の展開で最終的に全員が服を脱ぎだし観客は男=男子の裸を堪能(消費)するのであり、そこで私たちは私たちの目がいかにセクシャリティの制度によって犯されているのかを思い知るのである。

男達には見えない「男子のセカイ」を、女性たちはのぞき見る。観客は身体を見ているようでいて、実はセクシャリティの制度を見ているのであり、7人のパフォーマーがきたまり(女性)の目にいかに応えたかという、つまりは(あのグラビアアイドルのほほえみのように)女性の欲望の鏡となった男達がいかに消費されたかを見るのである。

 しかし、結局『ぼく』は単に女性が欲望する男のイメージを消費しているに過ぎないとも言えてしまう。きたまり=女性に埋め込まれた視線の制度を追認するのではなく、いかに揺さぶるのかが問われているように思う。

高田 ひとし(たかだ・ひとし/演出家/演劇フリーペーパー「とまる。」編集長)

 

2014-06-23
16年目の贖罪-『ピラカタ・ノート』考-|ニットキャップシアター『ピラカタ・ノート』

ニットキャップシアター『ピラカタ・ノート』(4月9日@ザ・スズナリ)

2011年4月京都公演(会場:アトリエ劇研)より 撮影:竹崎博

2011年4月京都公演(会場:アトリエ劇研)より 撮影:竹崎博

 舞台はまるで、おもちゃのまちのようだ。ワイヤーで吊るされた雲、ビル群を模した箱馬、その周りをぐるりと囲んで走るプラレール。そんな小さなまちピラカタのニュータウンで繰り広げられるさまざまな物語は、ままごと遊びのようなチープさを帯びる一方で、そこに住む人々にとっては彼らなりの重みを持った日常でもある。一見すれば、これはありきたりなニュータウンの風景で、だらだらと続く日々を単に眺めている私たちは、少し退屈ささえ覚える。

 ピラカタとは、大阪に実在する街「枚方(ひらかた)市」のことである。この「ヒラカタ」に半濁音を付けこの街の歴史性をパロディにしたのが 「ピラカタ」だ。『古事記』をもとにした国造りの物語がピラカタのニュータウン形成のそれに重なり、またそのニュータウンに住む夫婦、加藤睦夫、妙子の飼っている魚の水槽が小さなピラカタのまちとなる。この三重の入れ子構造の中でピラカタは描かれ、ごまのはえ氏が育ったという実在 の「枚方」から少しずつズレが生まれる。高度成長期に開発された歴史のないニュータウンに、ピラカタ古事記とも言える歴史を与え、このまちに 住む人々の物語を展開していく。それによって、「ピラカタ」という気の抜けた名前のこのまちがリアリティを帯びていった。

 障害児、大和タケルとそのやもめの父、武雄。古代魚を飼育する不妊症の加藤夫婦。地主の孫であるために団地の子供たちに馴染めない少年。そして、夫婦の水槽の中につくられたもう一つのピラカタに一人生きるサカナと彼女を訪ねてくるコートの男。一つ一つの物語は決して軽くはなく、 それぞれが抱えている日常は、相応に生き難いものだ。そしてこの作品は、タケルが近所の子供にいじめられ昏睡状態に陥った日から始まる。1994年12月17日、それは阪神淡路大震災のちょうどひと月前の出来事である。

 舞台上でこの日付が語られた瞬間から、この作品が進む方向はピラカタのニュータウン創世記ではなく、震災の日へのカウントダウンとなる。しかし当然ながら、ピラカタの人々は誰ひとり、あの地震が起こることを想像だにしない。生き辛く終わりのない日々はただただ続き、それぞれの状況が劇的に壊れることがあるなど思いもよらないことだ。眠り続けるタケルは夢の中へ死んだ母を探す旅へ出る。加藤夫婦はなりゆきで貰いうけた 古代魚の水槽に小さなピラカタのまちをつくる。少年は人形を神に見立て、自身の想像の世界にひたる。この日常を打破するきっかけのないまま、 カウントダウンはじわじわと進んでいく。

 私たちが3月11日を予期することが出来なかったように、1995年1月17日も突然にやってくる。その日、団地に住む高校生、沢井かづえがダンプカーに轢かれ事故死する。しかし彼女は心臓が止まり、顔も体もぐちゃぐちゃに崩れながらも起き上がり、団地を徘徊する。古代魚のえさを買いに行く途中だった睦夫は彼女とすれ違うが、その姿を見て見ぬふりをした。次第に野次馬の人だかりができ、映画の撮影じゃないかと見物する者がいて、それでも誰も助けを呼ばない。少年の「救急車!」という叫びが聞こえるまで誰もその場を動かない。ようやく救急車がやってきたときには、すでにかづえは手遅れの状態だった。団地の隣人との距離と、大阪と神戸の距離が1.17の日付を軸にアナロジーとして描かれる。彼女こそまさに神戸の姿であり、それを取り囲む人々は、あの震災のときの神戸をとりまく大阪の姿ではなかったか。そして、彼女を「見て見ぬふりした」睦夫の態度は、あの時枚方にいたごまのはえ氏の態度だったのだ。
 団地の隣人との距離、1.17の大阪と神戸の距離は、まさしく3.11の東京と東北との距離だ。煙の燻ぶる瓦礫の山と、津波によって消し去られたまちは、被災地の周縁にあって震災という経験をうっすらと共有しながらも、日常が途切れることなく続いていたピラカタのまちとのコントラストを生む。少し頑張れば、車で行ける場所。大阪も東京も、そして枚方もそれなりに揺れて、それなりに被災者だ。それでも、人々は余震に慣れ、被災地の光景を見慣れ、以前と変わらぬ生活に舞い戻っていく。

 『ピラカタ・ノート』はごまのはえ氏の16年目の贖罪だ。あの時、枚方にいたことに、被災地を見て見ぬふりをしたことに、そして1.17を忘れかけていたことに対しての償いのように私には思える。氏は大阪と神戸の距離、温度差、そして自身の立ち位置に愚直なまでに正直だった。その正直さは、ピラカタの人々のさまざまな日常を饒舌に物語る一方で、かづえの何物をも物語らない。彼女の物語だけが1月17日で終わってしまうからだ。いや、始まりさえしないのだ。そしてごまのはえ氏は、消えてしまった彼女の物語を作家としての想像力で生み出すことをストイックなまでに避け、ただ交通事故を描写するだけに留めている。そういう方法でしか、氏には神戸が描けなかったのだ。その態度こそ、氏の贖罪のかたちなのだろう。16年たった今、被災地は彼にどのように応えるのか。私はきっと、彼らが抱くのは憤りではなく、赦しであると思う。
 ラストシーン、団地の部屋の明かりが灯っていく。それぞれの部屋に、そこに住む人々の生活が、物語がある。1月17日のあとも、これらの物語はずっと続いていくのだ。ピラカタは結局、何も変わってはいない。少しずつ明るくなるまちの風景は、まるで計画停電が終わり、自粛ムードの落ち着いた今の東京のようだ。東京も結局、何も変わっていないのかもしれない。だからこそ、東京は16年後、被災地に対してどんな物語が書けるのか、私はそれが見てみたい。日常を取り戻すという至極単純な生き方が、避けられない原罪となるポスト3.11の時代に、私たちはどのように被災地に向きあっていくべきなのか、ただごまのはえ氏のように愚直にあらざるを得ないのか。大きな問題提起を静かに孕んだ作品だった。

伊藤 寧美(いとう・なび/国際基督教大学教養学部学生)

 

2014-06-23
麗しの島での人類学者の格闘|劇団大阪『フォルモサ!』

劇団大阪『フォルモサ!』(6月24日7時、A/7月1日7時、B@谷町劇場)

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 創立40周年を迎えた劇団大阪が、記念公演のための上演戯曲を募集、その入選作品が『フォルモサ!』である。「イラ・フォルモサ!」とはポルトガル語で「麗しの島」を意味し、16世紀にポルトガル船の航海士が台湾を見たときに、こう叫んだそうだ。日清戦争後、清国から割譲された台湾を統治するために1895年に日本の官庁、台湾総督府が設置された。舞台は総督府時代初期の台湾で活動し、苦悩するひとりの人類学者と妻の物語である。

 日本と台湾の関係を描いた作品は珍しい。作者は新人の石原燃。パンフレットで女性であることを知った。確かに女性の視点から全編描かれており、主人公は人類学者というよりもその妻なのである。人類学者、百木太郎のモデルは、台湾総督府の嘱託として先住民の研究をした森丑之助である。森は先住民と日本人の架け橋となるべく奮闘したが、1926年に日本への帰国途上、船の甲板から飛び降り自殺を遂げている。

 円形の窓のある部屋。明治時代に取り入れられた洋風建築のモダニズムを思わせる。上手には大きな机があり、ここで百木が調査資料の整理や研究をしている。台湾総督府理蕃(りばん)本署調査課の部屋で、上手奥の扉の向こうに課長である鶴丸の部屋が続いている。理蕃政策とは、蕃族と呼ばれた台湾先住民に対する大日本帝国軍部による強制的な民族同化政策を意味し、窓や、下手扉の向こうから抗日蜂起の声が時として聞こえてくる。

 舞台は百木の妻、アイの回想で始まる。大正11年、東京の実家で、アイは木箱を開けて亡くなった夫のアルバムや研究ノートを整理する。アイは手帳のページをめくり、読み始める。明治34年、船で神戸を出帆して4日目に島が見え、夫、百木が「イラ・フォルモサ!」と叫んだ様子が言葉で示される。百木は「美しい山々に住まう未開の人たちとの出会い」が楽しみなのだ。

 この芝居は枠構造をなしており、最終景もアイに送られた手紙を読むところで終わっている。アイは過去を回想する語り手として登場し、やがて現在を演じる劇平面へと降りていく。この構造自体は新しいものではないが、台湾に到着以降の森尾教授との調査旅行の様子などが手際よく語られており、状況設定が観客に簡潔に示される。作品はアイを中心に展開していく。外から聞こえる桃太郎の歌は子どもの声から討伐隊の声に変わる。当時、民間で流布した「桃太郎(日本)の鬼(敵国)退治」がイメージされる。

 上演はAチームとBチームの2チームに分かれ、すべての役が違ったキャストで演じられるため、まったく上演の印象が変わっておもしろい。A,B順に俳優名を記すと、百木太郎は上田啓輔/熊谷志朗、アイは名取由美子/小石久美子が演じている。上田は百木をニヒルで反骨精神に富んだ庶民研究者として演じており、好演だ。硬さは折れやすさにもつながり、上演では調査課の自分の部屋の窓から飛び降り自殺をする。

 百木家には二人の子どもがいる。15歳になる知的障害者の夏夫(山根徹/竹中裕紀)と養女として迎えたタイヤル族の女性ハナコ(南澤あつ子/吉本藍子)だ。百木の広い人間愛が示され、蕃族の討伐に反対する百木の姿勢が貫かれている。その意味でハナコの形象は重要な意味を持つ。ハナコに対して「お母様だなんて呼ばないで…蕃人なんて子どもと思って育てられるわけがない」と叫ぶアイとの間に強いコントラストを生むからだ。

 先住民の土地を侵略し、先住民を帰順させようとする総督府に対して、反対し続ける百木だが、妻アイの理解は得られない。アイは百木が求める、「夫の研究に対する理解」も、「自立した女性としての歩み」も、「毒婦になること」も、何一つ満たすことができない。寂しさから測量技師として赴任してきた宮田(市村友和/岡村宏懇)へのつかの間の愛に走る。市村が純粋でどこか暗い宮田を演じ、白黒映画の世界を髣髴とさせたのに対し、岡村が明るく、生き抜く強さを感じさせたのも印象的だった。初日に市村が、愛の告白の場面でハンカチを忘れたのはちょっとしたハプニングだったが。

 違和感があったのは周りの人たちがすべて善人であったこと(善人として演じられていたこと)だった。課長の鶴丸(宮村信吾/清原正次)や、妻で愛国婦人会支部長の貴子(夏原幸子/津田ひろ子)、東京帝国大学教授の森尾(斉藤誠/神津晴朗)、巡査の中島(高尾顕/南勝)などはベテラン俳優がそれぞれ力量を発揮し、見事に演じているのだが、彼らからは大日本帝国の軍国主義のかけらも感じられなかった。描き出される世界は調和に満ちたものであり、矛盾や葛藤はどこかに消えてしまっている。百木が自殺し、巡査の中島が抗日蜂起で殺されているにも関わらずだ。作品自体が持つ弱さを演出の堀江ひろゆきが十分にカバーできなかったことも惜しまれる。

「朝鮮民族の独立」や「東洋圏の平和」を掲げて戦われた日清戦争も、その後の数々の戦争も結局は「自国(日本)の権益の拡大」のための戦争であったことは歴史が検証している。今でも反日感情が強い韓国に対して、親日の多い台湾の状況をとらえて、朝鮮総督府に対して台湾総督府の政策がうまくいき、民族同化に成功したとは、単純に誰も思わないだろう。帰順式の招待状をアイに送る宮田の手紙で、宮田は討伐の終結をアイとともに喜びたいと言い、百木の功績が評価されるようになったと伝える。「今後蕃人たちは、皇民として迎え入れられ、『高砂族』と名前を変えます。彼らの戦闘能力も我ら大日本帝国の為に活かされることと存じます。…」彼の言葉がアイロニカルに響き、批判となって返ってくることを望む。  

市川 明(いちかわ あきら。大阪大学教授/ドイツ演劇)

 

2014-06-23
宝塚音楽学校96期裁判を考える-『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判』-

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 2009年11月5日、新聞各紙は「元生徒、宝塚音楽学校を提訴、『ウソの告げ口で退学』」(朝日新聞)などの見出しで、宝塚音楽学校96期元生徒が退学取消裁判を起こしたことを報じた。私もこの報道で初めて裁判のことを知った。いじめという語句と共に、元生徒が二回仮処分裁判を起こしいずれも勝訴した、とあるのが私の注意を引いた。二回負けるのは、音校側に問題があったからではないか。

 私の疑問は、約一週間後に音校がHPに発表した「当校元生徒からの提訴に関するマスコミ報道について」と題する文書で確信に変わった。私も教師の端くれであるが、文書からは生徒を退学させざるを得なかった教育者の痛みがまったく感じられなかったからである。それまで宝塚とのつきあいは数年に一回舞台を観る程度のごく浅いものであったが、これ以後私は関連情報に注意し、裁判記録閲覧のため神戸地裁にも通った。調べれば調べるほど、狭山裁判などと共通する冤罪事件、人権問題の要素を強く感じた。

 昨年11月出版の山下教介『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判−乙女の花園は今−』(鹿砦社、1143円+税、以下本書と略記)は、現在のところこの裁判に関する唯一の書籍である。

 本書や関連資料に基づき、裁判の経過を紹介しておこう。2008年4月原告が音校入学後、さまざまないじめを受けるようになった。一説には、原告の美貌に対する同期生の嫉妬という、ある意味ではたわいもないことが原因という。いじめはエスカレートし、9月には同期生らにコンビニで万引きしたと学校側に報告され、同校は11月、これと他の理由をあわせ原告を退学処分にした。原告は事実誤認だと仮処分を申し立て、神戸地裁は二度にわたって生徒の主張を認める仮処分を出したが、音校は復学を認めなかった。そのため、原告は正式裁判を起こしたのである。音校は13名の96期生を音校側証人として出廷させ、裁判は広く宝塚ファンの注目を集めた。音校は、原告は集団生活に対する協調性を欠き、常習的盗癖があったと主張したが、原告の中・高校時代の担任教師はそろって原告はクラスのリーダー的存在で、盗癖などまったくなかったことを文書証言した。

 その過程で、ある96期生のブログが暴露され、そこに掲載された音校生活の写真のため、その生徒が自主退学に追い込まれることも起きた。制服であぐらをかくなどの写真が、宝塚のイメージと大きくかけ離れていたとされたのである。この生徒は一時はいじめの主犯と誤解されたが、裁判の過程で原告に謝り、音校の主張を否定する文書証言をおこなった。結局2010年7月に裁判所の斡旋で音校は退学処分を撤回し、原告に卒業証書を発行し、原告も宝塚歌劇団に入団を求めないという調停が成立し、裁判は決着した。調停内容は音校の要請で一部非公開だが、非公開部分には原告への謝罪などがあることが容易に想像できる。実質的に原告勝訴であった。

 裁判の中で、音校の対応は極めて不適切なものであることが示された。音校は六つの退学処分理由をあげたが、その一つの「万引き」をみると、コンビニも警察も万引きの事実はないと認識していること、コンビニの防犯ビデオにもその場面は映っていないこと、その現場を見たと報告した同期生も、実は決定的な場面は見ておらずそれまでの状況−自主退学生徒の表現を使えば集団ヒステリー状態−からそう思い込んだにすぎないことが、裁判で明らかになった。しかし、音校はもはや聞く耳を持たず原告が万引きをしたと断定したのである。その他の五つについても、「万引き」と同様にその事実が存在しないか軽微なミスで、退学処分にはあたらないものであった。これらはすでに仮処分段階で裁判所から指摘されていたが、音校はかたくなに誤りを認めなかったのである。音校は歌劇団員養成の特殊な学校だから一般的教育倫理を当てはめることはできないという声もある。しかし興行会社−企業の危機管理としてみても、音校の措置は落第点であろう。

 このような音校(実質的に宝塚歌劇団)の姿勢は多くのファンを失望させ、ファンの宝塚離れを加速させた。証人を引き受けた生徒が入団後不可解な抜擢を受けたことも、それに拍車をかけた。この裁判は間違いなく、あれが宝塚の転換点だったと後世から評されるであろう。現時点で唯一の関係書籍として本書の意味は大きい。

 本書からは“暴露本”の要素も感じられるが、商業出版を成立させるためにはやむをえないのかもしれない。私が集めた資料と照らしても、事件の経過を基本的にはその通りに伝えている。だが、問題のある記述も多い。

 たとえば、自主退学生徒の文書証言を同書は「学校側は・・強く反発したため、結局は証拠採用とはならなかった」(p107)と書くが、この証言は甲オ15号証と証言番号がついて証拠採用され、神戸地裁に行けば今でも読むことができる。全体として原告に好意的な内容だが、一部に批判めいた記述もある。“バランス感覚”かもしれぬが、原告側には異議があるかもしれない。随所に「女の世界独特の妬み」(p65)など「女」を強調した記述があるのも気になる。このような事件は、男性の集団でも起こりうることである。この裁判と宝塚歌劇の将来など、裁判への大局的な考察が欠けていることにも不満が残る。

 裁判記録は五年たてば廃棄される。ブログ類はいつ無くなるかわからない。本書を今後音校96期裁判に関する唯一の文書資料としてはならないと、強く感じる。

瀬戸宏(せと・ひろし/摂南大学・中国現代演劇研究・演劇評論)

 

2014-06-23
演劇創造における「構え」|時間堂『廃墟』

時間堂『廃墟』(4月3日 シアターKASSAI マチネ)

©松本幸夫

©松本幸夫

 三好十郎の1948年の作品『廃墟』。この長大な懺悔劇とでも呼びうる戯曲に、真正面から対峙する集団の姿勢。この舞台の核であり魅力はそのことに尽きる。そして十分に互し、成果を挙げた(演出=黒澤世莉)。

 懺悔たる所以は、『浮標』(1940年)で「俺達は万葉人達の子孫だ」と記したように、ナショナリズムへ転向したと見られる三好の自己総括が反映されているからである。一人の作家として敗戦を受け止めようとする決死の思いが、台詞の一つひとつに重く込められている。

 大学教授を休職中の柴田欣一郎は、三好の立場を体現していると思しき人物。「愛国者」であるが故、勝ってほしいと思った戦争に日本は負けた。そのことについて彼は「国民一人ぶんの戦争責任が有る」と自らを裁く。日本民族としての矜持を持ち、再び日本が立ち上がるためには、一人一人が真摯に日本の誤りを分かち合い、反省すべきというわけである。闇市で手に入れた物資で生き、のうのうと何事もなかったように大学教授を続けることは無責任極まりない。愚鈍なまでに「真面目」な柴田を復職させようと、教え子・清水八郎が訪ねてくる場面から舞台は始まる。

 清水による説得は失敗に終わる。だが、衰弱の一途をたどる柴田に生きてもらうため、闇物資ではなく校庭で取れたジャガイモを清水は渡す。ところがそのジャガイモは、焼け落ちた柴田家の建築費を取り立てに来た棟梁の娘・お光に借金のかたに奪われる。

 遠縁の焼け残った一室を辛うじて借り、そこに8人がつましく生活をしている困窮。闇物資を手に入れようにも僅かな金銭ではどうにもならない現状。全員の根底に等しく認められるのは、身体に流れる「疼き」である。その持って行きようのない感覚が、立場を異にする思想を持った者同士に、観念と論理がない交ぜとなった議論へと向かわせる。長い台詞を一気呵成に放ち、それを受けた相手がまた膨大な台詞で説得しようと応酬、それに反応してまた第三者が噛み付く。戯曲に「(略)速射砲のように早く、かんだかになり、かつ、互いに他の人の言葉を中途でたち切ったり、同時に言い出して、ぶっつかり合ったりする。最後に至るまでに、それは益々はげしくなって行く」と記されているように、劇半ばから激しさが増してゆく。欣一郎が手斧を食卓に勢いよく突き立てて倒れ、暗闇の中で慟哭するまでの2時間30分。ノンストップで走り続ける作品は、非常に緊張感が漂う。

 戦争指導者と戦争犠牲者とを厳密に分け、日本が誤った道に再び進まないよう、プロレタリア勤労階級からの国体改変を推し進めようとする、マルキストの長男・誠。それに対するのは、先に記したように民族主義的な立場から、生きる者全てに責任があると考える父・柴田欣一郎。そして両者の白熱した議論を根底から覆しにかかるのが、戦後派の現実主義的デカダンスの次男・欣二である。理想主義的革命、原罪主義、運命論的退廃。それぞれの論理が個々説得力を持って発せられる。だが、強靱な言葉が紡ぐ論理には、それだけでは十分に掬い上げることができない感情の澱が渦巻いている。観る者を圧倒するのは、両者が不可分となって表出する様にある。それを実現するためには、ただ情念に任せて言葉を発語すれば良いというものではない。それでは三好の重厚な言葉にはとても抗しきれない。言葉の論理を理解しようと努め、発語する技術をまずは要するはずだ。それはつまり、戯曲と真っ向から対峙し、格闘しようという覚悟を要するということである。それほどまでにこの戯曲は硬質なのだ。創作におけるしっかりとしたその「構え」で以って戯曲と拮抗した結果、台詞を巧に扱う箇所があったり負ける箇所が当然出てくるだろう。理性には還元でき得ない激情を台詞に乗せるためには、その格闘の一切を俎上に乗せるしかないのだ。それをこの集団は身体性で感受して創作に当たっていた。これは、演劇創造における重要な点である。

 演出面でも、居候人・せいと誠との淡いプロポーズのシーンには特別目を見張るものがある。ヒューズが飛んでしまい月明かりだけになった中、夫婦仲が冷え切っているにも関わらず煮え切らない態度を取り続けるせい。彼女に業を煮やし、内なる熱情を何とか押さえ込もうとしながら静かに詰問する誠。それ気付きながら、物見遊山に見物する欣二。内からこみ上げてくる感情を抑えた人物と、からかいついでに様子を窺う者が闇夜に点在する、非常に美しい場面だった。緊張感を基点として静/動を巧みに設える演出である。いかに作品と渡り合うか、水平軸で戯曲を捉えた結果、劇団自体がひとつの貌を獲得することを可能にさせた。それは、戯曲をいかに上演するかという、最終的なゴールに奉仕する上下関係が生み出す没個性とは根本的に異なるものだ。

 そして真摯に戯曲に向き合い、「揺らぎ」や「疼き」を身体感覚として体現しようとする姿勢は、地震と原発事故により未曾有の非常事態を迎えた3.11以降の状況にこそ、相応しいものである。今、どのように生き、どのような選択をするのか、一人一人が辛い行動を強いられている。苛烈さだけでなく、また頭でっかちな理論だけでもない、常にニュートラルな視点から物事に対峙すること。そのことによって、対象物と自らの生との化学反応をつぶさに窺うこと。そこから次なる一歩を踏み出そうという意思は、人間の生き方の問題として今後ますます要請されるだろう。この作品を通し、創作における真摯な「構え」の重要性に、改めて気付かされた。

藤原央登(ふじわら・ひさと/劇評ブログ『現在形の批評』主宰・[第三次]『シアターアーツ』編集部)

 

2014-04-30
こちら側の文楽 ー互いに歩み寄るためにはー

 2月の劇団太陽族公演『大阪マクベス』の劇中、「橋桁知事」の圧政に抗議する文化人達の掲げるプラカードに「文楽は大阪の宝」と書かれたものがあった。文楽は現代演劇と同様関西で不当に扱われている仲間とみなされているのかと、認識を新たにさせられたものだ。実際橋下知事は初めて文楽を観て「こんなものはこのままでは滅びる」といった意味の発言をしている。
hoshino(C)国立文楽劇場

© 国立文楽劇場

 
 昨年から国立文楽劇場は「むりやり堺筋線演劇祭」に参加している。5つの小劇場でポイントを溜めれば、一等席4600円の文楽(それでも他の伝統芸能や東京発の中劇場以上の現代演劇に比べれば、ずっと安い)を無料で観ることが出来るのだ。では現在の文楽に、初心者が近付くことは可能なのか。

 2008年に関西に戻って以来、文楽劇場の公演にはほぼ毎回足を運んでいる。よく言われる通り地元大阪での観客動員は、やや思わしくないようだ。文楽の主軸は誰が見ても分かり易い人形でなく義太夫節なのだが、今ではテンポが遅く難解な印象を与えていることが、大きな要因の一つなのだろう(但し字幕の設置によって、以前よりは距離が縮まっている筈だが)。通し上演が多いため、夏の公演を除けば昼夜どちらかの部だけでも4~5時間かかることもあるだろう(勿論この場合、夜の部を仕事帰りに観ることは不可能)。そして歌舞伎と同じ演目(実は大抵の場合、初演は文楽が先)を演じながら、役者中心の歌舞伎とは違って、より封建時代のドラマの理不尽さが際立ってしまうこともあるかもしれない。だが一番大きな理由は、「名人」はいても他の伝統芸能とは違って、マスコミで売れる「スター」が存在しないことではないだろうか。

 最近文楽の魅力を堪能出来たのは、6月12日の「第28回文楽鑑賞教室」の『仮名手本忠臣蔵』(原作の五・六段目)だった。解説付で上演時間2時間半というのはやはり手頃だが、今回は例年にも増して内容が充実していたのだ。「早野勘平腹切の段」を文楽で観たのは十数年ぶりだったのだが、歌舞伎とは違って言葉が切り詰められドライでテンポが速く、この場合はドラマ性の重視が骨太な味わいとして伝わって来た。侍失格の汚名を返上しようとして追い詰められていく青年や一日で家族全てを失う老婆の悲劇が迫って来たのだ。桐竹勘十郎(勘平)以下人形の奮闘もさることながら、竹本津駒大夫の力が大きい。力強く言葉が明快なこの人の場合、義太夫節の魅力は現代でも有効と思えて来る。

 「鑑賞教室」は月1~2回社会人向きのものも行われているが、若手中心のより小規模な初心者向けの公演など増やせないものか。スターの不在は、同時に親しみ易さでもある。そして作り手が歩み寄って来れば、「大阪の宝」に近付く人々も増えると信じたい。

星野明彦(ほしの・あきひこ/演劇批評)