vol.22

2014-09-29
多田淳之介インタビュー「演劇×ダンス クロスオーバー」

 日本現代演劇で1990年代半ば以降メインストリームとなってきた平田オリザら現代口語演劇中心の流れが大きな転換を見せたのが2000年代(ゼロ年代)後半。若手劇作家・演出家の相次ぐ登場によってであった。その特徴は演劇とダンスのボーダー領域の作品が目立つことでチェルフィッチュ(岡田利規)、ニブロール(矢内原美邦)を先駆とした「ダンスのような演劇」「演劇のようなダンス」はゼロ年代半ばにすでに姿を見せていたがその動きは2010年以降の2年間でままごと(柴幸男)、東京デスロック(多田淳之介)、快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)、悪い芝居(山崎彬)に加え、ロロ(三浦直之)、バナナ学園純情乙女組(二階堂瞳子)、マームとジプシー(藤田貴文)らより若い世代の台頭でますます顕著となった。
 「act」22号では「ダンス×演劇 クロスオーバー」と題してこうした動きがどのような背景によって生まれたのかを考えるためにその代表的な作家として多田淳之介を迎えインタビューを試みることにした。

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 中西理(以下中西) 多田さんは演劇の分野で身体表現を多用した演劇作品を制作してきました。そのなかにはダンスに近いような要素が色濃い作品も多いわけですが、最初からそうというわけでなく、会話劇的な形でやっていた時期があってその後、そういうスタイルに変遷していきます。作風の変化するきっかけのようなものがあれば教えてください。
 多田淳之介(以下多田) 今のようなスタイルになったのは最初は2006年に制作した「再生」がきっかけだったと思います。その時初めて俳優が踊るということをやりました。しかしこの時はまだ演劇のスタイルとしては「静かな演劇」でした。つまり現代口語演劇ということですが、「再生」は現代口語演劇として創られた芝居を3回同じように繰り返すという構造だったのです。「再生」をきっかけにして、身体が例えば疲れていくこととか、どういう風に舞台上にいられるか、身体を舞台上にどう存在させるかということを考え始めました。だから、特にダンスを見て(影響を受けて)ということではなく、稽古していろいろやっていたらこうこう風になっていたという感が強いのです。
 中西 それではダンスの要素を取り入れようとして取り入れたというのではなくて、演劇をいろいろ試行錯誤しているうちにこうなったということでしょうか。それでは多田さんから見てダンスと自分がやっている演劇との違いはどこにあると思われますか?
 多田 ダンサーと俳優の違いは今回京都でダンサーと一緒に仕事をしてみてかなり明確に分かったのですが、作品としてダンスか演劇かという区分けについては特にダンス側についてはあいまいです。演劇の場合はなにが演劇であるのかということについては言えるんですが、ダンスに関してはまだ漠然としていますね。
 中西 それでは多田さんにとってはどういうものが演劇ですか?
 多田 演劇はまずドラマだと思っています。人間を見せるということが大きいかもしれません。俳優の機能としてはダンサーと一番違うのは身体を使うこともありますが、人間の枠からあまり出ないということがあります。だから、人間が人間を見るという構造が演劇だと考えています。ダンスの場のはお客さんは人間だけれど舞台上で見るダンサーたちはそのなかでなにか表象している生き物であったり、人間として見られているわけではないような気がしていて、なにかであることは確かですが、そこが演劇とダンスは違うなという気が今はしています。
 中西 多田さんの場合、基本的に演劇だと思って作っているわけですよね?
 多田 そうです。だから、今回のダンサーバージョンも演劇だと思って作っています。
 中西 その場合、その時のそこにおける身体的所作も演劇ですか? それともそれはダンスの時もあれば演劇の時もあるという感じでしょうか?
 多田 それはダンサーが踊っていようがいまいが僕にとっては作品は演劇の構造で作っているということなんです。昨日の作品だとダンサーつまり踊りを生業としている人間が踊るということだったり、彼らの今後の人生のなかで踊り続けるということを考えて作ったようなものなんです。それとやっぱり、僕は振付家ではないから振付もしていないし、本人たちに振付もしてもらっていて、言ってしまえばその振りが僕にとってはどうでもいい。ただ、演劇の構造で提示することで彼らの姿がかっこよく見えたらいいなと思いながら作ったわけです。だから、最近は確かに演劇を作っているのですが、演劇を使ってなにかを作っているという感覚の方が強いかもしれません。
 中西 演劇を使ってなにかを作っているというその「何か」というのは何なのでしょうか?
 多田 作品です。そして時間というかその場所を作っている。そういう意味ではインスタレーションみたいな感覚にも少し近いのですが、場所を演劇で構成するようなものでありたいなあと思っています。
 中西 今回のように境界線に近づくということはあっても、ダンスの方に完全に行かないで演劇にこだわる理由は何なのでしょうか?
 多田 それはまず僕が踊れないというのが大きいかもしれません。ただ、台本は書かないですけれど言葉を使うということに対するこだわりはあるかもしれません。しゃべらない作品も作りますけど、あれもやはり言葉でイメージさせるようなものを代わりに身体でやっているだけで、ダンスのように言葉ではないものをイメージさせるわけではない。物語・ドラマを想起させるというもので、それが好きなんですね。  
 中西 昨日の作品「RE/PLAY」にもセリフの場面がありますよね。焼肉についてのくだりですが、あれは別になくても構成的には成立しそうな気がするわけですが、あえてあれをあそこに入れた理由はなんだったのでしょうか?
 多田 あれはその後のシーンで皆ばらばらだっていうことを強調したかった。焼肉食べて別れたという会話をすることで、今舞台上にいる人たちが家に帰る途中なのか、ひとりなのかということを考えさせながら後半に行きたかった。焼肉自体にも意味はなくはないのですが、一番大事なのは皆で集まって離れるというのを入れて後半につなげたかった。 
 中西 それが多田さんの言う演劇的な構造、あるいは演劇的な仕掛けということなんでしょうか? あの場面はダンスということでいうとあまり必要ない蛇足のような風にも見えるのですが、どうしても必要なんでしょうか。
 多田 そうですね。あと時間軸のこともちょっと触りたかったということがあります。今上演している作品が終演した後の自分たちという会話を入れることで、じゃあ「今」はいつなんだというようなことです。
 中西 それでは多田さんにとっては出演している人がダンサーであっても俳優であってもある意味同じというか、ダンサーという存在、つまり人が見せたいので、俳優の場合も俳優の技術を見せるというよりは俳優という存在の面白さとかを見せたいということなんですね。
 多田 それは俳優の場合はそれが俳優の仕事と直結しているような気がするんです。だから、俳優を使う時はちょっと感覚が違うんですが、ダンサーを使う時はやっぱりそういう感じですね。例えば普段大工さんをやっている普通の人と演劇やるのとダンサーと一緒にやるのはそっちの方がちょっと近い。もちろん、ダンサーは舞台の人なんで全然大工さんとは違うんですけれど。 
 中西 最近、演劇をやっている若い人の作品にダンス的な身体所作が増えてきてちょっとダンスみたいな演劇になっていたり、逆にダンス作品のなかにセリフのある演劇のような作品が増えてきているよう感じます。この2つは分けて考えないといけないとは思っているのですが、実際にいくつか作品も見てらっしゃると思うのですがこういう状況について多田さんの目からはどのように見ていらっしゃいますか?
 多田 なんとなく共通しているのは舞台芸術なのでお客さんを眼の前にして舞台の上でやるということで、舞台の上にどうやって存在するかについての問題意識が強いとか、そこから発生していることでかぶっていることには僕は興味があるんですけど、ダンサーがしゃべるということに関してはやはり僕から見るとしゃべっている技術はままごとみたいな感じなので、僕の考えているしゃべるという行為を舞台上でやっているわけではないと感じてしまいます。そこに逆に違いを感じる部分もあるといってもいいかもしれません。ダンサーが僕の「再/生」の俳優版の映像を見て「これはかなりダンスだ」と言っていたのが、実際にやらしてみたら「ダンスじゃない」ということになった。ダンサーの人たちがなにをもって演劇を見た時にダンスだと思うのかということは僕には分らないわけです。チェルフィッチュがなぜダンスだと言われるのか。一つは踊っているっぽいからダンスだというのは、それは分かるんですけれど、それがダンサーにとってのダンスと受け取られるというのが今回ダンサーと仕事してみて少しだけ分かったような気がするわけですが、私は演劇がダンスによるとか、ダンスが演劇によるというようなことをあまり気にしてないでここまできていました。根本的な違いはどこかというと違いはあるような気はしてはいるけれど、特に若い人たちはいろいろ舞台の構造というか、いろんな上演形態について考えるようになっているので、そこで(演劇とダンスが)かぶってくることが多いんだろうと思います。単純に舞台上に人がいるという時に身体を動かすというのも演劇の人にはすっと出てくる発想だと思いますし。
 中西 演劇に関して言えば、特に若い人からそういう表現が出てきている動機として、平田オリザさんが現代口語演劇という手法を生み出して、それが一般化してから一時右も左もそればかりという感じになってから、もう20年近くの時が経過していて、もうそろそろ単純にそれだけだと言葉は悪いですけれど賞味期限切れというか、ある種の限界を露呈してきたかなとも思うんですけれど。
 多田 そうですね。身体に行ったというのはまあまあそういう感じの流れはあるとは思います。ただ、僕は青年団はダンスだと思ってるところもあるんです。ダンスの要素を相当にはらんでいるなと。
 中西 どういう点でそう思うのでしょうか?
 多田 あそこで俳優たちがやっている作業はものすごく繊細に身体をコントロールしているという点でほとんど振付なんです。毎日同じタイミングで、同じポジションに自分の身体を持っていく。同じ角度で手をさしのべるとか、同じ目線を再現するというのはちょっとした特殊技能ともいえます。ただそこまでいけない俳優というか、誤解してやっている人たちがほとんどなので青年団はちょっと特殊だなと思います。ダンスが好きな人も多いですし、あの人たちはちょっとダンサー的な感じはあります。
 中西 青年団がそういう意味でダンス的というのは面白い見方でよく分かる部分はあります。ただ、ダンスには即興のような要素もあるから、青年団的なものだけがダンス的というわけでもなくて、例えばもう少し即興的な要素も含んだ演劇がダンス的ではないとも思わないのだけれど。そういういう意味ではチェルフィッチュは一番最初は青年団的というか、ものすごく厳密に振り付けられていたのが、割と最近は即興にまかせるような感じにもなってきていますね。
 多田 そうですね。ただ、現代口語演劇を更新するような動きのなかで身体の問題が出てきたというのは僕もそう思います。
 中西 それで多田さんの場合の身体の出てきかたと即興と振付的な機能というのはどういう関係にありますか?
 多田 僕の場合は負荷をかけるというところから始まっていました。青年団の人たちと付き合っていたのが長かったこともあるのですが、あれだけ自分の身体をコントロールしながらセリフを言える人たちはけっこういろんなことができるなというのがあって、そこで相手を見ないでずっと話をするとか、日本語ではない言葉で会話するだとかいろんな負荷をかけはじめたのがひとつのきっかけとなっています。この俳優たちは一見ナチュラルに見えるような演技以外のこともたぶんできるんだろうなと思っていましたから。それでいろんな負荷をかけたり、演劇の構造をいじったりしてどこまでできるのかというのを探っていた部分もあります。そして、それが結果として身体の問題になっていったということです。
 中西 多田さんの側は特にそういうことは意識していないと思うのですが、観客の立場でダンスと演劇の両方を見ていると特に多田さんの演劇の場合には演劇の内部というよりは例えば同じ動きを何度も何度も繰り返すことで蕩尽していく肉体の限界と限界を超えていく力のようなものでいえば黒田育世さんとか、あるいは身体に負荷をかけることで立ち現われてくる身体の状態ということでいえば矢内原美邦さんとかむしろダンス系の演出家・振付家の人と問題群を共有している感じも受けるのですが。
 多田 どちらも見たことはあります。ただ、僕は少し違うなと思うのは僕は限界を超えているように見せたいと思っているだけで、本当に限界を超えてほしいとは思っていない。人が限界を超えた時に出すものというのをあまり信用していないんです。それが毎日できるんだったらいいんですけど、そこはなかなか微妙なところですね。できるだけ自分がコントロールして、疲れているようであったり、限界を超えているように見せる演技を構築してほしいと思っています。もちろん、それは本当にやらなければいけないところだったりもするので、何が本当で何が演技かというのは微妙なラインでもあるのですが。 
 中西 最初、稽古場で負荷をかけると負荷がかかっている状態のようなものがそこに立ち現れるわけですよね。それで、本番の時も毎回負荷をその時にかけるというのではなくて、負荷がかかって起きた状態みたいなものをキープするというか、再現するということでしょうか?
 多田 再現できるってことはかなり重要ですね。同じ結果がえられればいいということです。だから保険はかけてある。例えば昨日も「オブラディ・オブラダ」を10回やるという。あれも即興の振りを固めていくという作業だったわけですが、あれも振りがそんなに面白くなくてもただ10回繰り返すことでの効果というのはおそらく何をやってもある。そういう保険はかかっていて、ただその中で振りが面白ければよりいい。以前、2時間半磔になっている人が出てくる舞台を上演したことがあるのですが、磔になった結果、セリフが面白くなればいいんですが、そうならくても、2時間磔になっているだけで、それだけの効果はある程度保証されている。それと似たような保険は今回もかかっている。
 中西 そういう意味ではそこはダンスとは大きく違うところかもしれませんね。ダンスの場合は結果的に立ち現れてくる状態自体が面白いかどうかということが決定的に重要な気がします。昨日の場合だと前に演劇版も見せていただいているわけですが、松本芽紅見さんがすごくハイな状態で次第に限界を超えたようなダンスを踊りはじめて、それにはちょっと圧倒されたのですが、それを見ていて「ダンスとはこういうものなのか」と思ったということがありました。
 多田 なるほど。でも僕は予想していたわけではないけれど、あれは逆に願ったりかなったりの瞬間という感じでした。
 中西 そういう意味ではそういうことが起こりうる稀有な存在がダンサーなのかもしれないと思ったんです。少なくとも俳優とダンサーを比較するとダンサーの方がなにかが憑依したり、トランス状態になったりすることがより多いということがあるじゃないですか。
 多田 そうですね。松本芽紅見さんは大変なことになっていましたよね(笑)。
 中西 いつも起きるわけではないけれども、舞台っていうのはたまにこういう奇跡が起こることがあるというのがやはり生の魅力じゃないでしょうか。
 多田 奇跡の瞬間みたいなのがあるっていうのがそうですね。本当は毎日できるといいんですが。
 中西 ただ昨日も1ステージだけだからこそできたのでは。
 多田 それはあったと思います。何回かやるんだったら皆もう少しペース配分しただろうなと思います。それでも1ステの思いっ切りよすぎる感じがよかったですね。
 中西 素人の人を使ってやる場合もあるじゃないですか。その場合も1ステだけとか短い時間だったらこういう特殊な瞬間が現れることがあると思うのですが、それと劇団でやるツアーの公演というのは全然違うということでしょうか。
 多田 そうですね。普通の人の時はさすがに負荷はかけない。基本的にはできることしかやってもらいたくないという感じがあって、例えばダンサーと作る時にセリフ言うの下手だからうまく言えるようになるために稽古するという作業にはまったく興味がなくて、普通の人とやる時にはその人がいまできることだけを使って、あとプラスが生まれたらいいぐらいの感じです。俳優とやる時もそれに近いといえば近い感覚もあります。
 中西 話は前後するのですが、いわゆる身体表現的な表現形式が強まっていく過程について、2006年の「再生」がきっかけだったとおっしゃっていたと思うのですが、その後、「マクベス」「ロミオとジュリエット」と負荷をルールとして作ったうえで、そこで立ち現れる身体的なものを舞台に乗せていくような舞台が続きました。
 多田 疲れるということにかなり拘っていたというか、面白いと思っていたということがあります。「再生」で疲れる身体というのを初めてやってからしばらく、どういうことができるかなと考えていました。ただ、古典で身体を使うのはやはり古典のセリフを言うためにけっこう必要、というか素面で言われても困る。戯曲を使う時はどうしても戯曲に相当奉仕しているというか、かなり戯曲から考えることが多いです。
 中西 身体負荷をかけた時に見えてくるものがあるというのは私も同感なのですが、なぜそうなのか。多田さんはどのようにお考えでしょうか?
 多田 単純なのは負荷がかかっている人は可哀そうに見えるということがあります。最初に負荷をかけはじめたのは身体だけでじゃなくて、言葉のしゃべり方もありますが、気持ちよさそうにしゃべっている人を見たくないというのがありました。そういう演劇の恥ずかしいところは嫌だなと思っていて、俳優が俳優のしゃべりたいようにセリフをしゃべっている状態というのはつまらないという感覚があります。俳優の意思というか、つもりに拮抗する負荷をかけることでやりたいように言えない、やりたいようにいかないんだけれど、それが結果的に面白い言い方になったりするのが好きというのがあります。これは単純にセリフの言い方についてそうだということですが。それでその後、身体に興味が出てきた時にも同じようなことがあったんだと思います。 
(2012年2月5日、京都駅ビル某所にて収録)
  

 

2014-09-29
言語vs.構造の攻防として読む|「We dance 京都 2012」 多田淳之介『RE/PLAY』

「We dance 京都 2012」 多田淳之介『RE/PLAY』(2月4日、元・立誠小学校 自彊室)

提供:「We dance 京都2012」実行委員会

提供:「We dance 京都2012」実行委員会

 多田淳之介作・演出『RE/PLAY』は、「We dance 京都2012」の中の「演劇とダンス/身体性の交換」と題された企画プログラムの一本である。演劇人で演出家の多田のもとに関西のダンサーが集結し上演を試みた。演劇とダンスという異ジャンル同士の出会いの点でいうと、ダンスは身体を動かす基本言語の創造に、演劇はそれを構造化し時間軸上を運ぶ推進力に、それぞれ特化されていた。演出家・多田淳之介の仕掛ける劇構造の圧倒的な力には、ダンスとは言語を違えた、別の領域の創造性というものを目の当たりにした。
 8名のダンサーが舞台に散在し、思い思いに動いたり佇んだりしながら、それぞれの欲するところにしたがった、非焦点的でアトランダムな動きの情景を繰り広げている。キャラクター豊かな動物たちがそれぞれの生態にしたがって棲息する密林の様子にも似て、民主的で博物誌的な身振りのパラダイスといった様相だ。しかし後にこの情景が任意でも、はたまた即興でもなく、かなりきっちり限定された振付と、寸分たがわぬ配置と動線により、ひとつの完成したシーンとして演じられていることが判明する。というのも、シーンはこの後、幾度となく反復されることになるからで、反復は後に確かめたところ、ゆうに10回を超えていた。

 実際、まったく同じシーンの10回以上にわたる繰り返し=REPLAYという事態は、興奮と苛立ちの入り混じった一種異様な雰囲気をもたらすものだった。まさにミュージックテープの巻き戻しを思わせる「リ・プレイ」で、そのループ構造の出口のなさ、終わりのなさは、死ぬことすらできない時間のメビウスの輪状態、覚めたと思いきや冒頭に戻っている永遠の夢の恐怖を思わせる。サザンオールスターズやビートルズ、Perfumeといった、これまた飛び切りの楽天的なポップスの楽曲が、反復のうちに狂騒の色を濃くし、平和裏に展開していた身振りのパラダイスを徐々にネガに反転させるのである。『オブラディ、オブラダ』のイントロのピアノが再びの始まりを告げて響き渡るたびに、演じる者、見る者双方に、どっと徒労感が滲みわたり、世界が何者かの手のひらの上で弄ばれていることを思い知らされる。何者かとは、いうまでもなく、君臨する演出家である。
 
 今回の舞台にはインターバルが設定されており、これが全体の構成にメリハリをつけるという意味でも、また再開後に反復の過酷さを倍増するという意味からも、大いに功を奏している。『オブラディ、オブラダ』を終え、床にくたばり果てているダンサーたちが、横たわったままの姿勢で、口々に台詞を交わし始めるのである。聞いていると、どうやらこの上演が終了したあとの打ち上げの席であるらしい。「お疲れー」と慰労しあい、運ばれてくる料理を分け合い、共にひと仕事をやり遂げたあとのさわやかな充実感が醸し出される。場所は焼肉店らしく、注文をとったり皿を運んできたりする店員のセリフも混じっていて、活気ある店内の空気や、仲間同士の気のおけない宴の様子が、突っ伏したままやりとりされる軽妙な会話によって活写される。宴を終え、店を出て、夜空の下をそれぞれが帰途に着く別れ際の情景までが、人生に稀に訪れる幸福なひととき、二度と再生=REPLAYされ得ない、かけがえのない時間として描かれる。反復構造の本編に対置された、反復されない生の時間である。しかもこの甘美なまでの台詞のやりとりは、即興的な部分もあったと見えるが、多田の描写力の成せるところも大きいのだろう。
 さて、この幸福な情景で終わってくれることを誰もが願い、しかしそれでは済まないのだろうとの予感に違わず、ダンスは再び始まる。それでも楽曲が『ラストダンスは私に』とくれば、ああこれで本当に踊り納めかと思う。ところがそれすらも裏切られ、時間の果てしないループ構造が甦るとき、そこに演出家の悪意すら見え隠れした。

 ところで今作『RE/PLAY』にはオリジナルの演劇版『再生』(2006年、2011年リニューアル版は『再/生』)があり、私はこれら演劇版の存在を、この日の上演後に知った。観劇した人の話やいくつかの劇評(*)によれば、3回にわたり場面が繰り返されるという劇構造の中で、回を重ねるごとに役者たちは疲労してゆく。その疲労する身体が示すところとは、反復されたそれぞれの回が決して並列の関係にあるのではなく、当の演技者にとっては直線的な時間の、一回性においての経験にほかならないという事実である――これが『再生』という演劇作品へのスタンダードな解釈とされているようだ。とすると、このスタンダードに対して、本稿ではどうやら真逆の読みをしてきたらしい。ここでは本作の力の源泉を、反復する劇構造自体に由来するものと見做した。この構造自体の前景化により、個々の身体レベルで生起しつつある諸々の現象や、個別の身体性といった細部は捨象されていった。だが多田淳之介が演劇版と同様の試みを今回ダンスに置き換えようとしたのであれば、ここは視線を身体に“おろして”見てみる必要がありそうだ。
 ここで鍵となる演技者の疲労に着目して再度振り返ってみるに、ダンス版である『RE/PLAY』においてダンサーたちは、その鍛えられた身体能力とスタミナによって、ほとんど疲労を表沙汰にすることなくパフォーマンスを全うしたと言っていいのではないか。いや疲労の色は濃厚に滲んでいたが、それは先述のように身体的な疲労というより、繰り返しの構造の終わりのなさ、出口のなさに対する息苦しさや辟易感のほうであったと私は受け取った。そしてこの辟易感さえも、ダンサーらの大半はイントロが再び鳴り出す瞬間に、最初の動作に入る前の一瞬の“溜め”の空気として漏らすのみで、シーンに入ってからは、むしろ己が身体能力の限りを尽くして、与えられた身振りやムーブメントを律儀なまでに存分に生きたのではなかったろうか。ひとり、ダンサーの松本芽紅見にいたっては、こめかみにピリピリと痙攣を走らせ、回を重ねるごとに怒りと苛立ちをあからさまに表情にして見せる。そしてその怒りや苛立ちをパワーに、舞台上での輝きをいっそう増していく。
 演劇版『再生』が疲れていく身体の現前をもって、生の時間の一回性を示したのだとして(それは演劇の特質であり価値でもあるだろう)、ダンスの身体はこれらの価値をただ従順に再現したわけではなかった。なかなか破綻しないダンサーの強靭な身体は、演出者にとって誤算であったかもしれない。結果、リ・プレイは回数を重ねる。聞けば反復は当初12回の予定であったところ、自ら音響卓を操作する多田淳之介によって、本番の舞台では13回に増やされたのだという。
 いつか訪れるはずの終わりを、期待しては裏切られるというループ構造を繰り返しながら、回を重ねるごとに疲労どころか死どころか、いのちの輝きを増していくそれぞれの身体は、劇構造の圧制・横暴に、身体言語のレベルから徹底抗戦していたのであり、構造vs.言語の攻防をリアルタイムで生きたといえる。その意味では、これもまた並列ではない、再現され得ない一回性の時間の経験であったと言えるだろうか。

* 劇評サイト「ワンダーランド」より高木登氏による『再生』劇評(2006.11.17投稿)、およびシアターアーツ51号より中西理氏による『関西からの発言』を参照

竹田真理(たけだまり/ダンス批評)

 

2014-09-29
見るためのタスク|「We dance 京都 2012」相模友士郎『先制のイメージ』


「We dance 京都 2012」 相模友士郎『先制のイメージ』(2月4日、元・立誠小学校 職員室)

提供:「We dance 京都2012」実行委員会

提供:「We dance 京都2012」実行委員会


はじめに

 私たちがダンスに向けるまなざしは自由ではない。近い例だと、多様な表現の溜まり場であるコンテンポラリー・ダンスにおいてさえ、数年来、誰もが手にする基本的権利であるかのように奨励された「面白い/つまらない」という価値判断が、コミュニティ外部から観客を呼び込む方便として大失敗した一方で、内部においてはダンスを見る眼をも苛むまでになった。経験上、この私的断定からは会話ははずむより終わらせられることが多く、自分と同じ嗜好の人間を選別する篩(ふるい)として用いられる場合さえある。なにより困ったことにその無邪気な濫用は、「我選ぶ、ゆえに我あり」といった、目下方向転換を迫られている主体のありように訴えるショウケースに、他の商品と同じ感覚で手を伸ばせるようにダンスを陳列する統一基準としても作用した。そこでは反スペクタクルの伝統とつながりを保つコンテンポラリー・ダンスは、商品価値を至上のものとしてシェアを競うスペクタクルや、市場の「ニッチ」に居場所を求める個性的・実験的作品と並列される。道理でダンスの担い手の生活はいつまでも立たないし、創作を鍛える場とモビリティ、その知や技術を社会の財産として守れるかも危うくなってきた。同様に「君の見たいように見、感じるところに従っていい」というメッセージも反復されるほどに、まなざしを覆う慣習を隠蔽し、新たな自己規制ともなるだろう。注意を促したいのは、一元的な価値観に均された日常のものの感じ方、見方を超えたところへ私たちを連れ出そうとし、他のあり方を垣間見せようとする野心的なダンスとの対話を、これら一見デモクラティックな視点が阻害する側面を持つということだ。人の知性に対する信頼に支えられ探求心を駆動力に大胆に跳ぶ作品と、私たちは高確率で出会い損ねるような歴史的状況にある。

 『先制のイメージ』(演出家:相模友士郎、ダンサー:野田まどか)は、踊る身体を見るに先立ち私たちが抱くまなざしの構えを、引き出し通過させてゆくドラマツルギーを持つ。見所は、それらが積み重なってゆく過程、あるいはまとめて取り去られた瞬間、私たちが何を見るのかというところにある。先の危機感を持つ筆者にとっては、その途上で、視覚の枠組み・方向づけが、一つ一つ目から引き剥がされ枚挙されていったことも興味深い。それにより私たちは、どのような眼鏡をかけてダンスを見ているのか、各々吟味できるようになるからだ。その意味において、本作はメタ・ダンスと呼ぶに値する。
 幸いその眼鏡はテクストを手がかりにある程度再現することができる。そこからうかがい知れる作品の骨組みはしつこい咀嚼に堪える上、過去や未来の別の作品とも呼応するだろう。現時点での鑑賞の概要を記録しつつ、本作の批評性を取り出すことを以下に試みたい。

舞台の上の三つ組みと第三の視覚

初めに登場するものたちの相関関係を見ておこう。公の情報にもとづけばこの作品は、ダンサー野田まどかのソロ作品と受け止められる。だが実際の舞台上には、彼女のカウンターパートが二つ登場し、それにより三組の相補的な関係が成立している。彼女と出演時間を二分する一個のコカ・コーラの空き缶と、二者に相対する作家の相模である。
 缶は、冒頭でいかにも位置が肝心ですという素振りで舞台中央にディスプレイされ、途中で同じ位置でダンサーに取り替えられることで、前半と後半の対称性を明らかにする。さらにダンサーが人形遣いになる最終局面では、人形に見立てられそのパートナーをつとめもする。関係としては(たぶん)対等なこの二つに対し、舞台上に置いた音響卓を拠点に逐一をコントロールして見せる演出家の相模は、一見、主の関係にある。作家の言葉と音楽を駆使し、従順な二つの対象の在り方と見え方を決めてゆくからだ。一方で、こうして明示されている現場の力関係は、あくまでも相互に協力しあって成立している。詰まるところ演出家も缶も、ダンサーから物理的パフォーマンスを引き出し、それに虚のイメージを被せることに従事しているのだから。先取りして言えば、この舞台上の三者は密に組んでより重要な役割を、彼らのパフォーマンスとイメージの間を行き来する観客に与えている。『先制のイメージ』は、私たちの見るという行為を通して視覚(vision)を探求する道程である。

視線の(re)flectionを引き起こす術

 本作の主眼を視覚の形成プロセスにみる理由は、演出家の言葉が見るという行為に段階的な設定変更を迫ってゆき、それによりパフォーマーの見え方がどんどん変わってゆくからだ。とてもダンスらしい作品である。ただこの変容は、踊る主体からはまず出てこないだろうと思われるような、ユニークな手法に拠っている。その特徴は、対象へ迫るためではなく、対象との間に距離をうがつ言葉の遣い方に表れている。心理的な作用を計算したその振幅の制御は、演劇よりも音楽に近い。
 例えば冒頭で演出家は、かつて入っていたであろうが今目の前にはない缶の中身について観客に思い浮かべさせた上で、この清涼飲料水に関する誰でもアクセスできるテクストを長々と読み聞かせていった。実はこの間私たちは、言ってみればゴミ同然の飲みガラを、欲求、読解、鑑賞、消費etc…の対象として眺めさせられていったのだが、まだオブジェとイメージの乖離には気づかない。それどころかコーラの缶を前にコーラの情報を聞くなどそのままではないか、と暇にまかせてコーラ像をあれこれ肥大させてゆきもするだろう。ところが言葉に従い物に積極的に意味を読み込んでゆくという劇場でのデフォルトの鑑賞態度を増長しておいた上で、演出家は唐突に視線の対象を交換してこれを揺るがせたのだ。
 その時起こったのはイメージのリセットではなく、視線の四方八方への屈折だ。まず、イメージの投影先あるいはイリュージョンの支持体を失い目の前の対象を見つめれば、音楽ともテクストとも直接のつながりの見いだせない、成り立ちも構成論理も定かでない不思議なムーヴメントが淀みなく行われている。読む構えを手放せない視線は、その背後や手前、過去をさまようだろう。作家が見せようとしてきたのは何だったのか。私は何を見ようとしてきたのか。今目の前にあってイメージの投影を拒むものはなにか。にもかかわらず目が離せないのはなぜか。このように、ダンスとは相容れない視覚の方向づけを備えるオブジェを同じ物理的設定の中で結びつけたことにより、劇場という制度空間の中でダンスを見るという慣習の内にあってはあまり意識されない問いが浮かび上がってくる。それは、類としてのダンスをめぐるあれやこれやではなく、鑑賞者である自らをも含むこの具体的な関係の中でダンスを”見る”ことをめぐるものであり、その中からハビットや制度空間への気づきや、自らの視覚を観察するような俯瞰の視点さえ生み出されるかも知れない。
 一方、ほかならぬコカ・コーラの容器は、外見上の類似(ただし缶ではなく瓶とだが)をほのめかすテクストの一節を機に、ダンスもまた同様に視線の客体、そしてイメージの投影面となる「ボディ」を持つことを思い出させる。つまり前半でこの世界最強の商品に次々呼び出されたであろうイメージ群は、踊る女性に投影される可能性もないわけではないということ。うがった見方をすれば、体験するものが見られるものとなり、資本主義と結びつき、グローバルに世界を駆け巡る物語や記号性や付加価値を獲得し・・・といった過程には、舞台上で動く魅力的な身体が今日のようなかたちで受容されるに至る歴史的な過程で、先人達が獲得しては克服してきたダンスのあり方との符合を読み込めなくもない。あるいは歴史を呼び出さずとも、同じ空間にいる生身の人間がモノと交換可能であり、オブジェのように一方的に眺められもすると気づくだけで、後半への助走は十分だ。その違和感と延々続いた静止に対する解消となるムーヴメントに自ずと焦点が移れば、”踊る女”を近代の芸術として眺める準備ができたことになる。ちょうどモダンダンスのパイオニアたちが、性別や人種や容姿など先天的な属性により余計な読解格子を起動しかねない肉体から、その場で生成する運動へと視線を誘導したように。

意志的に選択して見る主体の限界

 以上のようなやり方で、言葉に分節された意味から知覚へ、イリュージョンから現物へ、そしてボディからムーヴメントへと、鑑賞の焦点が移された。これ以降は演出家がダンサーに指示を与え、ダンサーがそれを汲んで再解釈するといったことを繰り返す中で先のシークエンスが彫琢されてゆき、観客はあたかもオープン・リハーサルに立ち合うかのように来るべきダンスの誕生に目をこらすだろう。ただ、ここで期待される純粋なムーヴメントとの対話は、容易には叶えられない。踊ることと並んでそれを見ることは、言葉に対して遅れた状態に置かれているからだ。とりわけ新たなオブジェに対する意味の宙づり状態の後で演出家の説明に解消を得た観客にとって、ダンサーへの指示はそのまま、このように見よ、という拘束力を持つだろう。演出家はこの反動を利用して引き続き視線を先導し、逆説的だがそうすることで視覚の自律を促してゆく。
 ここで自律という言葉をあえて出したのは、先の転換点で生じた予期にもよるが、ダンサーに対する演出家の言葉に、常にアンビバレントに作用する複数の方向づけが含まれていることによる。例えば最初のリプレイの前には、新しいオブジェが「ダンサーの野田まどかさん」と紹介され、シークエンスが1月16日の起床から稽古場に来るまでの彼女の動作に由来することが明かされる。字義通りにとればダンス以前の日常の所作の再現が、ダンサーという職能を備えた個人に演じられるのをどう見ればよいのだろう? 以降も動きのリプレイに先立ち身体運動の諸相を切り取る対立概念—たとえば言語に即した再現性を強めつつ言語から差異化される流れを持続させるなど—が、交互にあるいは同時に視線の枠組みを揺さぶってゆく。行き着く果てには、通常は切り離すことなど思いもよらず、完璧な一致こそダンスの理想とされてきた、踊る演者と踊られる振付—あるいは過去の野田の動きと目の前で動く野田—が意表を突くやり方で分離された。この大詰めでは、複合的な現象をどの視点で見るかはもはや問題ではなく、演出家が指示するヴァーチャルなムーヴメントとダンサーが展開するリアルなムーヴメントの間で目の焦点は引き裂かれる。さらにその只中、演出家は自らの指示をご破算にする素振りとともに退場する。いよいよさあさあ何が見えますかと試されているように思われる。
 正直に言うと、筆者はそこに至るまでの段階をいくらか踏み間違えた。演出家の指示を、どちらにも見えうるがどちらに焦点をあてて見るかという選択肢と受けとめ、より”ダンスらしい”と思えるほうを選択していったからだ。同時にその選択において、慣習的なものの見方を批判して削ぎ落としてゆくことで、未知の視覚へと至るとも見込んでいた。それは、前半から後半への転換にモダニズム的な純化という方向性を認めたからでもあるし、ダンスに対置されたザ・消費財から連想される市場原理に飲み込まれた生産プロセスに未だ回収されていないものを、本作の当然の帰結と捉えたからでもある。
 だが未来の視覚を求めるならば、このやり方はわりとすぐに行き詰まる。後半見るという行為は、演出家に見よと言われたもの自分が見ようとしたものいずれに傾いても、予告されたものを追認する作業となるからだ。言葉で分節された指示から予想されるものは、同じ指示に基づくダンサーの解釈を容易に想定内に飲み込んでしまうだろう。おそらく本作で私たちが手にしていた可能性は、このように準備された選択肢から選ばされることの中にはなかったのだ。その間ずっと、別の可能性は野田のダンスにより示されていたのである。

見るためのタスク
 
 これまで特定のカンパニーに所属せず、数名の作家や指導者の作品で磨かれてきた野田は、本作で、ダンサーとして筆者が目にした中で最高のパフォーマンスを発揮したと思う。その方向性は、多数の視線の欲求を刺激し満足させるスペクタクルでも、今時の舞台芸術でもてはやされる輝かしく消尽する生け贄でもない。強いて喩えるなら、クライストが生きた舞踊家には不可能と論じたマリオネットだ。精神の働きを持たない人形は自然の法則のみと調和し、人間には到達できない動きの美を実現するとされるのだが、本作での野田もまた、自らの独創性でなく生活の必要に由来する動作を、指示されたとおり、動かされた動きとして遂行する容れ物に徹していたからだ。ではその強度はどのようにして生み出されていたのか。複数どころか互いに相容れない方向性を含む指示を、すべて同時で遂行することによってである。
 この演出のダンサーへの作用は、ポスト・モダンダンスの実践における「タスク」に似たものとして理解されるだろう。タスク*とは、身体とそのあらゆる延長を管理する主であろうとする自己、特に踊る主体が陥りがちな”表現する私”の支配下を出て動くために、パフォーマーに与えられる任意の作業のことだ。容易に内面化されないよう、主体との隔たりとともに程良い負荷を備え、上演作品においては、本作のように何がパフォーマーを動かしているのかを明示する効果的な設定もされる。もっとも通常は即興で用いられる方法論なので、再現に方向づけた本作の稽古がどのように行われたかは興味をひくところだが、反復のうちに自動化する度合いを、時間の進行とともに累積してゆく指示の負荷が上回るように塩梅しているのだろうか。最後のリプレイの前の指示には、それまでやったこと「全部」に「人形」の見立てが加わったのだが、それは過去の修正をすべて現在時に想起しつつ、並行して、習得したムーヴメントから身を引き剥がすように外からそれを操作しかつ外から操作されるように動けということを意味する。想像を絶する忙しさに違いない。しかしこうして分解してみると、同一の振付をその都度一回性の出来事として再生するダンサーというのは、すべからくこのような体験の構造をしているのではないだろうか。
 そのようにダンサーが行っていることを、つまり自らが身を置く「今ここ」ではない時空や関係へと拡張しているダンスを、同じ様にすべて見ようとすること。それは、ダンスという複合体を理解しやすい表象に還元したり手持ちの読解格子で分節したりして、そこからこぼれるものはなかったことにする”芸術の理解”とは対極にある、未来の視覚へのタスクである。つまり踊るためのタスクを、見るために転用する中に、ダンスを見るという主体的な行為にすり込まれたパターンを脱する鍵がある。それは、視点と焦点の間に限定された視野にとどまる私たちが気づき得なかった、見ることに際して発揮されるべき身体の可能性ではないか。そして、プロセスの中でその都度指示を選ばずまるごと引き受けてきた観客にとっては、この可能性を追うことは困難ではないはずだ。

おわりに

 美術や音楽における重要な仕事は、視覚や聴取の発見から数十年を経た1990年代以降ますます、受容–すなわち多様な個人の生活領域との接続可能性を孕む拡大されたフィールド–の探求とともに成し遂げられる傾向にある。それは舞台舞踊においても同じである。本作もまた、ダンスの可能性を、近代以降ダンスの主流であったムーヴメントの彫琢に任せきりにせず、それと連動した見る者の身体に根ざす視覚の陶冶において探っている。ダンスを踊る/見るという相関する行為の構造を解剖し、別の見方へとぐいぐい引っ張ってゆくプロセスの設計は、鑑賞者自身のまなざしを反射することもないではないがそれと対峙させるような拘束力を持つ作品の稀な昨今、際立っている。途上で私たちは、劇場における視線を枠づけている矛盾や、見るという行為の近代のあり方の限界など、見る力を窒息させるスペクタクルに溢れた日常に対する批評的モメントに触れたはずだ。その解決は、過去の幻視者たちから汲み取ってきたに違いない知恵により、未来を志向する主体の盲点を回避することでもたらされているのだが、この過去へのまなざしにより、劇場という可能性の場に身を置く私たちの身体に潜在する視覚が、カメラ・オブスクラから引き継がれつつ展開を待っている未来のそれにも接続するように思われる。
 『天使論』と名を変えた本作の再演は9月23日に催される。>>>http://www.sagami-endo.com/

*ポスト・モダンダンスの諸々の実験を踏まえた「タスク」について、詳しくは、ものを作る人見る人向けに噛み砕いた木村覚『未来のダンスを開発する フィジカル・アート・セオリー入門』を参照のこと。

古後奈緒子|こご・なおこ(ダンス批評、dance+

 

2014-09-29
虚構/嘘という「現実」―二階堂瞳子とバナナ学園純情乙女組へ―

虚構/嘘という「現実」―二階堂瞳子とバナナ学園純情乙女組へ―
バナナ学園純情乙女組『翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)』(5月24日王子小劇場

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王子小劇場で2012年5月24~27日まで上演された、バナナ学園純情乙女組『翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)』。この作品が公演終了後の28日、ツイッターを通じて問題視され、ひと騒動になった。問題そのものは6月2日、劇団のHPに謝罪文が掲載されたことで、表面的には沈静化に至った。しかし、当公演を24日の21時に観た者として、この騒動が一体何を示しているのかを考える必要があると感じた。そこで、1.一連の経緯、2.騒動に対する私見、3.本作とバナナ学園純情乙女組評の構成で、以下に記す。
その前にひとつ告白しておく。問題視されたシーンはいつのどの公演で起きたのかは明らかになってはいない。後半日程には演出自体がなくなったとも聞く。それを踏まえた上で、私にはそれと思しきものを目撃した記憶がある。私が座ったのは上手通路側の一番後ろで、該当シーンとおぼしきものは下手寄り最前列で行われていたように思う。類推でしか語れないのは、その最中にいくつかのパフォーマンスが同時に行われていたため。そのことで注意が散漫になり、件の場面も単にひとつの舞台構成要素として片付けてしまった。とはいえ、問題視された公演が私の観劇日に行われたのだとすれば、危険を抱かなかった点について反省せねばならない。
誰が加害者で被害者かという問題も当然のことながら、それ以上に虚構という名の嘘に安住する、現実感覚を欠いた心性が問われなければならない。虚構を成り立たせるのは現実原則であり、容易にそれへと変転することを捨象すれば、様々な問題を引き起こす。たとえ、一切の行為が創り手側による作為的なもの、すなわちパフォーマー同士による〈ヤラセ〉だったとしても、観客はひっかかりを覚える程度には常にアンテナを張っておかなければならないのではないか。観客を危険に巻き込まなければ何をしても良いということで、パフォーマー同士による作為があったとして、もしその一方が大きな被害を負うなどのアクシデントが起こればどうなるか。たちまち劇の虚構は崩れ、現実が貌をもたげるだろう。我々は、虚構とはいかに脆いものなのかを知り、その自覚を持たなければならない。でなければ、この集団が引き起こしたような問題は、今後も繰り返されることになる。そのことは後に詳述するが、まずは問題の経過を追ってみよう。
事の発端は、本作品を観劇した女性客が舞台に上げられ、男性俳優から不本意な扱いを受けたことにある。精神的苦痛を受けた女性客は知人に相談。一件を看過できないと判断したその知人が、本人に同意を得た上で事実をツイッターに公表した。内容はツイッター上でまたたく間に多くの人に知られるところとなり、波紋を広げた。ある者は、衆人環視での辱め、それも性に関わるものである点で犯罪と、バナナ学園側を強く否定。またある者は、非日常空間である劇場はそもそも安全地帯ではないという、劇空間の特権性を主張して集団側を擁護した。中には、観客は身の危険を負うことも含み込んだ上で劇場へ足を運ぶべきであり、自主的に参加した以上、あらかじめ一切を許容したことになるという意見も見られた。
このように、大きな反応を呼んだ同28日、王子小劇場代表・玉山悟氏は劇場のブログにて、「あるお客様に対して過剰な演出による不快感を与えたとみられることに関し団体担当者と協議をしました。」と記載。続けて、「現在団体は状況の確認がとれ次第謝罪する方向で当事者の方と連絡をとる努力をしているとのことです。」と記した。一方バナナ学園側は31日、「観客の方のお気持ちを深く損なわせてしまった件に関しまして当該本人との連絡」を取ったことを劇団HPに報告。そして6月2日、「ご本人と5月31日時点でお会いし、事の真相をご説明した上でご不快な想いをさせてしまった事に対してお詫び」し、「この度の一件を劇団として真摯に向き合うべき課題として受け止め」るとHPに記した。この顛末からは少なくとも、劇団側が非を認めたことは了解されるが、事実内容についてはデリケートな問題を含んでいるため、今後も明らかになる可能性は低い。その上、こと記録に残り難いのが舞台芸術である。この件はツイッターで一人歩きし、感情的な意見が多数、投稿された。もちろん、建設的かつ客観性を担保しようと努めた意見にも出くわしたが、それも多くの罵詈雑言に埋もれがちになった。6月2日に劇団が謝罪報告をするまで、演劇はネット言説に晒されたのである。
その一か月後の7月2日、フェスティバル/トーキョー12(F/T12)の「公募プログラム」枠への「参加取消し」が、F/TのHP上で発表された。フェスティバル/トーキョー実行委員会実行委員長・市村作知雄名義の文面には、「『バナナ学園純情乙女組』主催公演中に劇団が起こした事態について、劇団からの報告を受け、検討を重ねて参りました。今回の事態はF/T実行委員会が参加団体に求める一定の基準に反するものと判断し、同劇団の公募プログラムへの参加の取消しを決定いたしました。」と記されている。F/Tは決して少なくない都税が投入されるフェスティバルである。公序良俗に照らし合わせた結果、相応しくないとの判断がなされたのだろう。とはいえ、バナナ学園は昨年のF/T11「公募プログラム」には参加している。F/T主催者側には是非、一連の経緯をどのように考えて「参加取消し」を決定したのか、去年と今年の落差を生んだ「一定の基準」の根拠を明らかにしてもらいたい。下した結果の是非を問うことよりも重要なのは、F/T側の芸術観を発信した上で公共的な議論の場を湧出することである。それも、都税で運営される催しが果たす役割の一つであろう。
 
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 ここからは、騒動についての私の意見を述べる。結論は、バナナ学園側の謝罪を支持するというものだ。というよりも支持せざるを得ない。意図せず舞台に上げられ、直接体に触れられたことで精神的に屈辱を受けた―そのように相手が感じたとすれば、行為者の意図は別のところにあってもアウトであろう。セクハラやパワハラ、痴漢と同じである。性的、精神的な問題は、権力者から被権力者へ行われることが往々にしてある以上、立場の弱い側の意見が重用される。演劇的/芸術的な理屈付けをして擁護すればするほど、「社会通念」との乖離が深まり、演劇を貶めることにしかならない。事実、劇団側が対応し非を認めた。当事者同士による加害/被害関係が成立した限り、劇団に残された道は円満解決に向けた誠実な対応しかない。それは6月の報告で前向きに進んでいることだろう。
我々にできることは、この件から演劇の問題を取り出すことである。いくつか考えられる問題としては、舞台芸術における猥褻行為とは何か、観客を巻き込むパフォーマンスとは何か、劇場とはどういった場所なのか、そして虚構と現実とは何か、などがある。私としては、最終的には虚実を巡る問題へと収斂するのではないかと考える。すなわち、虚構もまた「現実」であるということである。虚構の劇空間を創出すべく行われる一切の表現は、それが実際に舞台上で生身の人間、あるいは装置などが存在する限り、「本当」であるという当たり前の事実である。したがって、観客を巻き込むパフォーマンスも、それを担う側がいくら嘘/虚構だと主張したところで、本当である限り、意図せぬ受容をされる可能性は大いにあり得る。ただし、その線引き、今回の問題で言えばセクシャリティに関わる境界線は、必ずしも一般化して規定できるものではない。劇団側も記しているように、「多様な価値観が混在する観客」がいるからだ。したがって、加害/被害の権力構造を生み出す劇場は、その限りで「社会通念」が十分適用される公の場所であり、決して治外法権が認められた「何でもあり」の非日常空間ではない。虚構には、嘘を成り立たせる「現実」が作用する以上、すぐさまその皮がはがされてしまう脆いものなのである。このような、ともすれば忘れがちな当然の原理を、今回の一件は明らかにしたのではないだろうか。私を含め、舞台空間を共有した者が現実原則という装置をはずして客席に座っていたことにより、劇場から出れば奇異に受け止められる出来事が、その場では気付けなかった。つまり、物理的に閉ざされた場所で醸成された、現実感覚なき虚構性が社会通念を忘却させ、観客が件のシーンを見過ごすという集団的な暴力を生んでしまったのである。
そのことは深く噛みしめつつも、逆にいえば、虚構という現実が、劇場の外のそれと地続きであり相互貫入的であるからこそ、両者の「現実」は激しく対峙することが可能になることも強調したい。すなわち、〈現実へ容易に転化する虚構〉と、近々では3.11以後に顕著となった感覚、〈虚構とすら思える現実〉との格闘である。その格闘を通して、我々は新たな「現実」の捉え方を得ることができる。これは紛れもなく演劇が持つ力である。しかし、そういった緊張感を生み出そうとするなら、やはり虚構の脆さと危険性を、我々は自覚しておく必要がある。それを踏まえて、舞台と観客との対等な関係を維持し、「間」で交わされる豊かな想像力を生み出すにはどうすれば良いのか、共通コードを探るべきである。もちろん、それは創り手だけでは達成できない。また、支配/被支配は観客から創り手へ及ぶこともあり得る。そういう意味では、観客も豊かな「間」を創るべく積極的に参与する行為者であるべきだろう。
そのことについて考えた時、バナナ学園擁護の意見の中には、創り手と観客とが共犯関係を取り結び、荒々しく官権力と格闘した60年代小劇場演劇を持ち出すものがあった。確かに、かつての創り手と観客は、共通認識を持った同志的関係であったかもしれない。しかし、スキャンダルやハプニングという事象だけで今回のバナナ学園の件と結びつけ、「演劇とはそういうもの」と擁護する意見には同意しかねる。時代が違うが故、60年代に孕まれた思想と現代とは隔絶しているからだ。演劇革命世代のスキャンダルを伴った上演は、国家権力に代表される、穿つべき存在に向けて行われた側面が多々あり、観客はそこに加担するという意味で同志たりえた。しかし現在は、そういった存在を敵として措定することが大きな意味をなさず、加えて方々へと縮小・分散している。その一端を示すのが、企業活動をはじめとするコンプライアンス(法令順守)を求める社会状況だ。相互監視・自己規制が網の目のように張り巡らされている社会では、本当の敵はどこにあるかが分からない。これが「社会通念」となった時代では、スキャンダルの内実はかつてと異なってくるはずだ。この状況が所与のものとなった社会をどう捉えるかは、別途考えるべき問題を孕んでいる。それでも、この時代における創り手と観客との関係を探るためには、まずは時代性を把握するべく、一旦受容することが重要だろう。それらを無視し、スキャンダルという事象の共通点だけで過去を持ち出せば、演劇革命から40数年の時を経て、〈オタク的〉と称されるほどには一般化(?)した小劇場演劇の歩みを後景に追いやることになる。安易に過去に依拠することは、演劇の本質から目を背けることにしかならないばかりか、演劇プロパーによる、もうひとつの暴力につながりかねない。

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最後に、バナナ学園純情乙女組による本作について、これまで観た作品も含めて触れてみたい。今回の事態とは別の観点から、すなわち作品自体を俯瞰してみても、創り手と観客との豊かな関係が生まれにくいものであったと感じる。
この集団は、「おはぎライブ」と呼ばれる公演形態で人気が上昇した。そこでは、大音響でアニメやゲームなどのサブカルチャーに属する音楽と映像が止めどなく流れ、それに合わせて数十人の俳優たちが歌い踊り、もはや聞き取れず音となった台詞をがなり立てる。同時に、バケツや口に含んだ水を観客に浴びせかける、昆布やコンドームを投げつける、観客内へ俳優が乱入して観客に語りかけ、膝の上に座るといったパフォーマンスが展開される。こういった趣向であるから、最前列及び俳優が行き来する通路側の客席は自然、最も「被害」を受けてしまう。
このカオティックでかつポップな狂騒は、少なからず「演劇」外の人々にも支持されていることは、フェスティバル/トーキョー11で上演された『バナ学バトル★☆熱血スポ魂秋の大運動会!!!!!』(2011年10月、シアターグリーン BIG TREE THEATER)にて了解された。
私の隣に座っていた観客が、劇中で歌い・踊られるオリジナルのテーマ曲に合わせ、共にパフォーマンスを展開したからである。彼にとっては、アイドルイベントへ参加することと同様に、バナナ学園のライブを捉えていたのだろう。この光景から、AKB48のキャッチフレーズ、“会いに行けるアイドル”を連想させられたが、演劇とはそもそもそのような俳優と観客との出会いを仕掛けるものではなかったか。そう考えると、バナナ学園は演劇の大衆的・芸能的な本分のひとつを示す集団であると考えられる。だが、それだけでしかないなら、好きな俳優を見に行くファン心理と変わらないばかりか、狂騒的な空間や空気への無抵抗な没入を生んでしまう。
私はそれとは異なる位相で、表現することの意志を創り手に感じていた。無思想な作風を支える熱度の出所がそれである。この集団の舞台に初めて触れたのは、『バナナ学園★王子大大大大大作戦』(2011年5月、王子小劇場)。そこでは自衛隊入隊を扇動する横断幕をはじめとし、右派のモチーフが登場した。続く芸劇eyes番外編「20年安泰。」内の『バナ学eyes★芸劇大大大大大作戦!!!!』(2011年6月、水天宮ピット大スタジオ)では、学生運動を想起させる色とりどりのヘルメットを被った俳優が登場し、左派色が押し出されていた。つとに言われるように、二階堂瞳子の演出は体育会系、軍隊的統制がとられており、一見めちゃくちゃに見える俳優の動きもきちんと演出がなされているという。そこに引きつけて考えれば、右派・左派のモチーフは、規律的な集団行為を演出するために持ち出された道具ということになる。にもかかわらず、舞台からは圧倒的なエモーションを感じさせる。この集団の、それら種々の要素を舞台に上げるために傾注されるエネルギーの出所は一体どこから来るのか。そこが気になっていた。参考になるのが、劇評サイト『wonderland』でバナナ学園の問題に触れた水牛健太郎の論考である。水牛は、BATIK主宰・黒田育世がかつてこの集団のパンフレットに寄せた文に触れつつ、「コミュニケーションへの恐れと、だからこそ、いっそう、コミュニケーションを求める、燃えるような気持ち。乱暴狼藉と裏腹な、慎ましいパフォーマーたちの素顔」が垣間見えると記した(6月6日掲載「いわゆるバナナ事件について」)。
バナナ学園の表現する根拠が上記のものだとすれば、本作はそこから逸れたものであったと言えよう。ドラマトゥルクに青年団の制作・野村政之が加わったことで、チラシに記されている通り、ずいぶん「演劇」になっていた。シェイクスピアの四大悲劇の登場人物が入り乱れ、血で血を洗う抗争の果てに全員が死ぬという「あらすじ」があり、所々、ピンスポットが当たった俳優の一人語りも挿入される。さらに、チェーホフ『かもめ』のマーシャが現れ、「生きていかなければねぇ」と台詞を聞かせるシーンもある。確かに、部分的な台詞以外はほとんど聞き取れないため、「あらすじ」はあってないようなものである。しかし、原典をある程度知っている者にとっては、アクセスしやすい大枠が与えられたことにはなる。つまり、作品として途端に理解しやすいものとなった。そのことで、「演劇」をするという目的はある程度達成されたかもしれないが、「おはぎライブ」の形式で行う必要があったのだろうか。肝心の俳優のパフォーマンスは、シェイクスピア劇から抽出した、激しい恋愛や権力欲を巡る闘争を通し、破滅へと疾走するエネルギーを発露させてはいた。しかし所与の物語にそれらが供与されているため、俳優たちの生の根拠が晒されるまでには至らず、舞台内で完結している。結果、俳優たちの行為は、死=終わりに向かって狂騒するという「あらすじ」をなぞるだけになっていた。むしろ内実が伴わない熱狂は、死ぬまでの間にバカ騒ぎをするという、自分たちの現状の肯定のようにすら映った。ここからは、「コミュニケーションを求める、燃えるような気持ち」は感じられなかったのである。3.11以後、若手集団の作品には、生の称賛が散見される傾向にある。とりわけ倫理や道徳が取り上げられる作品は、生の根源に降り立つように見えてその実、自己承認の口実なのでは、と思わされる節がある。劇場に丹念な養生を施した上で汚し、大音量の音楽を流して聞き取れない台詞をがなりたるバナナ学園の本作の思想が、それらと変わりがなかった点は残念に思う。
そういう意味で、単なる狂騒を目指しているのではなく、もう一段階、未成の何かが込められていると感じさせたこれまでの作品と比すると、一歩も二歩も後退している。男女が糸電話で会話する「つながり」の希求や、これまでの激しい流れを裁ち切るように石川さゆり『天城越え』や西田佐知子『アカシアの雨がやむとき』といった昭和歌謡をカットインさせ(本作では美空ひばり『川の流れのように』)、しっとりさせる場面を作るなど、定番のガジェットと化した要素が繰り返されているのも気になる。オタク的感性を持ち合わせた者を魅了してきたバナナ学園は、本作で「演劇」を試みることで、これまで「おはぎライブ」に乗りきれなかった観客に対し、ある程度の間口の広さを提供したかもしれない。だがそれは、ファン心理の醸成、あるいは作品への没入を促すことにしかならず、結局は狭い型に観客とともに閉じ込もることを意味してしまう。
作品創作に対する緩んだ姿勢が今回の一件を生み出したのか、それとも出来事が起こったからこそ作品と集団にミソが付く結果となったのか。どちらに騒動の原因があるのかは、割り切って判断できるものではなく、両義性を孕んでいる。とはいえ、劇空間内で生まれた「事件」の総体が演劇であるとすれば、今作は観客侵犯方法・作品内容共に、安易さが目立ったと言わねばなるまい。私がいまだ掴みかねているエネルギーの出所、いわば表現することの根本思想を今後も本気で追求するのだとしたら、別に「おはぎライブ」の形式にこだわらなくてもできるはずだ。今後の創作において、必然的につきまとう色眼鏡を避けるためにも、新たな方法を探っても良いのではないか、そのように私は考える。
ここまで書き進めた時点で、また事態は大きく動いた。F/T公演の前に、こまばアゴラ劇場が企画するサマーフェスティバル〈汎-PAN-2012〉で公演予定だった『バナ学全学連の逆襲伝2012(仮仮仮)』(9月5~10日)も公演中止、同時にバナナ学園純情乙女組の解散が発表されたのだ。こまばアゴラ劇場の支配人・平田オリザは7月14日、劇団側と「どのようにすればお客様の安全を確保した上で公演を継続できるかを、お互い真摯に話し合っ」た結果、「劇場としても苦渋」の上演中止を決断したと劇場HPに記した。また、騒動以後、公式コメントを控えていた二階堂瞳子も同日、劇団HPにて「今までバナナ学園純情乙女組をご観劇、応援してくださった全ての皆様へ」と題した文書を発表した。そこには、この度の事態が「一人の俳優の暴走であった」としつつも、「その行為があった時点で歯止めをかけることなく見逃してしまった」ことから、「全責任の所在は、主宰である私にあります」と総括している。そして、「バナナ学園純情乙女組は、次回の公演をもって解散をします」と続けた。公演時期や場所は未定でまだ白紙の状態であること、それ故、「もしかしたら、公演を行うことができないかもしれない」とも付け加えた。
 ここから先は、本論での範囲を超えているため、記述は避ける。ただ、公演を行えば私は観に行くことだけは記して、筆を擱く。

藤原央登(ふじわら・ひさと/劇評ブログ『現在形の批評』[http://plaza.rakuten.co.jp/playplace83/]主宰・[第三次]『シアターアーツ』編集部)

 

2014-09-29
爪先立つ現在|淡水「魚企画 VOL.4」

淡水「魚企画 VOL.4」(2012年6月16,17日カフェ&ギャラリー CAN TUTKU
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 コンテンポラリーであるということは、素手で対価なく与えられるものではなく、そうあろうとする強い意志が伴わなければならない。しかもそうであるというお墨付きはない。ということは、それは主観的なことなのですね、ということで収められてしまうのか。
淡水というあっさりした名を持つダンスパフォーマンスカンパニーから、なぜ現在性を感じられるのか。それは何より、転倒寸前の爪先立ちにおいてである。それは概ね(当然とはいえ)、速度ののちの突然の停止によってもたらされる。
目新しいものではないだろう。しかし、その停止がメタファでなく、直接的な出来事の共有として経験されるのは、その空間が共有可能な場として成立しているからで、それはなぜか。
もちろん会場の特殊性をうまく使ったこともある。ここは淡水にとって初めての会場だったが、通常アクティングエリアとして使われる奥の空間、そこと入口とを結ぶ細い通路、入口周辺の椅子、入口のシャッター、外の公道のすべてを使うことで、観客もそのすべてを見届けようと動くことになったし、同時並行的に複数の場所で行為が行われたことで、観客は何を観るかを選ばなければならなくなった。
選ぶことで、没入が生じる。それは、一方を観ていないという焦燥を伴っている。様々な意味で、観客を前のめりにさせる仕掛けが整っている。結果論ではあろうが、それがこの公演の一つの前提だ。
では、菊池をはじめとするダンサー自身は、どのような動きを獲得していると言えるのだろうか。
彼らの多くは特定のジャンルのダンスのテクニックを集中的に習得した経験はないようだが、中で菊池のソロには、上質なヒップホップがドライヴする時のグルーヴを感じさせるようなことがある。特にヒップホップを熱心に学んだわけではない菊池が、なぜそんなヒップホップの真髄めいたものをきらめかせるのだろう。
ヒップホップは、そのファッションスタイルだけではなく、動きの流麗さと佶屈さの落差の激しさによって、時代の空気をつかみ取っているのではないかと思う。その落差を自分の身体に流し込み、溢れさせることによって、ある種の全能感が生まれることもあれば、収縮感にとらわれることにもなるのではないかと。
おそらく菊池は、そして淡水の面々は、ヒップホップを通じることなく、そのような落差が自分たちのものであることに、気づくことができているのではないか。
それは、マクロにもミクロにも、菊池やメンバー、そして彼らの世代、今を生きるぼくたちが抱えている何ものかと、深く鋭く響き合う。
メンバーの重里実穂も井上大輔も、ソロや別のユニットで様々な切迫を……緊張や昏迷やすれ違いや孤立を……飛散させている。頼ったり逃げ込んだりする既存のテクニックを持たない、保証のなさが、彼らの爪先立ちを際立たせる。
ダンスでも何でも、現在の表現であろうとするものは、何ものにも保証されていない孤立した不安を背負っている。それは徐々に、所謂うまくいけば、認められ評価され、権威となって安定し、初期の不安定な輝きを失いかける。その時に、再び地点ゼロに戻れる勇気があるかどうかが、常にフロントにあり続けるかどうかを分けるだろう。
淡水を観終えた後には、完結しようとする一つの世界に立ち会えたことを実感することはできるのだが、爽快感や満足感と言ってしまうことには、多少の違和感がある。見たくないものを突きつけられているというのとも少し違うが、現在の焦燥や切迫や昏迷のありようについて、やんぬるかなとでも言うような嘆息を漏らさざるを得ないような、そんな苦い共有感が残る。
あえてコンテンポラリーであることを自らに課すということを初めに述べたが、むしろ、現在でしかあり得ず、過去に依拠するものがないというつらさ、エッジに踏みとどまると言うよりは、そんなぎりぎりの場所しか残っていない、というのが本当のところかもしれない。つらいな。

上念省三(じょうねん・しょうぞう/ダンス批評)

 

2014-09-29
カラスへの招待|ジョセフ・ナジ『カラス / Les Corbeaux

ジョセフ・ナジ『カラス / Les Corbeaux』(2月26日@AI・HALL

撮影:清水俊洋

撮影:清水俊洋

ジョセフ・ナジの最新作『カラス / Les Corbeaux』が2月25日と26日、伊丹市のAI・HALLで上演された。同時に、批評そのものを考察する批評講座(講師:森山直人)、フランスの文化政策に関するレクチャー(講師:藤井慎太郎)、そして、ジョセフ・ナジによるダンス・ワークショップも開催された。これらの企画は、異なる視点から『カラス』という作品に向き合う機会を観客に提供するものであった。
ナジは、フランスのアヴィニョン演劇祭でも作品を上演した振付家でありダンサーでもある。今では国際的に認められ、日本でも『ヴォイツェック』や『ハバククの弁明』などの公演や、世田谷パブリックシアターと共同制作した『遊*ASOBU』で知られている。彼は、旧ユーゴスラヴィア(現セルビア)に生まれ、フランスに渡って、美術、音楽、武道、演劇、パントマイムなど、さまざまな芸術分野に触れてきた。したがって彼の作品は、音楽や絵画などの芸術分野を取り入れることでダンスというジャンルを超越している。今回上演された『カラス』でも、複数のジャンルの融合が見られた。
まずこの作品のチラシにある「この男、鳥になる」という印象的なキャッチフレーズと、全身を黒い塗料で覆い、羽ばたくように両手を広げて白いキャンバスの上で舞う人物の姿は、上演前から観客の想像力を掻き立てた。ナジは『遊*ASOBU』の制作のために来日した時、偶然見かけた1羽のカラスから『カラス』の着想を得たという。もちろん、作者の言葉を鵜呑みにする必要はない。それでも、上演を通して目の前に現れたカラスを表現したいという主張を読み取ることができる。なぜなら『カラス』では、カラスという1つの対象物を表現しようと模索する過程がそのまま舞台にのせられているという印象を受けるからである。
 真っ暗な舞台に薄暗い照明があたり、アコシュ・セレヴェニによるサックス演奏が始まる。しかしそれは演奏というよりも、息を楽器に吹き込むことで、音を模索しているようにも、音と戯れているようにも聞こえる。しばらくすると、舞台上手にスクリーンが現れ、その背後に立った人物が、心電図のような線を連ねた模様、机、そして2人の人物を描き始める。それぞれの絵は、サックスの音の緩急、舞台上で使われる机、さらに、絵を描いている男とサックスを演奏するもうひとりの男と重なる。つまり、描かれるイメージは、『カラス』を制作する際のデッサンを連想させる。
そして、模様、机、人物を描き終えた男がスクリーンの前に現れると、上空に吊り下げられたカラスのくちばしのように見える2つの円錐の入れ物から灰色の砂が流れ落ちる。静かに上から下へ止まることなく無慈悲に流れる砂は、2人の男の格好の遊び道具となる。男たちは、長細い筒に砂を滑らせて音を出してみたり、砂の流れを止めてみたり、さらに筒を口にあてて音を鳴らしてみたりする。それはまるで、音を作り出す作業のようで、音楽は、元来このような遊びから生まれたのではないかと、音楽の起源へと観客を誘う。
 やがてナジ扮する男は、踊り始める。手や腕などの関節を巧みに動かして表現される動きは、その抽象性から観客の想像力を刺激する。さまざまな解釈を許容しながらも、カラスの不気味な動きに収斂していく。背後に男の影が大写しとなった瞬間、真っ黒なカラスがこの人物にとりついたかのような錯覚に陥る。やはりカラスだ。男はカラスになった。
 椅子に座った男は、黒い帽子を被り、ボールに入ったインクを鼻に塗り、両足の踝辺りに白い羽を着ける。そして、筆に墨をつけるように、藁をバケツの中に入れたかと思うと、その真っ黒な塗料のついた藁を白いキャンバスの上へと投げつける。次に両手を壷の中に浸し、その指を器用に動かすことで、キャンバスの下半分に曲線を連ねていく。そしてついにゆっくりとした動作で、壷の中に吸い込まれるように真っ黒なインクに全身を浸たしていく。壷の中に首まで隠れた男は、まるでサミュエル・ベケットの『芝居』の登場人物だ。
まるでカラスのように全身真っ黒になり、再びゆっくりと観客の前に姿を現した男は、壷口に座り、照明の光を受けてさらに黒光りする。男はもはや性別も肌の色も判別できない「匿名」の存在となる。それまで、表現する対象であったカラスと一体となった瞬間、つまり、客体から主体へと変化した瞬間といえるかも知れない。インクを垂らしながら動くさまは、アクション・ペインティングを連想させ、描かれたイメージは、パフォーマンスの痕跡となる。
暗転となり、劇場が暗闇に包まれる。観客にとってそれはまるで、自らが壷の中に入り、真っ黒になった男の動きを追体験しているように感じられる。「一緒にカラスになろう」それはナジからの招待状かも知れない。

神崎舞(かんざき・まい/大阪大学大学院博士後期課程)

 

2014-09-29
観劇抄録 2012年1月~7月|メイシアター×sunday『牡丹灯籠』他

 上半期で古典劇26本、現代劇17本、計43本を見た。その中から取り上げるのは次の5作品。

*メイシアター×sunday『牡丹灯籠』(3月9日@吹田市文化会館)
*MONO『少しはみ出て殴られた』(3月10日@ABCホール)
*NODA・MAP『THE BEE』(6月2日@大阪ビジネスパーク円形ホール)
*青年団『月の岬』(6月24日@AI・HALL)
*こまつ座『藪原検校』(7月7日@兵庫県立芸術文化センター)

 歌舞伎座改築の折から、関西でも歌舞伎がよくかかるようになった。めでたい。ただし小劇場をめぐる状況はますます厳しい。上演数も減り、見るべき成果も乏しい。いや、ことは現代劇に限らない。関西歌舞伎はとうの昔に姿を消した。文楽も松竹は手放している。古典現代を問わず、いまの関西演劇はやせ細っている。「関西文化の衰退」は戦後関西を語る際の決まり文句ではあったが、とうとう根っこまで食い潰すことになるのか。
 たしかに企画や運営など問題は山積している。とはいえ権力をかさにきた恫喝は、何も生まない。演劇はそれ自体が「公共的財産」だ。透明性の確保も公的支援も、その「公共性」ゆえにどちらも必要なはず。
 閑話休題。不満はあれど、さすがと恐れ入ったのは、今回は触れられなかったが3月南座で見た『平家女護島』俊寛の中村吉右衛門と『THE BEE』の野田秀樹。『藪原検校』(井上ひさし作、栗山民也演出)は野村萬斎の個人芸とアンサンブルの良さで上出来。土田英生(MONO)の新作は、うまさは感じるものの足踏み状態か。『牡丹灯籠』の企画(ウォーリー木下の脚本・演出)は小ぶりながら、なかなか面白い試みだった。がっかりしたのは『月の岬』(松田正隆作、平田オリザ演出)。初演の緊張感が色褪せた。
 それにしても選んだ5つの舞台のうち、関西系劇団はsundayとMONOのみ。またMONO以外は、いずれも再演か古典がらみ。このかたよりは、何だろう。 

メイシアター×sunday『牡丹灯籠』(3月9日吹田市文化会館

撮影:清水俊洋

撮影:清水俊洋


 意外といっては失礼だが、予想を裏切る出来ばえ。
『牡丹燈籠』といえば、「カランコロン」の下駄の音で有名なお露新三郎の怪談が知られているが、じつはそれは三遊亭円朝の落語『怪談牡丹燈籠』前半の一場面にすぎない。岩波文庫一冊分もある原作の通し上演を見るのは、たしか花組芝居についで2度目だが、歌舞伎でもカットされる忠僕孝助の仇討話を、お露新三郎以上のメインストーリーとして採用して、なおかつ原作を貫く勧善懲悪や因果への疑問までつけくわえるという、よくばった2時間20分の舞台だった。ダイジェスト版にありがちな消化不良を感じさせず、終始軽快なテンポで演出したウォーリー木下の才気にまず感心した。
演技力にばらつきのある役者陣を、すばやい動きでまとめ、とくに前半あきさせない。演技も時代がからず、台詞も口調もぐっとくだけて現代のまま。それがかえって新鮮に聞え、役者も生き生きとしゃべっている。
舞台全面に長短100本以上の竹をぶらさげた美術(野井成正)。ずっと竹はかけっぱなしで、時々進行の邪魔になったが、水の流れの照明が揺れる竹林に照り映えて美しい。また手持ちミニライトが蛍のイメージを伝えて効果的。音楽もまったく日本的でなく、いっそ気持ちよい。
その上で孝助自身が「敵討をいつまで繰り返すのか」と自問自答したり、新三郎の霊が孝助に「見えないものを、勝手に僕らは見てしまうんだ」「因果も自分でこしらえているものではないかな」と語ったり、作者は新たな台詞を付け加えている。ただ因果や敵討への疑問が言葉で説明されはするが、演技やシーンにまで昇華しきれているかは疑問だ。たとえばゆっくりたっぷり演じるべき「お峰殺し」の場面など、かたちばかりで迫力に欠ける。語りで逃げてしまい、演じきる力が足りない。総じて演出のテンポに、演技が頼りすぎ。
役者では赤星マサノリ、や乃えいじが手堅い。若手では野村侑志が口跡もしっかりして、演技にのびがある。

MONO『少しはみ出て殴られた』(3月10日ABCホール

 はじまって5分ほどして「ああ、寓意劇だ」と思った途端、興味が半減した。ひいき劇団なのでこの15年ほどMONOの公演はほとんど見ているが、土田英生は『衛兵たち、西高東低の鼻を嘆く』(2005年)や『地獄でございます』(2007年)など、何本か寓意劇を書いている。どれもピンとこなかった。つまらない訳ではない。けっこう楽しめて、うまい。でも先が読めて、予想を超えない。寓意が象徴にまでいかない。かといって設定された場所や登場する人物に「どうしてもこうでなければ」という切実さも感じられない。だからテーマはとても「正しい」のに、リアルじゃない。
 今回の台本は特に前半が問題。紛争によって刑務所の真ん中に突然国境線が引かれ、囚人たちはその新たに生まれた国境によって次第にいがみ合い、抗争をはじめる。着想は面白いが、事件展開そのものは昨今の世界をみれば、容易に予測できるものではないだろうか。その予想を笑いや風刺をちりばめなぞっていくだけで、驚きがない。後半さらに別の国が生まれ、展開は複雑になるが、たとえば『その鉄塔に男たちはいるという』(1998年)の戦場のコメディアンたちとくらべても、劇としての切実さ、リアルさに欠ける。コメディアンたちも囚人の一人も最後は死ぬことになるが、本作では囚人の死が痛みをもって感じられない。なぜ彼が死ななければならなかったのか。その死はただ唐突で、私にはよく飲み込めなかった。
また笑いの質も気になった。パターン化が進んで、テーマとのからみが弱い。土田自身『-初恋』(1997年)や『京都11区』(2003年)で描いたように、笑いは差別やいじめと結びついて、問題の複雑さや認識の相対化を映す手がかりとなるはずなのに。
役者も与えられる役柄に慣れて、新しい演技を生む意欲に欠けてはいないか。それぞれたしかに個性(ツボ)はもっていて、観客はそのツボを楽しむことはできる。たとえば優柔不断だったり、じじむさかったり、説教くさかったり。しかしそこに手馴れた良さはあっても、個々の役者の新たな一面を発見することはできなかった。客演の中川晴樹と諏訪雅の二人は、互いの微妙な、切ない関係をうまく表現していて楽しめた。

NODA・MAP番外公演 『THE BEE』Japanese Version(6月2日大阪ビジネスパーク円形ホール
原作:筒井康隆『毟りあい』  共同脚本:野田秀樹&コリン・ティーバン
演出:野田秀樹  出演:宮沢りえ、池田成志、近藤良平、野田秀樹

初演の舞台は見ていない。どうしてもこれは見逃せないと京橋OBPにでかけた。噂にたがわぬ出来で、野田秀樹の本領はやはり「小劇場」にあるとあらためて思った。
とにかく舞台づくりの密度の濃さに圧倒された。大型キャンバスのような白紙を幕に使って、そこに人影や蜂の飛ぶさまを映し出す。装置はそれとちゃぶ台のみ(美術・堀尾幸男)。あとは鉛筆やゴム紐といった小道具を使うだけで、いささかの遅滞もなく舞台はずんずんと進行する。この緊張感と錬度の高さはすばらしい。野田の演出家としての力量が、遺憾なく発揮された。
4人の俳優もその要求によく応えた。瞬時に役を切り替えるそのテンポは、最初こそ気負いがみられたが、あとは緩急自在に観客を劇世界に引きずりこんでいく。とくに監禁され殺される母親を演じた宮沢りえの、いまにも壊れそうな透明感は、主人公井戸が加虐性をエスカレートさせる直接の引き金となっていた。これは筒井康隆の原作にも、おそらく初演の秋山菜津子にもない、今回のメンバーならではの特徴ではなかったか。
 ほぼ原作の骨格を引き継ぎながら、ブラック・ユーモアの側面が削られ、代わりに社会性(日本のカイシャ社会や世界に拡がる暴力の連鎖等)が加えられたことは、すでに指摘がある。ただ気になったのは、暴力描写のすさまじさよりも、主人公の暴力への目覚めがどのようにして生まれたかという点だ。そこが原作でも、舞台をみていてもいまひとつピンとこない。何が井戸を暴力に追い込んだのだろう。
 また芝居前に流れる70年代歌謡曲から、ラストの尾藤イサオが歌う「剣の舞」(ハチャトゥリアン)まで、選曲の意図がどうも飲み込めず、違和感を覚えた(音響効果・高都幸男)。もったいない。

青年団『月の岬』(6月24日AI・HALL

松田正隆の『月の岬』は、平田オリザ演出で1997年関西の若手俳優を中心としたプロデュース公演のかたちをとって、京都で上演された。松田にとって戯曲依頼ははじめて、平田もはじめての外部演出だった。この初物尽くしはしかし、めざましい成果をあげた。長崎の離島に暮す一組の姉弟の「愛情」を軸に、生と死、排除と救済、神話と現実といった幾層ものモチーフが織り込まれた濃密な劇世界は高く評価され、第5回読売演劇大賞最優秀作品賞と優秀演出家賞を得た。私もこの戯曲の典拠や作品構造について考えたことがある(『20世紀の戯曲Ⅲ』社会評論社など)。2000年の再演を経て、今回は青年団公演としての再々演となった。平田は公演しおりで「客演の内田淳子さん以外は、すべて青年団員です。勝手知ったるメンバーで、再度、別の角度から戯曲と向き合う時間を作っていきました。『月の岬』が日本演劇にとって新しい古典となるように、さらなる深みへ進んでいきたい」と述べている。
だが舞台成果は、決してかんばしいものではなかった。なぜか。青年団の演技と戯曲の言葉がズレていたからだ。
青年団の若手の演技には、島の周りに拡がる海や空といった自然のもつ「闇」、そして人の心の「闇」に対する怖れが感じられない。だから台詞の奥行がつかめぬまま、緊迫感がなく平板な、でもその分日常的にリアルな世界がつくられていく。これでは逆に、戯曲の言葉のほうが思わせぶりな、「文学的」なものに感じられてしまい、台詞の含みが生きてこない。けっきょく演技と台詞が擦り合わぬまま、劇が進行してしまった。
 姉にまとわりつく昔の恋人(大塚洋)は、配役に問題がある。柄がちがう。あれでは気のいい、生活に疲れ果てたおじさんでしかない。もっと臆病で、でも不気味で、どこかに激情を抱え持った男でなければ、姉とまちがいは起こさないし、暴発もしないだろう。
 姉(内田淳子)の所作の軽やかさ、そしてうつむき加減の沈黙のすがたがとても生き生きとして見えた。この情感を十分に湛えた沈黙があってはじめて、『月の岬』は成立するのではないか。
 初演が瑞々しさと死の影にあふれた舞台だっただけに、今回はなんとも物足りない。時間の「非情」な移り変わりを象徴する風鈴の音まで濁って聞こえたのは、いかにも残念だった。

こまつ座世田谷パブリックシアター『藪原検校』『藪原検校』(7月7日兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)

 1973年初演(井上ひさし作、木村光一演出)の悪党芝居。実際に見たのは、2007年の蜷川幸雄演出がはじめて。読んで想像していたより妙に重苦しく、はずまない舞台だった。その原因は、おそらく蜷川の演出スタイルと主人公杉の市(のちの藪原検校)の古田新太にあった。生まれながらに差別を受け、怨念をばねに殺戮を重ねてのし上がった悪漢が、最後はスケープゴートとして無残な死を迎える。そんなグロテスクカーニバルの構図をつよく打ち出した蜷川演出は、和製『三文オペラ』を狙った全20場のこの戯曲の一部としか重ならない。また醸し出す悪の匂いはぴったりながら、古田の芸質は盲目の芸能者杉の市を演じるにはやや無理があった。今回は役者野村萬斎の軽みと芸、そして作品の深い読みに支えられた緻密な栗山民也の演出と絶妙なアンサンブルによって、面目を一新していた。
 なんといっても特筆すべきはやはり野村萬斎の個人芸だろう。「奥浄瑠璃のパロディ」としての早物語を、扇拍子とギターに載せて、謡あり語りありはては五木ひろしの物まねまでそろえて延々10分間ひとりで演じるなどという芸当は、彼を措いてほかにはちょっと思いつかない。第5場がこんなにもわかりやすく楽しめると知っただけでも、この舞台は十分見るかいがあった。さらに狂言でも、悲劇でもない主人公の悪の成長譚を、萬斎は偽悪的にも、道化的にもならず、さらりと微妙な間合いで演じてみせた。この軽みは、じつは新劇人野村萬斎からはあまり感じたことがなかった。『ベッジ・パードン』(三谷幸喜、2011年)の漱石さえどこか硬かっただけに、今回の思い切りの良さは印象に残った。
 語り手役盲太夫を演じた浅野和之の端正かつ軽妙な語り口も見事。何役もこなすたかお鷹の憎めない飄逸さ、意外なほど落ち着き払った小日向文世の塙保己市も忘れられない。赤と黒を際立たせながら、自在に場面を転換させる美術の松井るみ、ギターに津軽三味線の音色さえ感じさせる千葉伸彦の演奏などスタッフ陣も充実している。それらを栗山民也の演出が丁寧に束ねて、舞台全体のバランスを崩さない。
 欲をいえば、藪原検校へ成り上がった萬斎には悪のふてぶてしさがほしい。そして集団演技のシーンにもう少しはじける勢いがあればとも思う。いかんせん平均年齢が高く、夜の部の後半は少々息切れしていた。

出口逸平(でぐち・いつへい/大阪芸術大学・日本演劇)

 

2014-09-29
2人は出会ったのかー大小連日の追悼公演|くじら企画『夜が掴む』他

対象:くじら企画『夜が掴む』(7月7日ウィングフィールド)
   こまつ座世田谷パブリックシアター『藪原検校』 (7月8日兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)

撮影:谷古宇正彦

撮影:谷古宇正彦

井上ひさしは大竹野正典を知っていたのだろうか。
第48回岸田戯曲賞(2004年)の選考で、井上は大竹野の『夜、鳴ク、鳥』を最終候補作品の一つとして読んだ筈である。しかし選評には全く言及がない。そして2009年7月「会社員水死」という大竹野事故死の報道が、9箇月後の病死を前に遺作『組曲虐殺』に取り組んでいた井上の目に止まったのか、そうだとして5年前の選考と結び付けることが出来たのか、今となっては想像する他ない。
ともあれ2人が残した作品は、規模は違っても共に追悼企画としての上演が進行中である。そしてそれぞれの初期代表作と言われる作品を、偶然続けて観ることになった。
『夜が掴む』は大竹野が88年に初演しテアトロ・イン・キャビン賞佳作を受賞した作品の20年ぶりの上演だが、僕は今回が初見。演出はこれまでが作者自身であったのに対し「くじら企画」名義。夫人の後藤小寿枝を中心にしてこれまでのやり方を踏襲したのだろう。74年に独身男がピアノの音に悩まされていたためと称し、同じ団地の階下に住む主婦と幼い娘2人を殺害した事件がヒントになっている。
主人公・コスギ(石川真士)が妻子のある「平凡」な家庭に強く憧れていること、そしてごく普通の人間性を持ちながら「平凡」な人々からの疎外感に苛立っていること。これらの点は04年初演の『密会』で、さらに凝縮された形で描かれた。その一方こちらでは、被害者である階下のヤマモト夫婦(戎屋海老・林加奈子)が、一見悪役風に戯画化されているのだが。
何かにつけて奇矯な形で「仲のよさ」を確認し合う夫婦。しかし夫も実は疎外された子供時代を過ごし、大人の世界がその頃夢見たようなものでないと分かると、家庭だけでも幸せを保ちたいと思っていた。夫婦がコスギが嫌がるのを承知で娘のカオル(森川万里)にピアノを弾かせるのは、孤独な失業者である相手が持ち得ないものを誇示するためだった。だが終始無表情・無言だったカオルは、家に上がり込んで来たコスギに共感し歩み寄る。森川の一言だけの台詞が哀しく胸を打った。
「平凡」で「幸せ」な生活に手が届かない人々。彼らを見下すことで優位を確認しようとする、やはり弱い基盤を抱えた人々。大人の争いの中で最初から疎外された子供。20歳で父親となり演劇活動を支える家族に恵まれていた大竹野は、それ故20代で「家庭」の負の部分を知っていたのだろう。
『藪原検校』は73年に木村光一演出で初演されて以来上演が重ねられた、井上の紛れもない代表作の一つ。「東北の片田舎に生まれた盲の少年」杉の市が殺人を重ね検校に上り詰めた途端、江戸幕府により処刑される物語。僕は88年以来、木村演出による地人会の公演を3回観ている。今回は木村の弟子でもある栗山民也が初めて演出し、主演は野村萬斎。客席はくじら企画と同様超満員、但しこちらは八倍の観客数である。
初期の井上作品には日本語の祭と言うべき、言葉遊びや下ネタに彩られた膨大な台詞がある。この作品にはある意味でその極みと言うべき一人語り「早物語」がある(「井上ひさし全芝居」では二段組正味4ページ)があるのだが、萬斎は十分聴かせたとは言えなかった(伝統芸能の演者としては、彼の声はやや弱い)。しかし本編では凄味を効かせたささやきから苦悩を表す絶叫まで声を変化させ、かなり効果を上げていた。印象的なのは前半、母お志保(熊谷真実)を誤って殺す場面。熊谷も好演で、芝居の世界にしかいないような悪人の根底に、母親への純粋な思いという豊かな人間性があると思わせた。
そして収穫は、松平定信(大鷹明良)に杉の市の処刑を進言するという設定の塙保己市を演じた小日向文世。盲人が生きていくためには「品性」を磨き、記憶力を生かし学問で業績を上げるべきだと主張していた紳士が、民衆支配の手段として公開処刑を提案する。「片輪者」は「正常人の敵」であり、その敵を屠る「祭」こそ民衆の格好のはけ口になると。高めの声で淡々と明晰にそういった言葉を語る小日向は(最近の映像でのイメージに沿っているとも言えるが)、同じ盲人ながら杉の市とは対極の「善人」の抱えている深い怨念を確かに届けて来た。
演劇界での井上ひさしの評価は揺らぐことはないだろう。ただ前夫人とのトラブルを巡る人格攻撃も続いているようだ。「ネット右翼」によるものはともかく、女性問題に関わる人々に対しては、無視せずに答えていくことも必要だろう。だが自ら矛盾を抱え、しかもそれを作品に生かせる作者だからこそ、『藪原検校』が書けたのではないだろうか。そして生活に苦しむ東北の村人が「働くことの出来ない盲」を敵視する挿話で始まるこの作品は、今また力を持って来た筈である。
一人の人間には幾つかの顔があり、誰もが被害者にも加害者にもなり得る。弱い存在はより弱い相手を探し傷付ける。2人の劇作家は若い頃からそういった状況に向かい合っていた。過去の作品として片付けてしまえば、受け手も現実で加害者か被害者になりかねない。

星野明彦(ほしの・あきひこ/演劇評論家)

 

2014-09-29
【時評】日笠世志久さんの思い出

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 日笠世志久さんが2001年3月2日に世を去って、10年以上たつ。この機会に、日笠さんの思い出を書いてみたい。関西の演劇界(新劇界)とも関係が深かった人でもある。
 とはいえ、今日では日笠世志久さんと言ってもどのぐらいの人がその名を記憶しているだろうか。まず略歴を記しておこう。
 本名は日笠山慶尚。1928年3月14日朝鮮慶尚南道で生まれる。1945年4月旧制山口大学に入学。戦後、学生演劇に打ち込む。また学生運動にも参加し、1948年退学処分。この年日本共産党に参加。1952年劇団はぐるま座を組織。1966年文化大革命勃発とともに、日本共産党を離れる。翌67年文化大革命中の中国に訪中公演をおこない毛沢東、林彪、周恩来らが接見、人民日報は大きく報道しはぐるま座は一躍その名を知られる。1977年文革終結後の路線対立ではぐるま座を退団。1979年日中演劇交流話劇人社を設立し、以後逝去まで日中演劇交流活動に従事する。
 私が日笠さんと面識を得たのは、1984年孫浩然さんが日中学生舞台美術展のために来日して、私がアルバイトで通訳を担当した時である。孫浩然さんは当時中国舞台美術学会会長、上海戯劇学院副院長であった。その時日笠さんは日中演劇交流団体・話劇人社事務局長で、孫さん受け入れ責任者の一人であった。それが縁になって私は話劇人社に参加し、その関係で翌年三月上海戯劇学院に一ヶ月短期留学した。当時上海戯劇学院はまだ留学生を受け入れていなかったが、孫浩然さん来日の通訳をした、上海戯劇学院に短期留学したい、という手紙を戯劇学院宛に出したのである。日笠さんは面識のあった院長宛に推薦状を書いてくれた。たぶん日笠さんの推薦状のおかげで、私の短期留学希望は認められた。当時の中国は改革開放政策が深化しつつあったとはいえ、上海戯劇学院が外国人を受け入れるには、まだかなり高いハードルがあった筈である。毛沢東らとも会見し中国共産党とも繋がりのあった日笠さんの推薦状は相当な効果を発揮したと思われる。今日では中国は簡単に行ける国になったが、当時は一ヶ月間も戯劇学院に留学できるのは得がたい機会だと思われた。あの一ヶ月ほど勉強した時間は、私の人生でもそうなかったと思う。その後中央戯劇学院に短期留学したのも、やはり日中学生舞台美術展で来日した田文さん(当時、中央戯劇学院舞台美術系主任)との縁からである。
 それらを機に、東京都杉並区久我山にあった日笠さんの住居兼話劇人社事務所にもよく行くようになった。日笠さんの経歴をみれば「筋金入りの共産主義活動家」という表現がぴったりなのだが、実際の日笠さんからはそのような厳めしさはまったく感じられず、むしろ気さくな近寄りやすい印象であった。まもなく私は長崎の大学に着任し東京を離れるが、上京した時は時々日笠さんの家に泊めていただいたりした。そのような時、日笠さんは私に日中演劇交流、さらには日笠さんが参加していた日本共産主義運動の裏話をよくしてくれた。
 日笠さんが特に繰り返し語ったのは、1967年の三ヶ月以上にわたる訪中公演であった。日笠さん自身にも強烈な記憶が残っていたのだろう。日笠さんは形式上は副団長、事実上のリーダーだったのだが、はぐるま座訪中団内部では演目内容などを巡って激しく批判されていたという。そのほか、記憶に残っているのは、1950年代前半の日本共産党分裂期の活動、60年安保闘争後の共産党系文化運動内の対立、文革終結直後のはぐるま座・日本共産党(左派)離脱時期のことなどである。また、フルシチョフのスターリン批判、演劇のリアリズムなど社会主義運動、社会主義芸術運動の理論問題などでもいろいろ意見を聞いた。
 私が日笠さんと知り合った時期は、中国が改革開放政策を進め、旧来イメージの社会主義からどんどん離れていった時期でもあった。日笠さんの経歴をみれば、戦後すぐ以来一貫して日本共産党系文化活動家としての道を歩み、その一帰結として文革支持があった。正真正銘の文革派として、1980年代以降の中国の歩みには否定的な感覚を持たざるを得なかった筈である。しかし、一方では日笠さんはもはや中国と切れることはできなかった。その矛盾からくるやるせない感情を、時々私に漏らしたこともある。日笠さんはまた、中国演劇にやはり50年代社会主義の影を追い求めたのか、趙尋という「保守派」の中国演劇界幹部をひどく持ち上げていた。これには、私は否定的だった。だからといって、私と感情的な対立に陥ることはなかった。
 日笠さんの夫人恭子さんは、1977年日笠さんが文革後中国の評価などを巡ってそれまで所属していた日本共産党(左派)を離れる前後にくも膜下出血で倒れた。私も何回かお会いしたことがあるが、後遺症で思考が正常でないこともあった。日笠さん逝去後、今もはぐるま座関係の日笠さんの妹さんが山口県でお世話をしているとだけ聞いた。今はどうしておられるのか。
 日笠さんは演劇、中国、社会主義に確固たる意見を持ちながら、文章・論文はあまり書かなかった。少なくとも私と知り合った1980年代以降はそうであった。私はある時、日笠さんに回想録をぜひ書くようにと勧めたことがある。日笠さんは、もうかなり書いていると答えた。しかし日笠さんは回想録を完成させ刊行する前に、逝去してしまった。その原稿はどこに行ってしまったのだろうか。没後に日笠さんと同世代の友人によって『面影 日笠世志久』という私家版の追悼文集が刊行された。日笠さんの晩年の文章四編も収録されているが、日笠さんの仕事のごく一部に過ぎない。『面影』も私家版のため知る人はごくわずかであろう。
 日笠さんの歩んだ道に否定的な印象を持つ人の方が、今日では多いかも知れない。しかしそうであっても、このような道が忘れられてしまっていいのかという思いが私にはある。いつか、日笠さんの人生と仕事についてまとまった論文を書いてみたい。

瀬戸宏(せと・ひろし 摂南大学教授/中国演劇研究・演劇評論)

 

2014-09-29
【提言】セイカアートスクエア構想について

【提言】セイカアートスクエア構想について

       
 本構想は、去る6月17日に日本演劇学会のパネルセッション「関西の劇場」にて発表したものである。

はじめに

 精華小学校の見学会で初めて精華小学校の本体の校舎に入ったとき、あまりの見事さに驚嘆し、「ここを壊すのは国宝阿修羅像を壊すよりも犯罪だ」と思わず叫んでしまった。今まで私たちは北側の劇場部分にしか足を踏み入れたことがなかったので、改めてこの学校全体に目を向ける必要があることを痛感した。2150坪、坪当たりの単価は160万円を下らず、売れば50億円以上の収入が大阪市に入る。
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 精華小学校は1929年(昭和4年)に建てられた。校舎の設計は増田清が行い、エレベーターや全館暖房など当時としては最新の設備を備えていた。増田清はドイツのバウハウスなどから影響を受けた建築家で、代表作として登録有形文化財・三木楽器本店がある。精華小学校校舎でも特徴的な梁の使い方などに彼の特徴が見られる。また、この時に校舎の建築費用として集まった金額は、当時の金額で約60万円になり、同時期の大阪城天守閣の再建費用(約47万円)よりも高額であった。その後、大阪空襲でも校舎は残り、戦後もミナミの中心地にある小学校として親しまれてきたが、生徒数の減少のため1995年(平成7年)に閉校となった。
 閉校後は、2004年に大阪市ゆとりとみどり振興局文化振興課(当時)が、雨天体操場があった北側校舎の地下と1階部分を教育委員会から利用許諾を得る形で、精華小劇場をオープンさせた。大阪市初の公立の演劇専用劇場の誕生である。しかし、2007年度に大阪市の売却方針で未利用地として認定されると、開館時に宣言された10年間の暫定利用期間の満了を待たずに、2011年3月、6年半で閉館となった。

精華小劇場での『ケバブ』上演(2009年)

精華小劇場での『ケバブ』上演(2009年)

  クレジット:精華小劇場での『ケバブ』上演(2009年)

 精華小学校のある地域・難波に目を向けると、大阪の二大繁華街の一つであるミナミの玄関口として栄えている。だが精華小学校から歩いて3分程のところに、上本町に移転した新歌舞伎座跡地があるが、ここも利用方法が決まらずにいる。この地域から、精華小劇場や新歌舞伎座などの文化施設がなくなることは、どのような結果に繋がるのか。この地域を発展させるためには商業施設を作ることが最善の方法なのか。精華小学校の価値を再評価し、その再生利用を強く願う人たちが中心となり、11月16日に中の島の中央公会堂、中集会室で「精華小から/建築/演劇/音楽/アートを捉える」と銘打ち、シンポジウム「SEIKA!SEIKA!SEIKA!」を開催した。250人が参加する集会となった。以後、精華小学校再生研究会に集まった建築、演劇、美術関係者は会合を重ね、精華小学校の見学会、映画会などを行い、さまざまな提言を行なってきた。以下に、その一端を紹介したい。
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失速するクール・ジャパン

 Newsweek6月13日号は「息切れクール・ジャパン」という見出しで、日本のソフトパワー戦略の行き詰まりを告げ、「世界の日本ブームは終わるのか?」と問いかけている。21世紀に入り、アニメやマンガなど日本のポップカルチャーが世界的な人気になり、日本が文化超大国として急速に台頭しつつあることが多くのところで論じられてきた。2002年には宮崎駿の『千と千尋の神隠し』がアニメ作品としては初めてベルリン映画祭の金熊賞を受賞、ハローキティやポケモンは世界中のいたるところで人気を集めた。日本経済が停滞する中、新しい市場を獲得し、文化大国の座を築くチャンスと期待された。だがここにきてクール・ジャパンは完全に失速しているというのが定説だ。日本のクール・ジャパン関連のコンテンツのうち輸出されるのは5パーセント止まりであり、アメリカの17.8パーセントに大きく水をあけられている。国外における日本アニメのDVDなどの売上高は2006年の160億円から、2010年には90億円に急降下し、強い競争力を誇っていたはずのゲーム産業にもかげりが見える。10年前には世界の歴代人気コンピューターゲームの上位100作品のうち93作を日本のゲームが占めていたが今は見る影もない。
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 博報堂が2011年度のデータをもとに行なった調査では、重要な5つのコンテンツのうち、ドラマ、映画では韓国に水をあけられ、アジアの多くの国の音楽シーンでJ-POPは韓国のK-POPに逆転されてしまった。KARAや少女時代に代表されるK-POPは、音楽的には稚拙なAKB48などに比べ、はるかに伸びやかで音楽性・身体性も高いのである。クール・ジャパンが持ち上げるのが典型的なオタク文化であり、彼らが愛するアニメやゲームの性的描写にも問題があり、海外では児童ポルノ扱いされているマンガやゲームもある。
 私が問題にしたいのはコンテンツのソースとなる映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピューターゲームなどに国がどのような投資を行なってきたのかということである。韓国政府はポップカルチャー産業に莫大な資金を投じ、国外市場の獲得を目指してきた。2012年に日本政府が文化芸術分野につぎ込む予算は国の予算全体のわずか0.12パーセントに過ぎない。(2010年に芸団協がこのパーセンテージを0.5パーセントに上げるよう大きな署名運動を展開したが、改善の兆しはまったくない。)これに対し、韓国は毎年0.8~0.9パーセントを投じている。さらにコンテンツ関連予算は2000年度には文化関連予算の15.3パーセントを占めており、日本の約8倍にのぼる。韓国が文化輸出を通して経済を立て直すソフトパワー戦略に目覚めたためだと言える。
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 アニメは今や中国にとって替られようとしている。宮崎駿が手塚治虫をいつも批判するように、アニメーターたちの低賃金での制作は日本のアニメ産業の発展のネックになっている。日本の若いアニメーターは年収100万円程度の低収入で長時間労働を続け、燃え尽きるケースが多い。日本や美術館やコンサートホールなどのハードには金をつぎ込むが、クリエーティヴ産業の人的資源には投資を怠ってきた。最近はマンガやアニメの政策が低賃金な国々にアウトソーシングされることが増え、業界そのものが危機に瀕している。アニメの生産量で、中国は今や世界一を誇るようになった。2011年にはその産業規模は626億円にも達し、今後さらに拡大する勢いである。(NHK、BS-1「中国国産アニメは飛躍できるか?」3月27日放送)
 コンテンツはマーシャル・マクルーハンが『メディア論』の中で提唱している「メディアの中のメディア」に当たるものである。継続的に質の高いコンテンツを生み出し、時代を先取りするソフトパワーを示すには、大胆な国家的投資による人材の育成が欠かせない。特にパフォーミングアーツ(舞台芸術)は多様なメディアと深く関連付けられているので、ここが薄くなると大きな打撃を受ける。由紀さおりが希望の星では寂しい限りなのだ。優れた車、優れた運転手がいても、それを動かすガソリンが欠乏しているというのが今の日本の現状だ。

ドイツにおける公的助成

 大阪市の財政健全化をめざし、橋下徹市長は今年度から3年間で計548億円の事業支出の削減を決めた。なかでも話題になっているのが、大阪フィルハーモニー交響楽団を運営する大阪フィルハーモニー協会と文楽協会への助成金をそれぞれ25%削減し、市内で活動する劇団などへの助成金も凍結するといった文化行政の大胆な見直しである。「文化は行政が育てるものではない」「お客からお金を出してもらえる中身でないと生き残れない」と公言した橋下市長らしい大胆な削減ぶりに、関係者は大きな衝撃を受けている。
 2008年2月の橋下府政発足以来、国際児童文学館や青少年会館の廃止、センチュリー交響楽団への補助金の廃止、ワッハ上方の縮減などが行なわれてきた現状を踏まえれば、今こそ「文化と都市活性化」の問題に関して突っ込んだ論議がなされねばならないのかもしれない。大阪文化団体連合会は「文化こそ都市を元気にし、暮らしを豊かにする」のスローガンのもと、5月31日付で「大阪の文化振興を求める要望書」を橋下市長宛に提出している。
 6月中旬発売の『シアターアーツ』51号では、市川明が5月4日から21日まで行われたベルリン演劇祭の様子を詳しく論じている。国から支出されるこの祭典のための1億6千万円ほどの補助金が、この祭典を支え、ドイツの演劇のレベルアップと、多くの人材の育成、文化の享受者の裾野を広げていることは事実なのだ。ドイツ統一により、東西ベルリンも統一され、その結果ベルリンには3つの公立オペラ劇場が存在する。ドイツのアーティストはスポイルされているという厳しい批判もあり、幾度も大きな論争を巻き起こしたが、現状は維持されている。
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地域コミュニティと文化
 昨年11月16日の集い、「SEIKA! SEIKA! SEIKA!」で、市川は「地域コミュニティと文化―Arts&Theater「セイカ」への夢」というタイトルで話をした。まず、公共の演劇祭や劇場が地域のコミュニティにもたらす可能性について、ドイツのオーバーアマガウの受難劇と、韓国の密陽の国際演劇祭を例に説明した。
 オーバーアマガウは南ドイツの人口5000人程度の小さな村であるが、ここでは10年に1度、キリストの受難劇が行われる。村人が総出で準備をして、5000席の劇場は完売する。ドイツではこのように演劇が地域に根付いており、ドイツ全土122の地方自治体に、150の公共劇場がある。それらの運営は85%が公的支援でまかなわれていることを紹介した。
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 密陽の国際演劇祭は、芸術監督であるイ・ユンテクが開いた演劇村で、学校跡を利用して5つの劇場とレジデンス施設が備わっている。この村の運営費や劇団員の給料は、密陽市が負担している。
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大阪の劇場の現況

 精華小劇場が2011年3月末に閉館、2011年秋には関西芸術座が自分たちのお城とでも言うべき会館・スタジオを手放した。現在の府政や市政とも相まって、大阪の演劇状況は厳しさを増していると言われる。
 しかし2000年代前半に言われたように、劇場または公演場所がないという状況ではない。例えば昨年、長堀橋に「船場サザンシアター」という30席程度の劇場ができたし、劇団ひまわりが移転後、ひまわりの専用劇場であった150席程度の「シアターぷらっつ江坂」が民間の劇場になるようだ。昨年大きな話題になった、再開発が進む梅田周辺では,阪急ビルの上に200~300席ぐらいの中劇場が、また北ヤードの再開発では380席(可動式)のナレッジシアターができる。さらにカフェ公演の広がりによって、公演の可能性がある場所は大きく増えている。
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 公演場所が不足しているわけではないにもかかわらず、このような大阪の逆境がどこからくるのか。一番大きな原因としては、「公演場所」以上の機能、役割を担える劇場が大阪にないことで、これが一番大きな問題である。劇場は空飛ぶ小箱ではなく、場所や地域に埋め込まれ、そこで機能している。劇場が場を形成し、町づくりにも関与するような状態が生まれなければならないはずだ。独自の意図、目的、方向性を持った自己組織化された空間としての劇場を大阪に見つけることはむずかしい。また参加者のコミットメントが存在する空間、すなわち場の目的にコミットし、場において生起するイベントに積極的に関与するような空間は実現されていない。大阪市には専用の公立劇場は現在一館もなく、これは大阪の演劇を語る上で、やはり大きな弱点だと言わねばならないだろう。
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 今国会で成立した劇場法に対する芸団協の提言にもあるように、劇場は「実演芸術の創造、公演、普及、教育の機関」であり、それを通じて「地域のコミュニティの形成、新しい文化の発信、都市の魅力の向上」に寄与する場所であるべきだ。かつてのOMS(扇町ミュージアムスクエア)がまさにそうであり、現在はなくなってしまった精華や森ノ宮プラネット、そして関芸スタジオなどは、このような普及や教育、人材育成などの未来への投資の役割を担っていた施設であったと言える。
 そのような施設がなくなり、代わりに民間の劇場が増えて、役所の担当者からは「やる場所に困ってないのだからいいでしょう」と言われても、民間の劇場だけではどうしても貸館による収益を上げる必要が出てくる。そうすると、本来劇場は「観客」と「劇団」の両方を顧客にしなければいけないのに、競争が激化すると、収益源となる「劇団」にばかり目がいく。演目を選別する基準は弱くなり、貸館料を一定の水準を維持し、新しい投資に使うべきところを、貸館料を値引きすることで、自らの体力を弱める結果になる。
 大阪の現状を見てみると,「大阪市助成金の予算凍結による中止」「次代の中核的劇場と期待されていたナレッジシアターは当面貸館中心で、2年後あたりを目処に自主事業も。そして、大阪市は撤退」「芸術創造館の自主事業は予算凍結」と、まさに先ほどの「公演場所の提供」に精一杯で、それにプラスする機能は発揮されていない。「教育」や「普及」には、それだけで採算を成り立たせるのが難しい面がある。お金を投入することだけが投資ではなく、空きスペースの提供や、法令上の協力、ネットワークの活用等、多面的な方法を考えながら、今、大阪の劇場に足りないことを実現すべきではないかと思う。

レトロとモダン――古い建物は壊さず利用するという鉄則

世界の都市で古い建物はリノベーションで再利用され、町の発展に役立っている。19世紀に建てられた駅舎もリノベーションされ魅力ある場所に生まれ変わっている。美術館やホテルになった例もある。
オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。その後、この建物は一時は取り壊しの話もあったが、1970年代からフランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わることとなった。こうして1986年、オルセー美術館が開館した。美術館の中央ホールは地下ホームの吹き抜け構造をそのまま活用している。建物内部には鉄道駅であった面影が随所に残る。現在ではパリの観光名所としてすっかり定着した感がある。ベルリンのハンブルガー・バーンホーフ現代美術館も駅舎を利用した博物館だし、ヨーロッパでは古城をそのままホテルやユースホステルにして人気を集めている。
 近年では廃校となった小学校や中学校の校舎を保存・再生し、活用している事例も多い。兵庫の北野工房のまち(旧北野小学校)は観光客を中心に年80万人以上が訪れる施設になり、京都の京都芸術センター(旧明倫小学校)は芸術・文化の拠点施設として全国的な評価も高い。京都国際マンガミュージアム(旧龍池小学校)年間30万人が訪れる資料館となっている。千代田区に出来た「3331アーツ千代田」(旧練成中学校)は多くのイベントや展覧会を行い、新しいアートの拠点となっている。イ・ユンテクの韓国ミリャン(密陽)国際演劇村も小学校の跡地を利用したものである。
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 建築物は安全性を考える前に、その建築物の歴史的評価、今後の有用性について考えるべきである。歴史的評価の高い建築物、これからの社会に有効な建築物を、安全性がないから壊すというのは間違いである。町にとって地域にとってどのような価値があるのかを考えてみることがまず重要で、もし安全性が確保できていないならば耐震改修により補強すればよい。精華小ですでに耐震補強が済んだ体育館部分(精華小劇場)や幼稚園の遊技場部分を除き、早急に耐震強度の査定をし、不十分な場合は補強すべきだと考える。もちろん小学校跡を再生利用するという立場からであるが。

町とコラボするパフォーミング・アーツ

 橋下府政・市政は文化人からの風当たりはきついが、美術分野では注目すべき成果が生まれ始めている。「水都大阪」プロジェクトや、それと連動した「おおさかカンヴァス推進事業」である。この事業の2012年度の公募が4月13日に始まり、5月28日に締め切られた。「大阪のまちをカンヴァスに!」をスローガンに、アーティスト、デザイナー、地域団体、クリエイターなどに呼びかけ、大阪を舞台にしたあらゆる表現活動を募集している。優れていると思われるのは作家が「場所」と「作品」を両方提案し、選べることだ。実物よりはるかに美しく描かれた自画像にほくそ笑み、「お宝」を「収蔵」する大金持ち。美術館はこうした「蔵」を壊し、「宝」を広く庶民に公開することから始まった。アートはさらに「蔵」としての美術館や「お宝」を否定し、町に飛び出し、町を美術館化することを始めた。根底にあるのは参加の思想だ。この事業では作家は町を作る喜びにもひたれるのだが、これはパフォーミングアーツにも共通するものだ。事業には6600万円が計上されているが、パフォーミングアーツの分野にも拡大してもらえないだろうか。演劇は人件費の問題などがあり、予算が膨らむことは必至であり、予算の計上方法は現在のままでは舞台芸術にはなはだ不向きだが、変更の余地はあるように思う。精華小学校再生研究会のほとんどのメンバーがこの事業に応募している。もちろん精華小学校を使っての事業だ。精華小学校を早く開けて利用したいという強い意思の表れである。われわれが提案した精華こども祭が地元に拒否されたため、別のルートや方法を探ることになった。

文化・芸術と並走するアーツカウンシルを

 2012年6月13日に大阪府市都市魅力戦略会議が開かれ、「世界的な創造都市に向けてグレート・リセット」なる案が発表された。府市一体となった形で観光、国際交流、文化、スポーツなどを推し進めるのが狙いだが、3つの重点取り組みの一つとしてアーツカウンシルの導入があげられている。専門性、透明性、公平性をうたった第三者機関が、評価・企画・調査することになる。鑑賞者・参加者の数のみならず、文化の多様性がどのように反映されているのか、表現の革新性や作品の社会性など、芸術の質にかかわる問題が深く論議され、評価されることを望む。OAC(大阪アーツカウンシル)は文楽や大阪フィルの評価もその守備範囲に入れていると聞く。また大阪に漫画アニメミュージアムを作ることを含め、ミュージアム都市を前面に打ち出した提言も準備段階にあるという。精華小跡地を大阪の文化芸術の拠点にするために考えられた「セイカアートスクエア構想」なども論議・検討の対象にすることを強く望む。文楽には「グレート・リセット」が必要と考えられているようだが、文化・芸術を規制するのではなく、それと並走し、活性化するものであってほしい。

ミナミを大阪の文化・観光の拠点に

 先の大阪府市都市魅力戦略会議では文化観光拠点の形成として5つの重点エリアをあげている。1)大阪城を中心とする大阪城・大手前・森之宮地区、2)中の島中央公会堂周辺の「博物館の島」構想、3)天王寺動物園を核とした天王寺・阿倍野地区、4)御堂筋フェスティバルモール化、5)大阪港を中心とした築港・ベイエリア地区。4)では「集客の核となる拠点の整備・誘導」として「精華小跡」が明示されている。5つの地区のうち、いちばんあいまいで出来の悪いのが4)の「御堂筋フェスティバルモール化」である。中心となる地域・建物がはっきりしない上、「にぎわい空間の形成」があいまいでわからない。どうやら梅田から難波までを想定しているらしい。大阪の文化の中心はミナミでなければならないと思う。そのこてこてで猥雑な精神性やエネルギーから大阪の文化は生まれ育ってきた。ミナミを大阪の観光の一大拠点として、精華小学校跡を文化芸術発信ための公共空間として開発してほしい。
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セイカアートスクエア構想

前提となる提案:
 大阪市は建物を一元管理する。土地は売却しない。(土地価格を事業計画に反映しないため)民間事業体が運営する。建築物の現状を出来るだけ生かし、リノベーションにより再生活用する。運動場を広場(オープンスペース)として残し、地域の中心とする。プロポーザル方式によりプロデューサーを選出する。(事業コンペをしない。企画力のみの審査を行なう)

総合的な文化施設としてのアートスクエア(市川提案)

 全体を3つのブロックに分割する。

Aブロック:アートスペース。美術館や画廊での発表の場を持たない新進作家のモダンアートの発信の場にする。展示場以外にアトリエ、スタジオ、ギャラリーなど広く利用
Bブロック:資料館スペース。マンガ・アニメミュージアム、上方演芸資料館など。図書室も置き、生涯学習ルームや子ども、学生の自習室として使用
C ブロック:パフォーミングアーツ・劇場スペース。稽古場。諸団体の事務室
劇場はいくつかの空間を用意し、1公演で複数の空間が使用可能にし、超先端を行く演劇の発表の場とする。以下のようなことを具体的に考えている。

1)維新派の本拠地を置き、劇団事務所、稽古場を与える。
2)DIVE、新劇団協議会など諸団体の事務室を置く。
3)稽古場を無料で開放し、若手の育成に当てる。
4)精華を中心にフリンジを開発し、演劇祭、国際演劇祭を開く。

⇒2キロ(徒歩や自転車で来られる地域住民の拠点・メッカ)から20キロ(大阪府内や近隣の県の住民が乗り物を使って1時間くらいで来られる、使用度の高い芸術空間)、200キロ(名古屋や岡山・広島など時間がかかっても大きな催しには来ようという注目度の高い劇場)、2000キロ(世界からゲスト、お客を呼べる世界的な演劇祭の場として)へと劇場の影響圏を広げ、将来は2000キロの観客を射程にした取り組みへと羽ばたいていくことが重要だと思われる。
今年の4月に開館した「江之子島文化芸術創造センター」(大阪府立)と連携し、大阪のアートシーンを形成することも重要だろう。すでに耐震強度を満たしている劇場、幼稚園、運動場スペースを利用してイベントを行い、府民の注目度を集めることは焦眉の課題だと思われる。以下のようなことを当面考えている。

・大阪カンヴァス推進事業に応募し、精華小学校を使った大規模なパフォーマンスを行う。
・子どもフェスティバルを開き、ジュニアバンドなどの演奏や人形劇のワークショップなど、子供にとってこの場所が重要なことを広く府民に知らせる。
・大道芸フェスティバル:10月の御堂筋kappoや静岡のフェスティバルと連携・協力
実験演劇、モダンアートの発信地としての性格を強め、アピールする。
最近出来た「津あけぼの座スクエア」(幼稚園をリニューアル)なども参考にしたい。

 夢や理念を語ることはもちろん必要なことだが、こちらから具体的な提案をして、とにかく行動に出ること、実績を作っていくことが重要である。それによって広範な人たちが精華小学校跡地の重要性に気づき、この場所を芸術文化の拠点として利用しようという運動に参加してくれるだろう。

市川明|いちかわ・あきら(大阪大学教授・ドイツ演劇)