2014-04

2014-04-30
こちら側の文楽 ー互いに歩み寄るためにはー

 2月の劇団太陽族公演『大阪マクベス』の劇中、「橋桁知事」の圧政に抗議する文化人達の掲げるプラカードに「文楽は大阪の宝」と書かれたものがあった。文楽は現代演劇と同様関西で不当に扱われている仲間とみなされているのかと、認識を新たにさせられたものだ。実際橋下知事は初めて文楽を観て「こんなものはこのままでは滅びる」といった意味の発言をしている。
hoshino(C)国立文楽劇場

© 国立文楽劇場

 
 昨年から国立文楽劇場は「むりやり堺筋線演劇祭」に参加している。5つの小劇場でポイントを溜めれば、一等席4600円の文楽(それでも他の伝統芸能や東京発の中劇場以上の現代演劇に比べれば、ずっと安い)を無料で観ることが出来るのだ。では現在の文楽に、初心者が近付くことは可能なのか。

 2008年に関西に戻って以来、文楽劇場の公演にはほぼ毎回足を運んでいる。よく言われる通り地元大阪での観客動員は、やや思わしくないようだ。文楽の主軸は誰が見ても分かり易い人形でなく義太夫節なのだが、今ではテンポが遅く難解な印象を与えていることが、大きな要因の一つなのだろう(但し字幕の設置によって、以前よりは距離が縮まっている筈だが)。通し上演が多いため、夏の公演を除けば昼夜どちらかの部だけでも4~5時間かかることもあるだろう(勿論この場合、夜の部を仕事帰りに観ることは不可能)。そして歌舞伎と同じ演目(実は大抵の場合、初演は文楽が先)を演じながら、役者中心の歌舞伎とは違って、より封建時代のドラマの理不尽さが際立ってしまうこともあるかもしれない。だが一番大きな理由は、「名人」はいても他の伝統芸能とは違って、マスコミで売れる「スター」が存在しないことではないだろうか。

 最近文楽の魅力を堪能出来たのは、6月12日の「第28回文楽鑑賞教室」の『仮名手本忠臣蔵』(原作の五・六段目)だった。解説付で上演時間2時間半というのはやはり手頃だが、今回は例年にも増して内容が充実していたのだ。「早野勘平腹切の段」を文楽で観たのは十数年ぶりだったのだが、歌舞伎とは違って言葉が切り詰められドライでテンポが速く、この場合はドラマ性の重視が骨太な味わいとして伝わって来た。侍失格の汚名を返上しようとして追い詰められていく青年や一日で家族全てを失う老婆の悲劇が迫って来たのだ。桐竹勘十郎(勘平)以下人形の奮闘もさることながら、竹本津駒大夫の力が大きい。力強く言葉が明快なこの人の場合、義太夫節の魅力は現代でも有効と思えて来る。

 「鑑賞教室」は月1~2回社会人向きのものも行われているが、若手中心のより小規模な初心者向けの公演など増やせないものか。スターの不在は、同時に親しみ易さでもある。そして作り手が歩み寄って来れば、「大阪の宝」に近付く人々も増えると信じたい。

星野明彦(ほしの・あきひこ/演劇批評)