Vol.20

麗しの島での人類学者の格闘|劇団大阪『フォルモサ!』

劇団大阪『フォルモサ!』(6月24日7時、A/7月1日7時、B@谷町劇場)

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 創立40周年を迎えた劇団大阪が、記念公演のための上演戯曲を募集、その入選作品が『フォルモサ!』である。「イラ・フォルモサ!」とはポルトガル語で「麗しの島」を意味し、16世紀にポルトガル船の航海士が台湾を見たときに、こう叫んだそうだ。日清戦争後、清国から割譲された台湾を統治するために1895年に日本の官庁、台湾総督府が設置された。舞台は総督府時代初期の台湾で活動し、苦悩するひとりの人類学者と妻の物語である。

 日本と台湾の関係を描いた作品は珍しい。作者は新人の石原燃。パンフレットで女性であることを知った。確かに女性の視点から全編描かれており、主人公は人類学者というよりもその妻なのである。人類学者、百木太郎のモデルは、台湾総督府の嘱託として先住民の研究をした森丑之助である。森は先住民と日本人の架け橋となるべく奮闘したが、1926年に日本への帰国途上、船の甲板から飛び降り自殺を遂げている。

 円形の窓のある部屋。明治時代に取り入れられた洋風建築のモダニズムを思わせる。上手には大きな机があり、ここで百木が調査資料の整理や研究をしている。台湾総督府理蕃(りばん)本署調査課の部屋で、上手奥の扉の向こうに課長である鶴丸の部屋が続いている。理蕃政策とは、蕃族と呼ばれた台湾先住民に対する大日本帝国軍部による強制的な民族同化政策を意味し、窓や、下手扉の向こうから抗日蜂起の声が時として聞こえてくる。

 舞台は百木の妻、アイの回想で始まる。大正11年、東京の実家で、アイは木箱を開けて亡くなった夫のアルバムや研究ノートを整理する。アイは手帳のページをめくり、読み始める。明治34年、船で神戸を出帆して4日目に島が見え、夫、百木が「イラ・フォルモサ!」と叫んだ様子が言葉で示される。百木は「美しい山々に住まう未開の人たちとの出会い」が楽しみなのだ。

 この芝居は枠構造をなしており、最終景もアイに送られた手紙を読むところで終わっている。アイは過去を回想する語り手として登場し、やがて現在を演じる劇平面へと降りていく。この構造自体は新しいものではないが、台湾に到着以降の森尾教授との調査旅行の様子などが手際よく語られており、状況設定が観客に簡潔に示される。作品はアイを中心に展開していく。外から聞こえる桃太郎の歌は子どもの声から討伐隊の声に変わる。当時、民間で流布した「桃太郎(日本)の鬼(敵国)退治」がイメージされる。

 上演はAチームとBチームの2チームに分かれ、すべての役が違ったキャストで演じられるため、まったく上演の印象が変わっておもしろい。A,B順に俳優名を記すと、百木太郎は上田啓輔/熊谷志朗、アイは名取由美子/小石久美子が演じている。上田は百木をニヒルで反骨精神に富んだ庶民研究者として演じており、好演だ。硬さは折れやすさにもつながり、上演では調査課の自分の部屋の窓から飛び降り自殺をする。

 百木家には二人の子どもがいる。15歳になる知的障害者の夏夫(山根徹/竹中裕紀)と養女として迎えたタイヤル族の女性ハナコ(南澤あつ子/吉本藍子)だ。百木の広い人間愛が示され、蕃族の討伐に反対する百木の姿勢が貫かれている。その意味でハナコの形象は重要な意味を持つ。ハナコに対して「お母様だなんて呼ばないで…蕃人なんて子どもと思って育てられるわけがない」と叫ぶアイとの間に強いコントラストを生むからだ。

 先住民の土地を侵略し、先住民を帰順させようとする総督府に対して、反対し続ける百木だが、妻アイの理解は得られない。アイは百木が求める、「夫の研究に対する理解」も、「自立した女性としての歩み」も、「毒婦になること」も、何一つ満たすことができない。寂しさから測量技師として赴任してきた宮田(市村友和/岡村宏懇)へのつかの間の愛に走る。市村が純粋でどこか暗い宮田を演じ、白黒映画の世界を髣髴とさせたのに対し、岡村が明るく、生き抜く強さを感じさせたのも印象的だった。初日に市村が、愛の告白の場面でハンカチを忘れたのはちょっとしたハプニングだったが。

 違和感があったのは周りの人たちがすべて善人であったこと(善人として演じられていたこと)だった。課長の鶴丸(宮村信吾/清原正次)や、妻で愛国婦人会支部長の貴子(夏原幸子/津田ひろ子)、東京帝国大学教授の森尾(斉藤誠/神津晴朗)、巡査の中島(高尾顕/南勝)などはベテラン俳優がそれぞれ力量を発揮し、見事に演じているのだが、彼らからは大日本帝国の軍国主義のかけらも感じられなかった。描き出される世界は調和に満ちたものであり、矛盾や葛藤はどこかに消えてしまっている。百木が自殺し、巡査の中島が抗日蜂起で殺されているにも関わらずだ。作品自体が持つ弱さを演出の堀江ひろゆきが十分にカバーできなかったことも惜しまれる。

「朝鮮民族の独立」や「東洋圏の平和」を掲げて戦われた日清戦争も、その後の数々の戦争も結局は「自国(日本)の権益の拡大」のための戦争であったことは歴史が検証している。今でも反日感情が強い韓国に対して、親日の多い台湾の状況をとらえて、朝鮮総督府に対して台湾総督府の政策がうまくいき、民族同化に成功したとは、単純に誰も思わないだろう。帰順式の招待状をアイに送る宮田の手紙で、宮田は討伐の終結をアイとともに喜びたいと言い、百木の功績が評価されるようになったと伝える。「今後蕃人たちは、皇民として迎え入れられ、『高砂族』と名前を変えます。彼らの戦闘能力も我ら大日本帝国の為に活かされることと存じます。…」彼の言葉がアイロニカルに響き、批判となって返ってくることを望む。  

市川 明(いちかわ あきら。大阪大学教授/ドイツ演劇)

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Posted on 2014-06-23 | Posted in Vol.20 | No Comments »

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