Vol.20

男には見えない男子のセカイ|KIKIKIKIKIKI『ぼく』

KIKIKIKIKIKI『ぼく』(6月11日@アイホール)

撮影:阿部綾子

撮影:阿部綾子


 週刊誌をペラペラとめくると、必ずといっていいほどグラビアアイドルがきわどい水着姿で笑顔を振りまいている。男の欲望の鏡となって彼女たちは微笑む。消費的な女性イメージ。男たちの視線を受け止める商品は僕たちの身の回りにあふれている。だが、その逆はどうなっているのか、男である筆者はその内実をあまり知らない。一体「男」のイメージはどのように消費されているのだろう?

 KIKIKIKIKIKIは女性三人のカンパニー。きたまりを中心として決して美しい身体ではないダンサーが肉体をさらけ出して踊る。背が小さいきたまりをはじめ、背の高い野渕杏子にぽっちゃりとした小太りの花本ゆか・・・彼女らはいわゆる「男性が欲望し、消費する女性像」からはかけ離れているがゆえに、艶めかしい「女」の存在感を醸しだす。そんなKIKIKIKIKIKIを率いるきたまりが今回取り組んだのは男のみ7人の俳優・ダンサーに振りつける作品、その名もズバリ『ぼく』である。

 四角形の舞台を囲んで観客は座る。舞台上にはミラーボールがつられ、ダンスホールのようなイメージ。対面式の舞台でないことも相まって、どことなく自由な雰囲気が漂う。開演とともにおもむろに男達が入ってきて、普通に自己紹介をはじめ、即興的に一発ネタをやったりコントを展開したりしていく・・・これだけ見ると、ただ単に男達が遊んでいるようにしか見えず、エチュードは稽古場でやってくれという思いが湧いてくる。多分、ワークショップの過程で作られていったのであろう舞台展開に、だからなんなんだよという感触をいだいていたのだが・・・私の中でこの気持が一気に反転したのが「ぼく、かっこつけます」と言いながら一人ひとりがまさにかっこつける大喜利的展開を見せる場面。

 なんとなしに客席を見回すと何か女性たちがニヤニヤしている。これはどうしたことだろうと考えると、ああ確かに「ぼくかっこつけます」という男の子的馬鹿っぽさは女性がのぞきみたいと欲望する男子のセカイなのだ。いまこの瞬間、女性の目には男性(私)の目に映る身体とは全く異なる何かが見えているのである。

 ここで、私は梅佳代(うめかよ)の『男子』という写真集を思い出さずにはいられなかった。『男子』はその名のとおり、誰にでもある「男子」時代を女性独特といっていい視点で切り抜いた写真集である。女子のセカイが男子からはうかがい知れないように、男子の世界もまた女子からはうかがい知れない秘密があることを、この写真集は教えてくれる。

『ぼく』が同じ主題をめぐって動いていることは疑い得ないだろう。実際、その後の展開で最終的に全員が服を脱ぎだし観客は男=男子の裸を堪能(消費)するのであり、そこで私たちは私たちの目がいかにセクシャリティの制度によって犯されているのかを思い知るのである。

男達には見えない「男子のセカイ」を、女性たちはのぞき見る。観客は身体を見ているようでいて、実はセクシャリティの制度を見ているのであり、7人のパフォーマーがきたまり(女性)の目にいかに応えたかという、つまりは(あのグラビアアイドルのほほえみのように)女性の欲望の鏡となった男達がいかに消費されたかを見るのである。

 しかし、結局『ぼく』は単に女性が欲望する男のイメージを消費しているに過ぎないとも言えてしまう。きたまり=女性に埋め込まれた視線の制度を追認するのではなく、いかに揺さぶるのかが問われているように思う。

高田 ひとし(たかだ・ひとし/演出家/演劇フリーペーパー「とまる。」編集長)

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Posted on 2014-06-23 | Posted in Vol.20 | No Comments »

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