Vol.20

ポストゼロ年代演劇と東日本大震災

ポストゼロ年代演劇と東日本大震災

 国際演劇評論家協会日本センター(AICT)の関西支部の演劇批評誌「act」のリニューアルにあたり、今回以降ビビッドな題材を取り上げてインタビューないし座談会を掲載することにしました。今回はその第1回として「ポストゼロ年代演劇と東日本大震災」を総合テーマに関西で今もっとも旬だと私が考えている3人の若手アーティスト(きたまり、杉原邦生、山崎彬)に集まってもらうことにしました。

 中西理(以下中西) 2010年前後にそれまでここ十数年、日本の現代演劇をけん引してきた平田オリザの現代口語演劇の流れとは明らかに違うスペクタクルで祝祭的な演劇を特徴とする若手演劇作家が相次ぎ登場しました。ままごとの柴幸男、柿喰う客の中屋敷法仁、快快らがそうなのですが、これをポストゼロ年代演劇と呼び、現代演劇における新たな潮流として注目していました。

 3月11日に東日本大震災が起こって、ポストゼロ年代の演劇がどのように変わるのかに今もっとも興味を持っています。作品のあり方にどういう形にせよ影響が出ざるをえないと思うからです。例えば阪神大震災の時はちょうどその年(1995年)に鴻上尚史と平田オリザが岸田戯曲賞を同時受賞しているのですが、鴻上に代表されるそれまで主流だったポストモダン的なものが急速に後退していき、平田オリザに代表される現代口語演劇が台頭してくる。その大きなきっかけが震災とオウム事件だったように思うからです。

 山崎彬(以下山崎) 関西にいましたからテレビとかでしか分からないし、あれ以降東京へも行ってないので、話とかを東京の演劇の友人から聞いたぐらいしか正直分からないです。前回の公演作品を書き始めたのも震災の後からでしたが、大きな影響があったかというとそれに対してはあまりなかった。でも確かにあの直後は気分は落ち込みました。でも関西では東京などであったらしい「この時期に公演やってどうなのか」という声もとどかなかった。まだ、自分としてはようやく今じわじわと実感してきたぐらいなんです。  

 中西 チャリティーイベントとかに参加したことは?

 山崎 余っているTシャツとかを提供したぐらいでイベントにっていうのはありませんでした。

 きたまり(以下きた) 難しいんですよ。ダンスとかは現地に行ってワークショップをはじめてるじゃないですか。それの募集もあったりして。だけど、中途半端になにかやるのはよくない気がして、募集が来ても「そこには登録できないな」と思ってしまう。中途半端に元気づけようとワークショップしてもしょうがないじゃないですか。どういうスタンスで私はなにをできるんだろうと考えています。  

 中西 きたまりさんもこの間公演(KIKIKIKIKIKI「ボク」)を行ったけどどうでしたか?

 きた 本当に難しいんですよ。地震の日以降、地震があった時に私たちが一番最初に思い出すのは阪神大震災の時のことなんです。地震あった直後、私やたら人と阪神の話をしゃべったんですよ。やはり、ああいう光景があったから。そして、そこからどうにかして今回の地震とつながりをつけようとしたんですよね。ただ、やはり当事者じゃないとこの問題は絶対に分からない。揺れを体験してるかしてないかで全然違うし、それは体感だから揺れただけであのことを思い出すんです。そういう体験をしてるかしてないかで全然違うし、身内が亡くなっているか、いないか。知ってる人に被災者がいたかどうかで全然違う。私は今回の地震はそういう意味ではなにもいえないと思っているんです。本当になにもなかったですから。

 ただ、私はちょっと暗い作品は作れないなと今回思いました。この前ダンスボックス*2でチャリティーとかもあったけれどあそこもなにをしようかとすごい悩んだんですよ。7分の中でチャリティーで収益全部を被災地に持っていくのでなにかしてくださいと言われた時になにをしたらいいのかを。
    

 その時に暗いことだけはできないなと思った。それで今回もすごくそれはあったかもしれないです。次の作品もまず暗いことはできないですよね。なにかこうどうせみな死ぬんだけど、なにをしていても、それでも生きているということをちゃんと確かめるようなことをしたい。舞台を作るうえでそれしかできないなって。だから無理やり私が今回の地震について発言しようとしたらいけないと思う
。重みが違う。でも、杉本君は実際に揺れを体験したじゃない……。

 杉原邦生(以下杉原) そう、神奈川県の実家にいてシャワーを浴びてたんです。本当は僕は仕事で名古屋に行く予定だったんですけど、その日には行けなくなってしまいました。実家が海から500mしか離れていないから、避難も経験しました。ただその後は次の日に名古屋に行ってすぐに京都に帰ってきてしまったから、計画停電がはじまったとか、原発がやばいとかっていうときは実際にはあっちにはいませんでした。

 3月末ぐらいに実家に再び帰ったんですが、帰るまで不安でしょうがなかった。向こうはどうなってるんだろうかということに対して京都では全然実感がなかったからです。帰って逆に友達に会ったり、家族に会ったりして安心して、そこでやっと俺は落ち着いたような感じがあった。僕の身内とかには亡くなった人はいなかったですけど、皆あっちだからコンビニにものがないとか、停電がどうとかいろいろあって、で、京都に帰った時に京都は(地震の影響が)なにもないなあと。そういう感じがあった。別にそれが悪いということじゃないです。僕も阪神大震災が起こった時にやはり遠くの出来事だったし、海外の大きな地震やあるいは9・11が起こった時も遠い出来事に感じた。

 それによってなにかを感じてはいるけど、遠くで起こっている出来事でしかない。それはそれで全然いい。というかそれがむしろまっとう。素直な意見だと思う。でも、僕は東京にも行ってるから、こちらだけにいた人とは少し感じが違うかもしれない。3月の末に帰った時に舞台を見に行ったんですけど、その時もみんなこの公演をなぜやるかということをたまたまNODA・MAPで野田秀樹さんがカーテンコールでしゃべったり、平田オリザさんの公演ではオリザさんが前説をしたり、1枚の紙で説明が入っていたりということが実際にあった。それをやっていない劇団は逆に見てると怖いなというのがあって、やってくれるとどういうつもりでやっているのかが、こっちに伝わってなんとなく安心できた。だから、僕はその時たまたま公演がなかったんだけれどそういう状況を体験したなかで自分はなにをやれるかというのは考えた。何をやるかを考えた時にそれを自分でどう出すかを考えて作品を作っても仕方ないので、そういう中で自分がやりたいことをどうやってやっていくかを考えた時にシンプルに考えてやるしかないなと思っている。先ほど(きたまりが)暗い作品作れないと言っていたけど、僕はなにかさっきの話じゃないけれど、演劇界全体がどういう方向に進んでいくのかは分からないし、どうでもいいんです。ただ、僕はそこにいままでやってきたことも含めて祝祭性のようなものに回帰していくんじゃないかと自分で個人的には思っています。

 震災が起きた後に観客だったから、社会なりお客さんが何をあなたたちはするのというのを見られたりしている気がした。というか僕がそういう風に見てしまったから、自分ならどうやるかと考えた時にそこを一番感じた。

 中西 それは確かにあるかもしれない。今回すごく感じたのは別に作品のテーマが震災と関係なくても見る際にどうしても無意識に関連づけてみてしまうことでした。ところで、杉原さんは「GroundP」の企画で東京の劇団を呼ぶから彼らとも話したりすると思うのですが。

 杉原 会った奴らとはかならずその話になる。ただ、呼ぶ際には電話だったり、メールだったりするので、あまりそういう話はしてないんです。 

 中西 いきなり震災の話から入ったので相前後するようだけど次に3人の関係を聞きたいと思います。杉原さんときたまりさんはどちらも京都造形芸術大学でしたよね。お互いのことはいつから知ってました?

 杉原 僕は大学に入った時は(その前には)なにもやっていなかったから、別にきたまりがその前に何やっていたかとかまったく知らないし、新入生として知ってただけだった。

 中西 お互いの舞台を見たことは?

 きた 私、相当見てないんだよね。

 杉原 俺はたぶん一番最初にやった「女の子と男の子」から見ていると思う。

 きた 私何から見たんだったったかなあ。春秋座は見た。

 杉原 あれ、俺たぶん初演出だよ。

 中西 山崎さんは立命館大学の学生劇団、西一風の出身。西一風出身者は京都の若手演劇人に多くて、ある意味京都造形大学と2大勢力みたいになっています。山崎さんときたまりはこの京都芸術センターできたまりが企画したトークセッションが最初だったんですよね。

 山崎 その時点では見てはなかったけれど名前は知っていましたKIKIKIKIKIのことも。ウェブのインタビューとかも読んでいたし。会うとよくしゃべる楽しい人だなと思いました。

 中西 でもその後は劇団の公演に客演してもらったり、ひとり芝居の演出をしたり、この前は逆に山崎さんがきたまりの舞台に出演したりと深い関係でしたよね。

 山崎 深い関係ね(笑い)。ずっと一緒だった1年間がやっと終りましたね。

 きた もうしばらく会うことはありませんねという感じですが。

 山崎 僕も(きたまりの)作品は見てないのですが、基本的には表現がどうのというよりは話していて面白い人とやりたいと思っているたちなので、話しましょうよという打ち合わせの時に僕もきたまりさんを呼ぼうと考えていたんですよという話をしたんです。

 中西 それで2回ほど演出したんですよね。

 山崎 僕の悪い芝居の公演とKIKIKIKIKIKIの委託公演(ごまのはえ作)の2度。

 中西 演出して見てどうでしたか? 本人の前ですが(笑い)

 山崎 いや、素敵な人でした(一同笑い)。

 杉原 本当に? 

 きた 結構いいよ、私使うと結構いいよ。

 杉原 従順なの?

 きた 従順かどうかは分からないけれど。

 山崎 従順じゃあないなあ。外部の人を呼んだという感覚でもないし、ダンスの人を呼んだという感覚でもないですが、でも面白いですね、基本的には普通の役者さんよりも自分でカンパニーを持っている人と一緒にやるというのは。楽しかったです。

 中西 きたまりと杉原さんは木ノ下歌舞伎*3で競作してますよね。

 杉原(きた) そうだ。(そうです)

 中西 その時は杉原さんが美術でしたっけ?

 杉原 そうです。俺が美術をやりました。

 きた わはははは。

 中西 その時は美術だけだったのでそんなにはかかわってないのですよね。

 きた 稽古に何回か来て、恐ろしい美術を出してきて、こんなんじゃ踊れるか、という。

 山崎 めちゃ苦い顔してましたもんねえ。この話題が出た時。何があったのか? 

 杉原 基本、バトってました。

 中西 あの時はきたまりを招こうというのは木ノ下裕一だったんですね。

 杉原 木ノ下歌舞伎は企画が僕と木ノ下君の2人でやっているのですが、木ノ下君が「きたまりで踊りがやりたい」と言って、さらに「2本立てでやりたい、美術は同じ人がいい」ということで僕がきたまりの美術もやることになった。全体の監修も木ノ下君がやっていたので、自分のをどうしようというのに専念していてあまりお互いの作品がどうこうというのはなかった。

 中西 山崎さんと杉原さんはこれまであまり接点がなかったと聞いたのですが、今度初めて杉原さんの企画に山崎さんの劇団(悪い芝居)が参加することになった。

 杉原・山崎 本当になかったです。

 杉原 話したりするぐらい。

 山崎 情報誌「Lマガジン」が以前やった対談で話したぐらいかな。

 杉原 でも舞台は2006年に初めて見たから、けっこう以前から見てます。最初に見たのはアトリエ劇研でやった「岩乙女!」だったかな。

 山崎 その時は顔を合わせてはいないのだけれど、その後は同世代で同じ京都でやってるということでは意識もあって、顔を合わせれば挨拶する仲ではあった。

 中西 今回の企画では東京勢を中心にしたラインアップのなかでただ1つ地元勢として悪い芝居を選んだわけですが。

 杉原 最初は今年は東京勢だけでやるかという風にも思ったんだけれど、やはり地元が全然ないのはなあとも思った。それでどこにしようかという時には一番最初に思いついたのはそれじゃ悪い芝居にお願いしようということでした。

*1:「団欒シューハリー」

*2:アートシアターdB神戸

*3:「道成寺/三番叟」

Tags:,
Posted on 2014-06-23 | Posted in Vol.20 | Comments Closed

Related Posts