vol.21

悪役の中にこそある「人間性」| KUNIO09『エンジェルス・イン・アメリカ』他

※ 作品タイトルは複数のため作中に明記
kunio_035(変換後)
 我々はなぜ芝居を観ながら「悪役」に惹かれるのだろう。思い付くことはあっても現実では許されない行為を、フィクションという安全弁付きで見せてくれる爽快さからかもしれない。そしてその行為を通じて、ある意味での「人間性」を感じさせてもくれるからではないか。
 KUNIO09『エンジェルス・イン・アメリカ』(作:トニー・クシュナー、訳:吉田美枝。演出:杉原邦生)を、休憩込9時間半の通し上演で観た(9月25日 京都芸術センター講堂)。この大作については翻訳が出版された第一部に
のみ目を通したことはあったが、上演を観たのは今回が初めてである。かつては「新劇」の専売特許であったろう社会派の現代劇を多くは二十代と思われる演劇人が取り上げ、緊張感のある舞台を創り上げたことは快挙だろう。80年代のアメリカを舞台とし、さらに膨大な情報が台詞の中に盛り込まれた作品でありながら、距離感に臆せず真正面から取り組むという気概が伝わって来た。
 第二部でリベラルなユダヤ人でゲイのルイス(松田卓三)が、新しい恋人で弁護士のジョー(澤村喜一郎)を責め立てる。ここまで反動的な判決に関わって来たのかと。相手の私生活がどうあろうと主義主張では譲らない姿からは、日本人が曖昧にしがちなものを突き付けられた思いがした。その一方天界をからめながらもアメリカ=世界のように描かれている点では、やや限界も感じたものだが。
 そしてこの舞台で圧倒的な存在を示していたのは、作者に立場が近いと思われるルイスでも、エイズから生還する主役・プライアー(田中佑弥)でもなく、実在の保守派の黒幕である弁護士ロイ・コーン(田中遊)。マッカーシーの腹心としてローゼンバーグ夫妻を処刑したことを誇るような彼は実はゲイ。だが「俺には影響力がある。だからホモとは言わない」とエイズであることを隠して闘病を続ける。受け容れ難い人物の筈なのだが、エキゾチックで苦み走った風貌の田中が、自信に満ちた態度で華麗なまでに罵倒語を散りばめた台詞を間髪入れずに繰り出す姿に、とにかく惹き付けられてしまった。出演者の中で唯一、年齢その他から来る役柄との距離を感じさせなかった。そんな彼が息子のように思っていたジョーもゲイだったと知り打ちのめされ、死に追いやった人物の幻影に悩まされながらも、最後に悪態をついて死んでいく。マクベスやリチャード三世を思わせた。
 約二週間後に、チリの亡命作家アリエル・ドーフマン作『WIDOWS~谷間の女たち』の、VOCE企画による上演を観た(水谷八也訳、山本つづみ演出。10月10日関芸スタジオ)トニー・クシュナーが「共作者」と言える役割を担った作品である。02年に劇団大阪による上演を観ているが、今回も感銘を受けた。
 軍事政権下のチリらしいが時代も場所も明確でないある村、成年男子は全て軍部に連れ去られ、女子供だけが残っている。そして老女ソフィア(末永直美)は毎日河岸に腰を下ろし、父親を、夫を、息子を待ち続けている。ある晩流れ着いた腐乱死体を彼女が「父です。埋めさせて下さい」と言い張ったことがきっかけとなって、女達全員が死を覚悟で立ち上がるのだが。
 同時代の問題を『トロイアの女たち』を思わせるギリシャ悲劇の様式を取り入れて骨太に描いた戯曲を、力強く立ち上げていた。カンパニーの主宰者である末永は目を離せない気迫に満ち、鴻池央子(関西芸術座)・演出の山本等他の女優達も実力を発揮した。
 だが唯一最大の不満は、ソフィアと並ぶ主役である隊長(元M.O.Pの岡村宏懇)。彼はまず「過去を忘れ未来へ向かおう」という被害者から見れば虫のよ過ぎる、だが体制内の人間としては精一杯の姿勢で村人に手を差し伸べる。だが女達は男達を帰してくれと主張し、一方富裕層の一員である副官(松蔵宏明)は生ぬるいと突き上げて来る。劇団大阪での清原正次の苦悩ぶりは忘れ難い。だが岡村はアイパッチに耳障りな発声と、ラストの役割から遡ってまず「悪役」として演じているようだった(実際自身のブログで「めちゃくちゃヒールな敵役」と書いている)。個人としては良心を持ち合わせた人間が拷問や虐殺を行うという複雑さが薄まってしまった。
 そして身近で親しみ易い「悪役」を現出させたのが、劇団えびふらい『太鼓たたいて笛ふいて』(作:井上ひさし、演出:井之上淳。10月13日メイシアター小ホール)。吹田の市民劇団出身の女優3人による集団がプロの応援を得た公演。井上が今年まで生きていたら何を思ったかが、伝わって来る舞台だった。
 林芙美子(西川綾子)を通して「文化人の戦争協力」を真正面から取り上げた作品で西川は柄を生かし力演、母キクの戸口基子は達者さで、島崎こま子の渡邉純子はひたむきさで支えた。だが舞台を成功させたのは、様々なメディアを渡り歩き芙美子を唆す三木を演じた坂口修一。いるだけで善人を演じてしまえる風貌の彼が、戦時中は「戦は儲かるという物語」で国民をまとめろと、朗々と歌い熱弁を振るう。そして戦後は何食わぬ顔で「新生民主日本」の宣伝に努め、芙美子が死ぬとよき理解者として追悼文を書く。個人としては人間味溢れる人物が集まって、国家を動かしていく「悪」を成立させる。そのことを実感させてくれた点では、こまつ座で演じた木場勝己以上だった。
 「お偉方」の作った「物語」を一般人が信じ込みついて行く。その「物語」の一つが「ウソッパチ」で国自体を滅ぼしかねないことが分かりながら、また別の「物語」が出て来ればすがろうとする。そういった「物語」を作ることも信じることも愚かであり、しかも自他共に傷付ける「悪」なのだ。

星野明彦(ほしの・あきひこ/)

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Posted on 2014-09-29 | Posted in vol.21 | No Comments »

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