vol.21

ザガリーおばさん?ザガリーおじさん?え、何おじさん??|<KYOTO EXPERIMENT 2011 公式プログラム> ザガリー・オバザン『Your brother.Remember?』

<KYOTO EXPERIMENT 2011 公式プログラム>
ザガリー・オバザン『Your brother.Remember?』(2011年9月24日15時~@ART COMPLEX 1928)

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この作家について無知な私は、「ザガリーおばさん」という人なのかと思っていた。ところがチラシなどで確認してみると「ニューヨークを拠点に活躍する『ネイチャー・シアターオクラホマ』のメンバーとしても知られる、ザガリー・オバザン(1974~)のソロ・パフォーマンスが日本初登場」ということらしかった。ドキュメント性を取り扱う作家でもあるそうだ。開演時間になると、私の予想に反し、舞台には外国人男性の姿があった。これでは「ザガリーおじさんだ」などと思っていると、スクリーンには、パロディー映像に興じる少年ザガリーたちと青年(30代半ばだから壮年か)になった彼らが行き来している。

ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の『キックボクサー』(1989年公開)という映画とコナン・ル・シレール監督のカルト映画『ジャンク』の2つを元ネタにして、元ネタの映像、それらのパロディー映像としてのホームビデオ(兄弟で20年前に撮影)、さらにそのパロディー映像を同じキャストで再現した最近の映像、兄弟のドキュメント映像、そして舞台上でのザガリー・オバザンのパフォーマンスが、時に交互に時に同時に、進行していく。
つまり、「元ネタの映画」「古いパロディー映像(20年前)」「最近のパロディー映像(最近)」「兄弟の現在(最近のドキュメンタリー映像※)」「舞台のザガリー(現在)」をそれぞれ行き来する。それは元ネタと複数のパロディーの比較だけでなく、同時に「理想(?)」「遠過去」「近過去」「パロディーの裏側と時間経過の背景」「現実」と、観客は彼ら兄弟の時間経過を通じての変化をも追うことになる。
このパロディー映像がとても面白く、しょぼいホームビデオなのだが、格闘技映画『キックボクサー』を子どもがふざけてローテクで模写しようとする、(結果、無理・距離が生じる)小学生レベルのくだらなさの良さがそこにはある。そして撮影場所・小道具等を20年前の模写と統一するという方針により、「遠過去のパロディー映像(20年前)」と「近過去のパロディー映像(最近)」が比較されその差が浮き立つ。それは、彼ら兄弟の20年という時間の流れを見せられるということでもある。
 これだけで終われば、20年の時を経てもバカな遊びを共にすることが出来る微笑ましい兄弟、パロディーホームビデオの可笑しさ、ということで話は終わるのだが、差し挟まれる「ドキュメンタリー映像」の存在により、これらは別の意味を帯びてくる。俳優を目指していた兄弟だったが、弟は「今現在」観客に見せているような作品を創ることが出来る表現者となったが、兄は薬物中毒になり刑務所を出入りするようになってしまっていた。遠過去と近過去の中間は語られないが、この20年という時間。下らないパロディー映像でありながら、この2つのホームビデオを比較しつつ流す行為は極めて残酷だ。
さらに刑務所の中での生活を語る兄。刑務所でも彼は(20年前のように)下らない悪戯をしており、その内容の語り自体はバカバカしく面白いのだが、映像の中の彼が彼らが楽しげな下らない事をすればするほど、「何故、今、舞台の上には弟しかいないのか」を推し量ってしまう。舞台上の弟―ザガリー自身―の背景が浮き立ち、その存在が立体的に立ち上がって来る。
 またあまり言及はされないが映像には妹も登場する。妹はパロディー映像にもドキュメンタリー映像にも登場し、おっとりとした印象の彼女は、兄弟の過去や現在を微笑みつつ語る。兄弟と良好な関係の妹なのであろうが、兄と弟を定点観察するかのようなその存在は、まるで観客の視点を作品内に取り込んだかのようでもあった。我々も、彼女のように親愛と幾分かの複雑さを抱え今兄弟を観ている。
 それら映像が、舞台上のザガリーに集約されていく。
 映像<過去>の強い印象に対して、舞台上<現在>のザガリーのパフォーマンス(弾き語り等)が弱いのではないかと感じるが、そこは重要ではないのかもしれない。映像の中で兄弟は語る「(20年前にパロディー映像を撮り今回また撮ったから)また20年後に撮ろう」と。しかしあの薬物中毒の兄が、20年後も同じようにこういったことが出来る状態でいるのだろうか。それを考えずにはいられなくなる。今でさえ撮影中に薬物中毒の症状が出てしまっているではないか。この兄の20年後!?
 過去を見せ、比較し、それを眼前の現在に集約させた後、「未来」を考えてしまう。
 そう、映像(過去)と舞台(現在)を交錯させた結果、未だ見ぬ時間(未来)までをも射程に捉えることに成功した作品なのだ。
 「Your brother.Remember?」の「brother」を「friend」にでも置き換えれば誰にでも当てはまる普遍的なものだろう。20年前の「あの人」は、今どうしているのか、20年後はどうしているのか。その時に自分はどうなっているのか。思いを巡らせてしまう。「あの人」は20年後も健康であろうか。今と同じに笑い合える関係でいられるであろうか。誰だって考えたことがあるだろう。考えてしまうだろう。

20年後、きっとザガリーはもっとおじさんになっているだろう。名実共に「ザガリーおじさん」に。私も、もっとおじさんになっているだろう。などと思いながら会場のART COMPLEX 1928を後にすると、そこではいつものように「クレープおじさん」というクレープ屋さんがクレープを売っており、もう「何おじさん」なのかわからなくなった。私は「何おじさん」になっているのだろうか。私の友人は「何おじさん」になっているのだろうか。わからないが、おじさんになっていることは確かだろう。生きてさえいれば。

※アフタートークでのザガリーの言葉を信じるなら、このドキュメンタリー映像には演出は入っておらず、過度の編集もされていないものらしい。本稿はザガリーの言葉を信じるという前提で書く。

坂本秀夫(さかもとひでお/ライター・研究者・演劇フリーペーパー「とまる。」誌上で連載中)

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Posted on 2014-09-29 | Posted in vol.21 | No Comments »

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