vol.21

平田オリザインタビュー「国際舞台芸術フェスティバルと拠点劇場」 

リニューアル後、第2弾となる「act」21号では「京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT)」などの国際演劇フェスティバルを中心に劇評をとりあげ特集とします。恒例となった巻頭インタビューでは平田オリザ氏を迎え、日本で最近盛況になりつつある都市型の国際演劇フェスティバルと劇場法などで想定している拠点劇場の関係について、フランスなどでの状況などを踏まえて語ってもらいました。
orizahirata
 中西理(以下中西) 平田さんは今回KYOTO EXPERIMENTにアンドロイド演劇「さようなら」で参加なさったわけですが、これまでもフェスティバル/トーキョー(F/T)のような総合舞台芸術フェスティバルや昨年のあいちトリエンナーレのような総合芸術フェスティバルにも参加なさっています。さらには国内だけではなくフランスを中心に海外でも豊富な国際フェスティバルへの参加の経験があります。内外の事情に詳しい平田さんに今の日本の国際フェスティバルの状況をどのように見ていらっしゃるか、フランスなどの場合、拠点劇場と国際フェスティバルは異なる役割を担っているということを以前おっしゃられたことがあると記憶してます。このあたりのことをまずお聞きしたいのですが。
 平田オリザ(以下平田) ヨーロッパの特に大陸の方の場合ですが、国際フェスティバルという大きな円盤と公共ホールという大きな円盤が並行して回っていて、これは垂直方向にも多少はつながってはいるけれど、前者は国際マーケットで後者は国内マーケットなのでそれはそれぞれにフィールドが違います。国際マーケットは年々見本市的な性格が強くなっていて、いいフェスティバルほど若いプロデューサーとか芸術監督とかが集まってきて新しいものを買い取っていくという機能があります。典型例はチェルフィッチュの岡田(利規)さんがベルギーのクンステン・フェスティバル・デザール*1で大成功して、以後何年にもわたって欧州市場でフェスティバルをまわるということが起こっている。
 平田 フェスティバルには非常に大きなヒエラルキーがあって、トップレベルのエジンバラやアビニョンからクンステンのようなより小規模だが特色を持たせたもの、そして地方の夏に行われるさまざまな大きさのフェスティバルがあります。1回作品がヒットすると日本の劇団の場合には3~5カ所あれば欧州ツアーが組めますから、例えば100のフェスティバルがあるとすれば原理的には20年はツアーを続けられる、そういう大きなマーケットがあるわけです。
 平田 一方で国内市場はフランスならフランス、ドイツならドイツで強固な劇場システムを持っています。フランスの場合、国立演劇センターがそれぞれ作品を作って、それをお互いが買い支えていくという仕組みです。その場合にアビニョンなどでも発表する、それは海外なども意識した作品が多いわけですが、国内市場の見本市的な役割も果たしていて、7月には劇場のプロデューサーや芸術監督はバカンスに入ってますから、そういうところに来て1~2週間滞在して、翌シーズンか翌々シーズンのラインナップを買い取っていくという風になっています。ですからフェスティバルと拠点劇場には、この点で垂直方向の接点もあるわけです。
 中西 それではアビニョンやエジンバラが夏のシーズンにあるのはそういう事情があるからでしょうか?
 平田 もちろんそうだと思います。そして、見本市機能が増しているなかでクンステンがいま力を持っているのは芸術監督が非常に目利きで、世界中を回って最先端のしかも他のフェスティバルが呼びやすいものをうまく選んで上演しているというのがあるわけですね。例えば少人数であったりとか、セットが少ないとか、祝祭性が強いとかいうようなことも重要な要素です。そういう点では青年団はあまりフェスティバルには向いていなくて、公共ホール向きだと考えています。フェスティバルは1日に何本も見ますから、やはり刺激の強いものとかの方が喜ばれる傾向がある。アビニョンとかエジンバラというのはご承知の通りフリンジ機能というのが非常に大きくて、アビニョンはたぶん年に20~30の正式招聘作品に対して、約1000のフリンジの作品があって、このフリンジも段々と評判が出てくるとお客さんも集まるし、劇評もでるし、劇評を劇場の表に貼ってとか、俳優がチラシ配ってとかすごい涙ぐましい努力をして人を集める。それで本当に1000あるうちの30とか50とかがどこかに買い取られていく。そのうち本当にたくさん買い取られていくのは1ケタかもしれません。だから、アビニョンドリームとかエジンバラドリームというのは今は本当に少なくなっていて、それよりはいったん芸術監督の選抜を経たクンステンのようなものの方がチャンスがつかみやすくなっている。アビニョンとかエジンバラとかは本当にお祭りだから、プロデューサーも来るけどなに見ていいか分からないから雲をつかむような話なので大変ですよね。だから本当に見本市機能をさらに強化したようなものの方に流れていっているかなというイメージはあります。
 中西 海外のフェスティバルと比べて、日本のフェスティバル/トーキョー(F/T)やKYOTO EXPERIMENTはどうでしょうか? 後、日本の場合にはもう少し規模は小さいですが鳥の演劇祭とか静岡のように拠点劇場が主催して開催している国際演劇祭もありますが、これはどうでしょうか。
 平田 もともとさかのぼれば、もちろん国際フェスティバルの最初は利賀フェスティバルで、国際フェスティバルにはもうひとつ大きな役割として海外の文化に触れるという本質的なものがあると思うんですね。利賀のフェスティバルには海外の最先端のものに日本の演劇人が恒常的に触れられるようになったという大きな意味があったわけですが、時代とともに国際フェスティバルの役割も変わってきた。そろそろ日本でも見本市的な役割のフェスティバルが求められていたところにFTができて、それまでの蓄積もあったわけですが、やはりF/Tになってから、圧倒的に海外からのプロデューサーや芸術監督の来日が増えたことは間違いない。いくら韓国が文化予算を使っても日本の方がまだまだ表現の多様性があるので、(海外市場への)吸引力がある。F/Tができたことは非常に喜ばしいことで、それに鳥の演劇祭とか静岡が異文化の紹介という最先端のものを紹介する機能を補完して果たしているということが今の状況でしょう。
 中西 それではF/TとSPACの演劇祭では機能が違うということですか?
 平田 SPACは立地条件もあって、毎週末にしか上演できないので見本市的な機能は持たせにくいですね。ただ、いまは、静岡がないと本当に最先端のものに触れる機会がF/Tだけになってしまう。昔と違ってあまり世田谷パブリックシアターとかが呼ばなくなってしまったのでそれはそれで大事な役割があると思います。
 中西 そのなかでKYOTO EXPERIMENTの位置づけはどのように考えたらいいのでしょうか?
 平田 そこは、私も多少なりとも立ち上がりの時からアドバイザー的な立場でかかわってきたので、私がずっと言ってきたのは最初のうちは今のままでもいいけれども、京都という土地柄からいって、フリンジ的ものを伸ばしていくのがいいじゃないかということです。フリンジ機能はF/Tもやっていますが、弱いんですよね。東京はだだっ広いから。フリンジというのはエジンバラとかアビニョンみたいに城郭都市で、城郭の中で歩いて全部行けるところで、そこかしこに劇場空間があるというのがフリンジのいいところなんで、京都はぎりぎりそれができる街なのです。それから京都のブランドイメージがあるから、F/Tに海外から来るプロデューサーも芸術監督も2~3日京都に足を延ばすかということになって嫌だという人はいないわけで、だとすればF/Tとのすみ分けを図る意味でもフリンジ機能を強化した方がいいんじゃないかと思うわけです。それは徐々に出てきてるとは思うのですが。もちろん、フリンジ機能というのはフリンジだけではできなくて、集客力のある目玉の作品とフリンジという関係性ですから、フリンジの方は玉石混交でいいと思っているのだけれど、まだそこら辺の割り切りが弱いというか、もっとメチャクチャにした方がいいと思います。つまり、クンステン型の目利きが選んでくるフェスティバルを目指すのか、フリンジ型で徹底させるのかをもう少しはっきりさせた方がいい。僕は、京都の場合は、ある種のクオリティーを保証するというのは今の体制ではちょっと厳しいのではないかなと思っている。お金もないといけないですしね。
芸術監督とかフェスティバルディレクターには、玉石混淆を許す、大らかさとか大ざっぱさも必要な資質です。

 中西 そうですね。F/Tがどういう体制でやっているのかは分からないのですが、「KYOTO EXPERIMENT」は2人のプロデューサー(橋本裕介、丸井重樹)がすべてを手づくりでやっているような感じもあります。おそらく、もう少し体制というか、その下にグループとしてのフェスティバル運営ができるスタッフがいないとしんどいかもしれませんね。
 平田 フリンジを増やして自己増殖型にした方がたぶんいいと思うんですけどね。
 中西 最初はあの体制で毎年やるとは思っていなかったのでちょっとびっくりしました。
 平田 でもよくやっているし、今年からは文化庁の比較的大きな予算もとってこられたわけですから、滑り出しとしては上々じゃないかと思います。それはいろいろ言う人はいると思うんですが、フェスティバルというのは、そんなすぐにできるものではないんです。アビニョンだって何十年という伝統があってあそこまでになってきたわけですから。
 中西 日本だけの特殊な形態なのかもしれませんが、そのほかに平田さんも参加したあいちトリエンナーレのようにアート系の大きなフェスティバルの一部に舞台芸術が含まれているという場合もありますよね。単発ではありますが、瀬戸内国際芸術祭が維新派を招聘している例もあります。特にあいちトリエンナーレはパフォーミングアーツの部門だけでも質量ともに国内の舞台芸術フェスティバルと比較してもひけをとらないどころか、それを上回るような質量があり、1回目だったということもあり、今後どのようなことになるのかはまだまだ予断を許さないところもあるのですが。
 平田 あいちトリエンナーレは本当にああいう形でやっていただいてよかったなと思っています。今後もああいうことは増えていくだろうと思いますし、それもまた大きなマーケットになっていくことは間違いないでしょう。
 中西 いままでの話に出たフェスティバルでF/TやKYOTO EXPERIMENTなどは独立した実行組織があるわけですが、鳥の劇場やSPAC、そしてあいちトリエンナーレで主体となった愛知県芸術文化センターのように拠点劇場として想定されているような劇場が演劇フェスティバルを主催している例も多いようですが、日本における機能の分化などについて平田さんはどのようにお考えなのでしょうか?
 平田 ヨーロッパのフェスティバルの場合は小さい町でやるものの方が多いのです。特に夏のバカンスシーズンなどにそれをひとつの観光の目玉にしている。町中のいろんな空間を劇場にするということで、例えば今年私たちが行ったイタリアのサンタルカンジェロフェスティバルなんてのは劇場がないんですよ。小劇場が1個あるんですが、本人たちも劇場はないと言っていて、納屋みたいなところだとか、「ヤルタ会談」は市議会の議事堂でやったという風にいろんなところ、ありとあらゆるところを劇場にしていく。その面白さはやはりあるんです。まあ、後やはり向こうの夏は雨がそんなには降らないので、野外もできるというのもあります。だから、日本では今までは大きな都市でやっていたので、もっと小さな町がやるのがまずひとつの選択肢だと思います。一番そのイメージに近いのは沖縄市のキジムナーフェスティバルだと思いますが。中核にある劇場はもちろんあってもいいのですが、鳥の演劇祭もだんだんそれに近づいてきてますね。この間「ヤルタ会談」は鳥の演劇祭でも旧鹿野町の町議会の議事堂でやった。そういういろんなスペースを使ってやっていくというのが一般的になっていくと面白くなっていくのではないかと思います。京都もその可能性が十分にある。町中にいろんなスペースがありますから。京都は大都市なんだけれどそれができるちょっと稀有な都市ではないかと思います。周囲を囲まれているし城郭都市に近いでしょ。
 中西 日本の都市では京都がエジンバラと一番似ている感じがします。私が海外の演劇祭を見てきた印象ではたぶん、あのくらいの規模の町が大きさの限界だと思います。
 平田 そうです。限界です。
 中西 東京とかニューヨークとかだったら埋もれてしまってやってる感じがしないのじゃないかと思います。東京国際映画祭などを見ていていつもそう思っていました。
 平田 だから東京の場合は(F/Tは)これまでそういうものがなかったから機能としてはいいのですが、今後ほかの競合するものがでてくると考えなきゃいけないってことになるでしょうね。今は非常に役割をはたしてくれているので有難いのですが。

撮影:阿部綾子

撮影:阿部綾子


 中西 一時、演劇祭というのはそういう形式ではないものがバブル時代というか80年代にたくさんあったのが、急速になくなってしまいましたよね。そういうものと今やられているF/TやKYOTO EXPERIMENTでは集客性というか、作品の前衛性などで違いがあると思われますが。
 平田 そこら辺は本当にこれからの課題でもあって、メインの集客性が見込めるものとフリンジとのバランスを、継続性ということを考えると、絶妙に取っていかなくてはならなくて、それはまあ試行錯誤ですごく前衛によってしまう時と大衆性によってしまう時といろいろあって段々とフェスティバルの色というのは固まってくる。だから1~2回の開催であれこれ言わなくてもいいんじゃないかと思っている。ただ、まぁ言わないと揺り戻しもないから、いろいろ言うのも大事なんですが。それですぐに「これではだめ」っていうことにはならないと思います。
 中西 拠点劇場の方はどういう役割を果たすことになるのでしょうか。
 平田 国がお金を出して演劇作品を作るということを新国立劇場だけにまかせるというのは明らかにゆがんでいるし、非効率なので「創る劇場」というのを10とか20とか30とかきちんと決めて、そこにはちゃんと競争もあって、JリーグのJ1、J2みたいな感じで、そこはきちんと作品を国の責務として作る。それと「見る劇場」、これは地域拠点で、別に作品を作らないということではないのだけれど、基本的には買い取りながら回していくというところに機能を分化させていくべきだと僕は考えています。たくさんの劇場があって全部が全部作品を作れるわけじゃない。だとすればそれはやっぱり、空港行政や港湾行政と同じで、選択と集中がどうしても必要であると思います。
 中西 そういう中で関西では拠点劇場という役割を今担えるような劇場が兵庫県立芸術文化センター以外は大阪も京都も現状では見当たらないということがあって、その中でひとつ平田さんも準備段階でかかわっていらっしゃる「ナレッジシアター」、あれも当初計画よりはちょっと遅れているようなこともお聞きしているのですが、現状と見通しについて少しお聞きしたいのですが。
 平田 先ほども会議があったばかりなんで、本当に今どうなるかの瀬戸際ぐらいなので、どうなるのか自分でもまったく分からないのです。ただ、今確か重点拠点は11カ所全国にあると思うのですが、大阪市内にないというのは特に演劇において、兵庫はどちらかというとオペラ、びわ湖ホールもそうですから、明らかにバランスを欠いている。民間がやるのか、行政がやるのかということは別にしてそれはやはり将来的には必要ですよね。
 大阪大学としては総長が替わって停滞しちゃったんですが、昨日、きょうあたりの話し合いでまあ大丈夫だろうということになったのですが、もう1回上の方で話し合いはしていて、後、1、2週間で結果が出る。大阪市、府側の問題もある。いずれにせよ今は私の手を離れてしまっていてそちらの方での結果がでるのを待っているところです。
 中西 京都はどうなんでしょうか?
 平田 京都も市の芸術会館について検討が進んでるようです。
 中西 京都会館のことでしょうか? 建て替えは小劇場などと関係があることなんですか。
 平田 多少関係はあるんじゃないでしょうか。いまいろいろやっているということを聞いています。あそこも貸館需要もあるので、いろいろ難しいみたいなのですが。
 平田 まあやっぱり芸術監督のいる創造拠点は、関西にも欲しいですよね。基本的に劇場法というのはそんなに難しいことを言っているわけではなくて、劇場というのはただ鑑賞の場ではなくって、創造の場ですよ、ということ。創造の場である以上は専門家が必要ですよ、ということだけなんです。それを法律で根拠づけるということだけなんです。階層化みたいなことは法律にはなじまないんで、実際には現実の助成金の出方もすでにそうなっているので、それを裏付けるような概念的な法律を作るということです。
 中西 フェスティバル/トーキョーやKYOTO EXPERIMENTに出ている助成金というのはどういう類のものなのでしょうか?
 平田 それは国際フェスティバルに対する助成です。それは昔に比べて潤沢に出るようになっています。
 中西 それでは劇場法と関係なくそういう助成金などは続いていくということなんですね。
 平田 もちろんです。それももう少し分業と競争と淘汰が進むと思います。つまり、今はアーツカウンシルがないから分業は、申請側が個別に、自分たちで考えなくてはいけない。だから国の政策というのはあまり出ないのですね。本来だったらアーツカウンシルで主導して、あなたはこういうのをやっていただくといいのですけどねというようなことがもうちょっと言えるといい。それでもちろん、地域の側で拒否してもいいわけです。やるのは自治体だから。ただ今は、あまりにバラバラで、市場にまかせすぎじゃないかと思っています。
 中西 平田さん、あるいは青年団とフェスティバル、拠点劇場との関係なのですが、今海外ではフェスティバルにはロボット演劇あるいはアンドロイド演劇で参加していることが多いですよね。
 平田 先ほど申し上げたように、うちはあまりフェスティバルに向いていないんですね。例えば去年「東京ノート」でシビウの演劇祭に行ったのだけれど、うちはやはり待遇はいいので夜10時からとかの開演だったんです。8時からとか10時からとかは待遇がいいメインの公演です。ただ、お客さんは朝からずっと見ていて最後に疲れきって見るから、『東京ノート』なんかはあんまり向いてないんです。だから、そういうものよりはアンドロイドのような客寄せ的なものの方が好まれて、おそらくこれからは、うちでフェスティバルに呼ばれるのはそういうものの方が増えていくと思います。今年もイタリア・ナポリ演劇祭とサンタルカンジェロ演劇祭に行ったんですが、それは「東京ノート」と「ヤルタ会談」をセットで持って行ったんです。ジュネーブのバティックという演劇祭も「ヤルタ会談」とセットで持っていった。「ヤルタ会談」を見て「東京ノート」を見ると、これはなかなかいいんですよ。「ヤルタ会談」で少し慣れておいてから見ると、『東京ノート』もフェスティバルでもすごく評判がよくて、だからそういう風にやはり見せ方も工夫しないと、うちみたいにある程度ブランドイメージが確立してきている劇団でさえも、フェスティバルに行くとなるとなかなかうまくいかない。今度「ソウル市民」5部作を、できれば2年後にアビニョンでやりたいと思っているのですが、そういう一挙上演みたいなのは1日中ずっと見ているから、うちみたいな劇団でもいいわけなんです。
中西 平田さんに聞くことではないのかもしれませんが、アビニョンフェスティバルは何年か前の日本特集が評判がよくなくて、それ以来日本の劇団がやりにくくなっているというのは難しくなっているという風に聞いたことがあるのですが。
平田 それはそうではないです。評判が悪かった、あまり成功しなかったのは確かですけれど、日本の劇団がそれでやりにくいというのは文法的におかしいですね。だってフリンジは全部開かれているわけですから。
中西 すいません、呼ばれにくいという意味でした。
平田 呼ばれにくいというのはアビニョン自体がフランス語上演が多くてそんなに海外の作品を呼ばない傾向になっているからじゃないでしょうか。そうは言っても2006年のフレデリック・フィスバックがやった「ソウル市民」は日本語上演で正式招待でした。それでル・モンドの1面に出ましたから、だから、決してそういうことはないです。まあ、選定はフラットだから。いいものはいいし、だめなものはだめ。毎年ディレクターも変わりますし。ただ、あえて言うなら、(日本特集の失敗で)日本に対する幻想はなくなったということはあるかもしれません。アビニョンは本当にもうはっきりしていて、正式招待とフリンジとでは全然待遇が違う。「ソウル市民」なんて打ち上げはプールのあるレストランで泳ぎながらシャンパンを飲んでいて、一方でフリンジ参加の劇団は宿舎もざこ寝ですから、中核に入らないとはっきり言って意味がない。若手の人たちに言っているのは、もうアビニョンでフリンジに行く時代ではない。それよりはF/Tに出て、ちゃんとした作品を作ればそこにクンステンのフェスティバルディレクターとかは毎年来るわけだから、そこで認められる方が全然効率はいいんだよと言ってます。やっとそういう時代になったということですね。だから逆に言うとアビニョンに台湾とか韓国の劇団がいますごくたくさん来ていますが、それはアビニョンにフリンジで参加することがまだステータスになる国だからです。(日本では)今はもう構造は分かってしまっているでしょ。アヴィニヨンなんて、フリンジならだれでも行けるんだということを皆知っちゃっているから、「アビニョンから帰ってきました」「スタンディングオベーションで好評でした」といっても「へえ、そう」という感じ。それがニュースになったのは日本では20年以上も前のこと。
中西 海外のフェスティバルに行っても次につながらないと仕方ないですからね。
平田 そうです。そして、そういう意味でもつながりやすいクンステンなどに行く方が成功への確率が高くて、クンステンに行くには日本でやっていてもチャンスはある。そのチャンスをもらえるようになったのはF/TやTPAMのおかげだということです。
中西 以前だったら海外公演は日本である程度実績を積んだ劇団が万全の準備をして行っていたのに対し、最近は旗揚げしてまもないような若手劇団が次々と出かけていって、それもただ行くというだけじゃなくて、ちゃんとマーケットに乗っているようなことが増えているような気がするのですが。
平田  それは本当にいいことだと思います。それはある程度ノウハウが確立して、才能のある人が才能をちゃんと伸ばせるようになったというのはいいことです。関東圏では、フェスティバル以外にも、公共ホールに芸術監督や専門のプロデューサーがいて、通常の劇場でも貸し館ではない公演が増えている。後はアーツカウンシルができればと思います。国の助成金だけで何度も海外に行っているような劇団は淘汰されるべきだと思います。だけど今の現状は書類を書くのがうまいところが海外に行っているという傾向があるから、本当に行かせたいところを行かせるようにしないいけないと思う。セゾン文化財団はクンステンと組んでそれをやっているでしょ。本来あれはアーツカウンシルがやるべきことなわけです。推薦枠みたいなのをもらってどんどん向こうのフェスティバルに対して、今回これどうですかみたいな感じで、アーツカウンシル主導で海外展開をやるわけです。
中西 向こうの状況ははっきり分からないのですが、クンステンのようなフェスティバルとアビニョンとかエジンバラというのはまたリーグが違うのでしょうか。規模の大きなバジェットの大きなところと小規模なところの間には回る作品の方向性の違いのようなものも感じるのですが。
平田 巨大フェスティバルとそれの次のウィーンとかクンステンでは、はっきりと規模の違いがあります。クンステンというのはちょっと隙間産業のようにぐっと急に出てきたものだと思います。そんなに規模を大きくしないで目利きが50くらいの公演を集めてきますみたいな新しいタイプですよね。シーズンも全然夏じゃない時期にやるという。また、ブリュッセルという大きな都市だけど、歩いて回れて、交通の便がよくて、ヨーロッパ中から集まりやすいということもあります。だから、それはそれで新しいマーケットを作ったということはあります。
中西 そして、そこからネットワークが出来てきたことで、プレゼンスが増してきているというのはあるわけですね。
平田 そうです。
中西 ただ、逆に言うとそこからメジャーリーグというべきなのかどうか分からないのですが、アビニョンやエジンバラの正式招聘にステップアップして行こうと考えた時にそこには大きな壁があるとも聞いているのですが。
平田 それは少なくともアビニョンの場合はフェスティバルと公共ホールとの関係があって、本来、ヨーロッパの演出家だったら、フェスティバルのマーケットを周りながら、次には公共ホールの方に行ってそこで作った作品とかがアビニョンに招待されるわけだから。それは岡田さんも、じっくりそこの点について話したことはないのだけれど、オファーがないわけではないだろうし、迷っている部分もあるんじゃないかなと思います。要するにまだ彼は外国語で作品を作るということに多少の躊躇があるという話は、本人から聞いたことがあります。そして、それに慎重であることも、大事なことだと思います。
中西 「水と油」がエジンバラとかアビニョンのフリンジをきっかけにいくつもオファーを受けて、ヨーロッパのツアーを始めてけっこういろんなところに呼ばれていた時期があったのだけれど、それだけでは限界を感じたというのを聞いたことがあります。何のために行くのかということもあると思うのですが。
平田 フェスティバルで回っている分にはそれはそれである程度商売になるんですが、やはり限界があるのと、そのうち飽きられる。僕は逆にフランスの公共ホールのマーケットの方に、最初から運よく入ったので、毎年クリエーションの依頼が来て、今も向こうで毎年作品は作っているわけです。それは非常に特殊な存在であって、運がいいとそれがアビニョンに行ったり、パリのフェスティバル・ドートンヌというのに参加したりするわけですが、そうすると巨額のお金が入ってくる。
中西 来年(2012年)は平田さんの予定はフェスティバル関係ではどうなっていますか。
平田 来年はフェスティバル・ドートンヌというパリの秋の芸術週間のようなところで、これに出ると予算も潤沢にもらえるので、これに出るかどうかを今交渉中です。これはロボット演劇の新作「三人姉妹」を考えています。それから、先ほども言った再来年のアビニョンでの「ソウル市民」5部作一挙上演というのも現在交渉中です。要するに1、2年前からいろいろ大雑把に話をしておいたのが、ある時期に急にぐっと決まっていくものなのです。
中西 アビニョンはもし上演するとしたら日本語上演で字幕をつけるということになりますか?
平田 日本語上演です。
平田 きょう話したことを最後にまとめるとするとやっと日本の若手の演出家が戦略を持って国際展開ができるような時代がやってきたということで、それはとてもいいことだと思います。それから、国や地域によって、システムはみんな違います。今日はヨーロッパの大陸の話がメインでしたが、国土の大きいカナダやオーストラリアでは、芸術見本市が力を持っているようです。公共ホールの在り方も、ネットワーク型のフランスと、大艦巨砲主義のドイツでは大きく違います。
極東という日本に地理的条件も踏まえて、時間をかけて、日本型の演劇マーケットを作る、そしてそれを国際マーケットとどうリンクさせていくかという長期的な視点が必要になってくるでしょう。

(2011年11月24日、大阪大学平田研究室にて収録)
  

Tags:,
Posted on 2014-09-29 | Posted in vol.21 | No Comments »

Related Posts

 

Comment





Comment