トップギャラリー

2014-09-29
多田淳之介インタビュー「演劇×ダンス クロスオーバー」

 日本現代演劇で1990年代半ば以降メインストリームとなってきた平田オリザら現代口語演劇中心の流れが大きな転換を見せたのが2000年代(ゼロ年代)後半。若手劇作家・演出家の相次ぐ登場によってであった。その特徴は演劇とダンスのボーダー領域の作品が目立つことでチェルフィッチュ(岡田利規)、ニブロール(矢内原美邦)を先駆とした「ダンスのような演劇」「演劇のようなダンス」はゼロ年代半ばにすでに姿を見せていたがその動きは2010年以降の2年間でままごと(柴幸男)、東京デスロック(多田淳之介)、快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)、悪い芝居(山崎彬)に加え、ロロ(三浦直之)、バナナ学園純情乙女組(二階堂瞳子)、マームとジプシー(藤田貴文)らより若い世代の台頭でますます顕著となった。
 「act」22号では「ダンス×演劇 クロスオーバー」と題してこうした動きがどのような背景によって生まれたのかを考えるためにその代表的な作家として多田淳之介を迎えインタビューを試みることにした。

tada_portrait300-400
 中西理(以下中西) 多田さんは演劇の分野で身体表現を多用した演劇作品を制作してきました。そのなかにはダンスに近いような要素が色濃い作品も多いわけですが、最初からそうというわけでなく、会話劇的な形でやっていた時期があってその後、そういうスタイルに変遷していきます。作風の変化するきっかけのようなものがあれば教えてください。
 多田淳之介(以下多田) 今のようなスタイルになったのは最初は2006年に制作した「再生」がきっかけだったと思います。その時初めて俳優が踊るということをやりました。しかしこの時はまだ演劇のスタイルとしては「静かな演劇」でした。つまり現代口語演劇ということですが、「再生」は現代口語演劇として創られた芝居を3回同じように繰り返すという構造だったのです。「再生」をきっかけにして、身体が例えば疲れていくこととか、どういう風に舞台上にいられるか、身体を舞台上にどう存在させるかということを考え始めました。だから、特にダンスを見て(影響を受けて)ということではなく、稽古していろいろやっていたらこうこう風になっていたという感が強いのです。
 中西 それではダンスの要素を取り入れようとして取り入れたというのではなくて、演劇をいろいろ試行錯誤しているうちにこうなったということでしょうか。それでは多田さんから見てダンスと自分がやっている演劇との違いはどこにあると思われますか?
 多田 ダンサーと俳優の違いは今回京都でダンサーと一緒に仕事をしてみてかなり明確に分かったのですが、作品としてダンスか演劇かという区分けについては特にダンス側についてはあいまいです。演劇の場合はなにが演劇であるのかということについては言えるんですが、ダンスに関してはまだ漠然としていますね。
 中西 それでは多田さんにとってはどういうものが演劇ですか?
 多田 演劇はまずドラマだと思っています。人間を見せるということが大きいかもしれません。俳優の機能としてはダンサーと一番違うのは身体を使うこともありますが、人間の枠からあまり出ないということがあります。だから、人間が人間を見るという構造が演劇だと考えています。ダンスの場のはお客さんは人間だけれど舞台上で見るダンサーたちはそのなかでなにか表象している生き物であったり、人間として見られているわけではないような気がしていて、なにかであることは確かですが、そこが演劇とダンスは違うなという気が今はしています。
 中西 多田さんの場合、基本的に演劇だと思って作っているわけですよね?
 多田 そうです。だから、今回のダンサーバージョンも演劇だと思って作っています。
 中西 その場合、その時のそこにおける身体的所作も演劇ですか? それともそれはダンスの時もあれば演劇の時もあるという感じでしょうか?
 多田 それはダンサーが踊っていようがいまいが僕にとっては作品は演劇の構造で作っているということなんです。昨日の作品だとダンサーつまり踊りを生業としている人間が踊るということだったり、彼らの今後の人生のなかで踊り続けるということを考えて作ったようなものなんです。それとやっぱり、僕は振付家ではないから振付もしていないし、本人たちに振付もしてもらっていて、言ってしまえばその振りが僕にとってはどうでもいい。ただ、演劇の構造で提示することで彼らの姿がかっこよく見えたらいいなと思いながら作ったわけです。だから、最近は確かに演劇を作っているのですが、演劇を使ってなにかを作っているという感覚の方が強いかもしれません。
 中西 演劇を使ってなにかを作っているというその「何か」というのは何なのでしょうか?
 多田 作品です。そして時間というかその場所を作っている。そういう意味ではインスタレーションみたいな感覚にも少し近いのですが、場所を演劇で構成するようなものでありたいなあと思っています。
 中西 今回のように境界線に近づくということはあっても、ダンスの方に完全に行かないで演劇にこだわる理由は何なのでしょうか?
 多田 それはまず僕が踊れないというのが大きいかもしれません。ただ、台本は書かないですけれど言葉を使うということに対するこだわりはあるかもしれません。しゃべらない作品も作りますけど、あれもやはり言葉でイメージさせるようなものを代わりに身体でやっているだけで、ダンスのように言葉ではないものをイメージさせるわけではない。物語・ドラマを想起させるというもので、それが好きなんですね。  
 中西 昨日の作品「RE/PLAY」にもセリフの場面がありますよね。焼肉についてのくだりですが、あれは別になくても構成的には成立しそうな気がするわけですが、あえてあれをあそこに入れた理由はなんだったのでしょうか?
 多田 あれはその後のシーンで皆ばらばらだっていうことを強調したかった。焼肉食べて別れたという会話をすることで、今舞台上にいる人たちが家に帰る途中なのか、ひとりなのかということを考えさせながら後半に行きたかった。焼肉自体にも意味はなくはないのですが、一番大事なのは皆で集まって離れるというのを入れて後半につなげたかった。 
 中西 それが多田さんの言う演劇的な構造、あるいは演劇的な仕掛けということなんでしょうか? あの場面はダンスということでいうとあまり必要ない蛇足のような風にも見えるのですが、どうしても必要なんでしょうか。
 多田 そうですね。あと時間軸のこともちょっと触りたかったということがあります。今上演している作品が終演した後の自分たちという会話を入れることで、じゃあ「今」はいつなんだというようなことです。
 中西 それでは多田さんにとっては出演している人がダンサーであっても俳優であってもある意味同じというか、ダンサーという存在、つまり人が見せたいので、俳優の場合も俳優の技術を見せるというよりは俳優という存在の面白さとかを見せたいということなんですね。
 多田 それは俳優の場合はそれが俳優の仕事と直結しているような気がするんです。だから、俳優を使う時はちょっと感覚が違うんですが、ダンサーを使う時はやっぱりそういう感じですね。例えば普段大工さんをやっている普通の人と演劇やるのとダンサーと一緒にやるのはそっちの方がちょっと近い。もちろん、ダンサーは舞台の人なんで全然大工さんとは違うんですけれど。 
 中西 最近、演劇をやっている若い人の作品にダンス的な身体所作が増えてきてちょっとダンスみたいな演劇になっていたり、逆にダンス作品のなかにセリフのある演劇のような作品が増えてきているよう感じます。この2つは分けて考えないといけないとは思っているのですが、実際にいくつか作品も見てらっしゃると思うのですがこういう状況について多田さんの目からはどのように見ていらっしゃいますか?
 多田 なんとなく共通しているのは舞台芸術なのでお客さんを眼の前にして舞台の上でやるということで、舞台の上にどうやって存在するかについての問題意識が強いとか、そこから発生していることでかぶっていることには僕は興味があるんですけど、ダンサーがしゃべるということに関してはやはり僕から見るとしゃべっている技術はままごとみたいな感じなので、僕の考えているしゃべるという行為を舞台上でやっているわけではないと感じてしまいます。そこに逆に違いを感じる部分もあるといってもいいかもしれません。ダンサーが僕の「再/生」の俳優版の映像を見て「これはかなりダンスだ」と言っていたのが、実際にやらしてみたら「ダンスじゃない」ということになった。ダンサーの人たちがなにをもって演劇を見た時にダンスだと思うのかということは僕には分らないわけです。チェルフィッチュがなぜダンスだと言われるのか。一つは踊っているっぽいからダンスだというのは、それは分かるんですけれど、それがダンサーにとってのダンスと受け取られるというのが今回ダンサーと仕事してみて少しだけ分かったような気がするわけですが、私は演劇がダンスによるとか、ダンスが演劇によるというようなことをあまり気にしてないでここまできていました。根本的な違いはどこかというと違いはあるような気はしてはいるけれど、特に若い人たちはいろいろ舞台の構造というか、いろんな上演形態について考えるようになっているので、そこで(演劇とダンスが)かぶってくることが多いんだろうと思います。単純に舞台上に人がいるという時に身体を動かすというのも演劇の人にはすっと出てくる発想だと思いますし。
 中西 演劇に関して言えば、特に若い人からそういう表現が出てきている動機として、平田オリザさんが現代口語演劇という手法を生み出して、それが一般化してから一時右も左もそればかりという感じになってから、もう20年近くの時が経過していて、もうそろそろ単純にそれだけだと言葉は悪いですけれど賞味期限切れというか、ある種の限界を露呈してきたかなとも思うんですけれど。
 多田 そうですね。身体に行ったというのはまあまあそういう感じの流れはあるとは思います。ただ、僕は青年団はダンスだと思ってるところもあるんです。ダンスの要素を相当にはらんでいるなと。
 中西 どういう点でそう思うのでしょうか?
 多田 あそこで俳優たちがやっている作業はものすごく繊細に身体をコントロールしているという点でほとんど振付なんです。毎日同じタイミングで、同じポジションに自分の身体を持っていく。同じ角度で手をさしのべるとか、同じ目線を再現するというのはちょっとした特殊技能ともいえます。ただそこまでいけない俳優というか、誤解してやっている人たちがほとんどなので青年団はちょっと特殊だなと思います。ダンスが好きな人も多いですし、あの人たちはちょっとダンサー的な感じはあります。
 中西 青年団がそういう意味でダンス的というのは面白い見方でよく分かる部分はあります。ただ、ダンスには即興のような要素もあるから、青年団的なものだけがダンス的というわけでもなくて、例えばもう少し即興的な要素も含んだ演劇がダンス的ではないとも思わないのだけれど。そういういう意味ではチェルフィッチュは一番最初は青年団的というか、ものすごく厳密に振り付けられていたのが、割と最近は即興にまかせるような感じにもなってきていますね。
 多田 そうですね。ただ、現代口語演劇を更新するような動きのなかで身体の問題が出てきたというのは僕もそう思います。
 中西 それで多田さんの場合の身体の出てきかたと即興と振付的な機能というのはどういう関係にありますか?
 多田 僕の場合は負荷をかけるというところから始まっていました。青年団の人たちと付き合っていたのが長かったこともあるのですが、あれだけ自分の身体をコントロールしながらセリフを言える人たちはけっこういろんなことができるなというのがあって、そこで相手を見ないでずっと話をするとか、日本語ではない言葉で会話するだとかいろんな負荷をかけはじめたのがひとつのきっかけとなっています。この俳優たちは一見ナチュラルに見えるような演技以外のこともたぶんできるんだろうなと思っていましたから。それでいろんな負荷をかけたり、演劇の構造をいじったりしてどこまでできるのかというのを探っていた部分もあります。そして、それが結果として身体の問題になっていったということです。
 中西 多田さんの側は特にそういうことは意識していないと思うのですが、観客の立場でダンスと演劇の両方を見ていると特に多田さんの演劇の場合には演劇の内部というよりは例えば同じ動きを何度も何度も繰り返すことで蕩尽していく肉体の限界と限界を超えていく力のようなものでいえば黒田育世さんとか、あるいは身体に負荷をかけることで立ち現われてくる身体の状態ということでいえば矢内原美邦さんとかむしろダンス系の演出家・振付家の人と問題群を共有している感じも受けるのですが。
 多田 どちらも見たことはあります。ただ、僕は少し違うなと思うのは僕は限界を超えているように見せたいと思っているだけで、本当に限界を超えてほしいとは思っていない。人が限界を超えた時に出すものというのをあまり信用していないんです。それが毎日できるんだったらいいんですけど、そこはなかなか微妙なところですね。できるだけ自分がコントロールして、疲れているようであったり、限界を超えているように見せる演技を構築してほしいと思っています。もちろん、それは本当にやらなければいけないところだったりもするので、何が本当で何が演技かというのは微妙なラインでもあるのですが。 
 中西 最初、稽古場で負荷をかけると負荷がかかっている状態のようなものがそこに立ち現れるわけですよね。それで、本番の時も毎回負荷をその時にかけるというのではなくて、負荷がかかって起きた状態みたいなものをキープするというか、再現するということでしょうか?
 多田 再現できるってことはかなり重要ですね。同じ結果がえられればいいということです。だから保険はかけてある。例えば昨日も「オブラディ・オブラダ」を10回やるという。あれも即興の振りを固めていくという作業だったわけですが、あれも振りがそんなに面白くなくてもただ10回繰り返すことでの効果というのはおそらく何をやってもある。そういう保険はかかっていて、ただその中で振りが面白ければよりいい。以前、2時間半磔になっている人が出てくる舞台を上演したことがあるのですが、磔になった結果、セリフが面白くなればいいんですが、そうならくても、2時間磔になっているだけで、それだけの効果はある程度保証されている。それと似たような保険は今回もかかっている。
 中西 そういう意味ではそこはダンスとは大きく違うところかもしれませんね。ダンスの場合は結果的に立ち現れてくる状態自体が面白いかどうかということが決定的に重要な気がします。昨日の場合だと前に演劇版も見せていただいているわけですが、松本芽紅見さんがすごくハイな状態で次第に限界を超えたようなダンスを踊りはじめて、それにはちょっと圧倒されたのですが、それを見ていて「ダンスとはこういうものなのか」と思ったということがありました。
 多田 なるほど。でも僕は予想していたわけではないけれど、あれは逆に願ったりかなったりの瞬間という感じでした。
 中西 そういう意味ではそういうことが起こりうる稀有な存在がダンサーなのかもしれないと思ったんです。少なくとも俳優とダンサーを比較するとダンサーの方がなにかが憑依したり、トランス状態になったりすることがより多いということがあるじゃないですか。
 多田 そうですね。松本芽紅見さんは大変なことになっていましたよね(笑)。
 中西 いつも起きるわけではないけれども、舞台っていうのはたまにこういう奇跡が起こることがあるというのがやはり生の魅力じゃないでしょうか。
 多田 奇跡の瞬間みたいなのがあるっていうのがそうですね。本当は毎日できるといいんですが。
 中西 ただ昨日も1ステージだけだからこそできたのでは。
 多田 それはあったと思います。何回かやるんだったら皆もう少しペース配分しただろうなと思います。それでも1ステの思いっ切りよすぎる感じがよかったですね。
 中西 素人の人を使ってやる場合もあるじゃないですか。その場合も1ステだけとか短い時間だったらこういう特殊な瞬間が現れることがあると思うのですが、それと劇団でやるツアーの公演というのは全然違うということでしょうか。
 多田 そうですね。普通の人の時はさすがに負荷はかけない。基本的にはできることしかやってもらいたくないという感じがあって、例えばダンサーと作る時にセリフ言うの下手だからうまく言えるようになるために稽古するという作業にはまったく興味がなくて、普通の人とやる時にはその人がいまできることだけを使って、あとプラスが生まれたらいいぐらいの感じです。俳優とやる時もそれに近いといえば近い感覚もあります。
 中西 話は前後するのですが、いわゆる身体表現的な表現形式が強まっていく過程について、2006年の「再生」がきっかけだったとおっしゃっていたと思うのですが、その後、「マクベス」「ロミオとジュリエット」と負荷をルールとして作ったうえで、そこで立ち現れる身体的なものを舞台に乗せていくような舞台が続きました。
 多田 疲れるということにかなり拘っていたというか、面白いと思っていたということがあります。「再生」で疲れる身体というのを初めてやってからしばらく、どういうことができるかなと考えていました。ただ、古典で身体を使うのはやはり古典のセリフを言うためにけっこう必要、というか素面で言われても困る。戯曲を使う時はどうしても戯曲に相当奉仕しているというか、かなり戯曲から考えることが多いです。
 中西 身体負荷をかけた時に見えてくるものがあるというのは私も同感なのですが、なぜそうなのか。多田さんはどのようにお考えでしょうか?
 多田 単純なのは負荷がかかっている人は可哀そうに見えるということがあります。最初に負荷をかけはじめたのは身体だけでじゃなくて、言葉のしゃべり方もありますが、気持ちよさそうにしゃべっている人を見たくないというのがありました。そういう演劇の恥ずかしいところは嫌だなと思っていて、俳優が俳優のしゃべりたいようにセリフをしゃべっている状態というのはつまらないという感覚があります。俳優の意思というか、つもりに拮抗する負荷をかけることでやりたいように言えない、やりたいようにいかないんだけれど、それが結果的に面白い言い方になったりするのが好きというのがあります。これは単純にセリフの言い方についてそうだということですが。それでその後、身体に興味が出てきた時にも同じようなことがあったんだと思います。 
(2012年2月5日、京都駅ビル某所にて収録)
  

 

2014-09-29
言語vs.構造の攻防として読む|「We dance 京都 2012」 多田淳之介『RE/PLAY』

「We dance 京都 2012」 多田淳之介『RE/PLAY』(2月4日、元・立誠小学校 自彊室)

提供:「We dance 京都2012」実行委員会

提供:「We dance 京都2012」実行委員会

 多田淳之介作・演出『RE/PLAY』は、「We dance 京都2012」の中の「演劇とダンス/身体性の交換」と題された企画プログラムの一本である。演劇人で演出家の多田のもとに関西のダンサーが集結し上演を試みた。演劇とダンスという異ジャンル同士の出会いの点でいうと、ダンスは身体を動かす基本言語の創造に、演劇はそれを構造化し時間軸上を運ぶ推進力に、それぞれ特化されていた。演出家・多田淳之介の仕掛ける劇構造の圧倒的な力には、ダンスとは言語を違えた、別の領域の創造性というものを目の当たりにした。
 8名のダンサーが舞台に散在し、思い思いに動いたり佇んだりしながら、それぞれの欲するところにしたがった、非焦点的でアトランダムな動きの情景を繰り広げている。キャラクター豊かな動物たちがそれぞれの生態にしたがって棲息する密林の様子にも似て、民主的で博物誌的な身振りのパラダイスといった様相だ。しかし後にこの情景が任意でも、はたまた即興でもなく、かなりきっちり限定された振付と、寸分たがわぬ配置と動線により、ひとつの完成したシーンとして演じられていることが判明する。というのも、シーンはこの後、幾度となく反復されることになるからで、反復は後に確かめたところ、ゆうに10回を超えていた。

 実際、まったく同じシーンの10回以上にわたる繰り返し=REPLAYという事態は、興奮と苛立ちの入り混じった一種異様な雰囲気をもたらすものだった。まさにミュージックテープの巻き戻しを思わせる「リ・プレイ」で、そのループ構造の出口のなさ、終わりのなさは、死ぬことすらできない時間のメビウスの輪状態、覚めたと思いきや冒頭に戻っている永遠の夢の恐怖を思わせる。サザンオールスターズやビートルズ、Perfumeといった、これまた飛び切りの楽天的なポップスの楽曲が、反復のうちに狂騒の色を濃くし、平和裏に展開していた身振りのパラダイスを徐々にネガに反転させるのである。『オブラディ、オブラダ』のイントロのピアノが再びの始まりを告げて響き渡るたびに、演じる者、見る者双方に、どっと徒労感が滲みわたり、世界が何者かの手のひらの上で弄ばれていることを思い知らされる。何者かとは、いうまでもなく、君臨する演出家である。
 
 今回の舞台にはインターバルが設定されており、これが全体の構成にメリハリをつけるという意味でも、また再開後に反復の過酷さを倍増するという意味からも、大いに功を奏している。『オブラディ、オブラダ』を終え、床にくたばり果てているダンサーたちが、横たわったままの姿勢で、口々に台詞を交わし始めるのである。聞いていると、どうやらこの上演が終了したあとの打ち上げの席であるらしい。「お疲れー」と慰労しあい、運ばれてくる料理を分け合い、共にひと仕事をやり遂げたあとのさわやかな充実感が醸し出される。場所は焼肉店らしく、注文をとったり皿を運んできたりする店員のセリフも混じっていて、活気ある店内の空気や、仲間同士の気のおけない宴の様子が、突っ伏したままやりとりされる軽妙な会話によって活写される。宴を終え、店を出て、夜空の下をそれぞれが帰途に着く別れ際の情景までが、人生に稀に訪れる幸福なひととき、二度と再生=REPLAYされ得ない、かけがえのない時間として描かれる。反復構造の本編に対置された、反復されない生の時間である。しかもこの甘美なまでの台詞のやりとりは、即興的な部分もあったと見えるが、多田の描写力の成せるところも大きいのだろう。
 さて、この幸福な情景で終わってくれることを誰もが願い、しかしそれでは済まないのだろうとの予感に違わず、ダンスは再び始まる。それでも楽曲が『ラストダンスは私に』とくれば、ああこれで本当に踊り納めかと思う。ところがそれすらも裏切られ、時間の果てしないループ構造が甦るとき、そこに演出家の悪意すら見え隠れした。

 ところで今作『RE/PLAY』にはオリジナルの演劇版『再生』(2006年、2011年リニューアル版は『再/生』)があり、私はこれら演劇版の存在を、この日の上演後に知った。観劇した人の話やいくつかの劇評(*)によれば、3回にわたり場面が繰り返されるという劇構造の中で、回を重ねるごとに役者たちは疲労してゆく。その疲労する身体が示すところとは、反復されたそれぞれの回が決して並列の関係にあるのではなく、当の演技者にとっては直線的な時間の、一回性においての経験にほかならないという事実である――これが『再生』という演劇作品へのスタンダードな解釈とされているようだ。とすると、このスタンダードに対して、本稿ではどうやら真逆の読みをしてきたらしい。ここでは本作の力の源泉を、反復する劇構造自体に由来するものと見做した。この構造自体の前景化により、個々の身体レベルで生起しつつある諸々の現象や、個別の身体性といった細部は捨象されていった。だが多田淳之介が演劇版と同様の試みを今回ダンスに置き換えようとしたのであれば、ここは視線を身体に“おろして”見てみる必要がありそうだ。
 ここで鍵となる演技者の疲労に着目して再度振り返ってみるに、ダンス版である『RE/PLAY』においてダンサーたちは、その鍛えられた身体能力とスタミナによって、ほとんど疲労を表沙汰にすることなくパフォーマンスを全うしたと言っていいのではないか。いや疲労の色は濃厚に滲んでいたが、それは先述のように身体的な疲労というより、繰り返しの構造の終わりのなさ、出口のなさに対する息苦しさや辟易感のほうであったと私は受け取った。そしてこの辟易感さえも、ダンサーらの大半はイントロが再び鳴り出す瞬間に、最初の動作に入る前の一瞬の“溜め”の空気として漏らすのみで、シーンに入ってからは、むしろ己が身体能力の限りを尽くして、与えられた身振りやムーブメントを律儀なまでに存分に生きたのではなかったろうか。ひとり、ダンサーの松本芽紅見にいたっては、こめかみにピリピリと痙攣を走らせ、回を重ねるごとに怒りと苛立ちをあからさまに表情にして見せる。そしてその怒りや苛立ちをパワーに、舞台上での輝きをいっそう増していく。
 演劇版『再生』が疲れていく身体の現前をもって、生の時間の一回性を示したのだとして(それは演劇の特質であり価値でもあるだろう)、ダンスの身体はこれらの価値をただ従順に再現したわけではなかった。なかなか破綻しないダンサーの強靭な身体は、演出者にとって誤算であったかもしれない。結果、リ・プレイは回数を重ねる。聞けば反復は当初12回の予定であったところ、自ら音響卓を操作する多田淳之介によって、本番の舞台では13回に増やされたのだという。
 いつか訪れるはずの終わりを、期待しては裏切られるというループ構造を繰り返しながら、回を重ねるごとに疲労どころか死どころか、いのちの輝きを増していくそれぞれの身体は、劇構造の圧制・横暴に、身体言語のレベルから徹底抗戦していたのであり、構造vs.言語の攻防をリアルタイムで生きたといえる。その意味では、これもまた並列ではない、再現され得ない一回性の時間の経験であったと言えるだろうか。

* 劇評サイト「ワンダーランド」より高木登氏による『再生』劇評(2006.11.17投稿)、およびシアターアーツ51号より中西理氏による『関西からの発言』を参照

竹田真理(たけだまり/ダンス批評)

 

2014-09-29
見るためのタスク|「We dance 京都 2012」相模友士郎『先制のイメージ』


「We dance 京都 2012」 相模友士郎『先制のイメージ』(2月4日、元・立誠小学校 職員室)

提供:「We dance 京都2012」実行委員会

提供:「We dance 京都2012」実行委員会


はじめに

 私たちがダンスに向けるまなざしは自由ではない。近い例だと、多様な表現の溜まり場であるコンテンポラリー・ダンスにおいてさえ、数年来、誰もが手にする基本的権利であるかのように奨励された「面白い/つまらない」という価値判断が、コミュニティ外部から観客を呼び込む方便として大失敗した一方で、内部においてはダンスを見る眼をも苛むまでになった。経験上、この私的断定からは会話ははずむより終わらせられることが多く、自分と同じ嗜好の人間を選別する篩(ふるい)として用いられる場合さえある。なにより困ったことにその無邪気な濫用は、「我選ぶ、ゆえに我あり」といった、目下方向転換を迫られている主体のありように訴えるショウケースに、他の商品と同じ感覚で手を伸ばせるようにダンスを陳列する統一基準としても作用した。そこでは反スペクタクルの伝統とつながりを保つコンテンポラリー・ダンスは、商品価値を至上のものとしてシェアを競うスペクタクルや、市場の「ニッチ」に居場所を求める個性的・実験的作品と並列される。道理でダンスの担い手の生活はいつまでも立たないし、創作を鍛える場とモビリティ、その知や技術を社会の財産として守れるかも危うくなってきた。同様に「君の見たいように見、感じるところに従っていい」というメッセージも反復されるほどに、まなざしを覆う慣習を隠蔽し、新たな自己規制ともなるだろう。注意を促したいのは、一元的な価値観に均された日常のものの感じ方、見方を超えたところへ私たちを連れ出そうとし、他のあり方を垣間見せようとする野心的なダンスとの対話を、これら一見デモクラティックな視点が阻害する側面を持つということだ。人の知性に対する信頼に支えられ探求心を駆動力に大胆に跳ぶ作品と、私たちは高確率で出会い損ねるような歴史的状況にある。

 『先制のイメージ』(演出家:相模友士郎、ダンサー:野田まどか)は、踊る身体を見るに先立ち私たちが抱くまなざしの構えを、引き出し通過させてゆくドラマツルギーを持つ。見所は、それらが積み重なってゆく過程、あるいはまとめて取り去られた瞬間、私たちが何を見るのかというところにある。先の危機感を持つ筆者にとっては、その途上で、視覚の枠組み・方向づけが、一つ一つ目から引き剥がされ枚挙されていったことも興味深い。それにより私たちは、どのような眼鏡をかけてダンスを見ているのか、各々吟味できるようになるからだ。その意味において、本作はメタ・ダンスと呼ぶに値する。
 幸いその眼鏡はテクストを手がかりにある程度再現することができる。そこからうかがい知れる作品の骨組みはしつこい咀嚼に堪える上、過去や未来の別の作品とも呼応するだろう。現時点での鑑賞の概要を記録しつつ、本作の批評性を取り出すことを以下に試みたい。

舞台の上の三つ組みと第三の視覚

初めに登場するものたちの相関関係を見ておこう。公の情報にもとづけばこの作品は、ダンサー野田まどかのソロ作品と受け止められる。だが実際の舞台上には、彼女のカウンターパートが二つ登場し、それにより三組の相補的な関係が成立している。彼女と出演時間を二分する一個のコカ・コーラの空き缶と、二者に相対する作家の相模である。
 缶は、冒頭でいかにも位置が肝心ですという素振りで舞台中央にディスプレイされ、途中で同じ位置でダンサーに取り替えられることで、前半と後半の対称性を明らかにする。さらにダンサーが人形遣いになる最終局面では、人形に見立てられそのパートナーをつとめもする。関係としては(たぶん)対等なこの二つに対し、舞台上に置いた音響卓を拠点に逐一をコントロールして見せる演出家の相模は、一見、主の関係にある。作家の言葉と音楽を駆使し、従順な二つの対象の在り方と見え方を決めてゆくからだ。一方で、こうして明示されている現場の力関係は、あくまでも相互に協力しあって成立している。詰まるところ演出家も缶も、ダンサーから物理的パフォーマンスを引き出し、それに虚のイメージを被せることに従事しているのだから。先取りして言えば、この舞台上の三者は密に組んでより重要な役割を、彼らのパフォーマンスとイメージの間を行き来する観客に与えている。『先制のイメージ』は、私たちの見るという行為を通して視覚(vision)を探求する道程である。

視線の(re)flectionを引き起こす術

 本作の主眼を視覚の形成プロセスにみる理由は、演出家の言葉が見るという行為に段階的な設定変更を迫ってゆき、それによりパフォーマーの見え方がどんどん変わってゆくからだ。とてもダンスらしい作品である。ただこの変容は、踊る主体からはまず出てこないだろうと思われるような、ユニークな手法に拠っている。その特徴は、対象へ迫るためではなく、対象との間に距離をうがつ言葉の遣い方に表れている。心理的な作用を計算したその振幅の制御は、演劇よりも音楽に近い。
 例えば冒頭で演出家は、かつて入っていたであろうが今目の前にはない缶の中身について観客に思い浮かべさせた上で、この清涼飲料水に関する誰でもアクセスできるテクストを長々と読み聞かせていった。実はこの間私たちは、言ってみればゴミ同然の飲みガラを、欲求、読解、鑑賞、消費etc…の対象として眺めさせられていったのだが、まだオブジェとイメージの乖離には気づかない。それどころかコーラの缶を前にコーラの情報を聞くなどそのままではないか、と暇にまかせてコーラ像をあれこれ肥大させてゆきもするだろう。ところが言葉に従い物に積極的に意味を読み込んでゆくという劇場でのデフォルトの鑑賞態度を増長しておいた上で、演出家は唐突に視線の対象を交換してこれを揺るがせたのだ。
 その時起こったのはイメージのリセットではなく、視線の四方八方への屈折だ。まず、イメージの投影先あるいはイリュージョンの支持体を失い目の前の対象を見つめれば、音楽ともテクストとも直接のつながりの見いだせない、成り立ちも構成論理も定かでない不思議なムーヴメントが淀みなく行われている。読む構えを手放せない視線は、その背後や手前、過去をさまようだろう。作家が見せようとしてきたのは何だったのか。私は何を見ようとしてきたのか。今目の前にあってイメージの投影を拒むものはなにか。にもかかわらず目が離せないのはなぜか。このように、ダンスとは相容れない視覚の方向づけを備えるオブジェを同じ物理的設定の中で結びつけたことにより、劇場という制度空間の中でダンスを見るという慣習の内にあってはあまり意識されない問いが浮かび上がってくる。それは、類としてのダンスをめぐるあれやこれやではなく、鑑賞者である自らをも含むこの具体的な関係の中でダンスを”見る”ことをめぐるものであり、その中からハビットや制度空間への気づきや、自らの視覚を観察するような俯瞰の視点さえ生み出されるかも知れない。
 一方、ほかならぬコカ・コーラの容器は、外見上の類似(ただし缶ではなく瓶とだが)をほのめかすテクストの一節を機に、ダンスもまた同様に視線の客体、そしてイメージの投影面となる「ボディ」を持つことを思い出させる。つまり前半でこの世界最強の商品に次々呼び出されたであろうイメージ群は、踊る女性に投影される可能性もないわけではないということ。うがった見方をすれば、体験するものが見られるものとなり、資本主義と結びつき、グローバルに世界を駆け巡る物語や記号性や付加価値を獲得し・・・といった過程には、舞台上で動く魅力的な身体が今日のようなかたちで受容されるに至る歴史的な過程で、先人達が獲得しては克服してきたダンスのあり方との符合を読み込めなくもない。あるいは歴史を呼び出さずとも、同じ空間にいる生身の人間がモノと交換可能であり、オブジェのように一方的に眺められもすると気づくだけで、後半への助走は十分だ。その違和感と延々続いた静止に対する解消となるムーヴメントに自ずと焦点が移れば、”踊る女”を近代の芸術として眺める準備ができたことになる。ちょうどモダンダンスのパイオニアたちが、性別や人種や容姿など先天的な属性により余計な読解格子を起動しかねない肉体から、その場で生成する運動へと視線を誘導したように。

意志的に選択して見る主体の限界

 以上のようなやり方で、言葉に分節された意味から知覚へ、イリュージョンから現物へ、そしてボディからムーヴメントへと、鑑賞の焦点が移された。これ以降は演出家がダンサーに指示を与え、ダンサーがそれを汲んで再解釈するといったことを繰り返す中で先のシークエンスが彫琢されてゆき、観客はあたかもオープン・リハーサルに立ち合うかのように来るべきダンスの誕生に目をこらすだろう。ただ、ここで期待される純粋なムーヴメントとの対話は、容易には叶えられない。踊ることと並んでそれを見ることは、言葉に対して遅れた状態に置かれているからだ。とりわけ新たなオブジェに対する意味の宙づり状態の後で演出家の説明に解消を得た観客にとって、ダンサーへの指示はそのまま、このように見よ、という拘束力を持つだろう。演出家はこの反動を利用して引き続き視線を先導し、逆説的だがそうすることで視覚の自律を促してゆく。
 ここで自律という言葉をあえて出したのは、先の転換点で生じた予期にもよるが、ダンサーに対する演出家の言葉に、常にアンビバレントに作用する複数の方向づけが含まれていることによる。例えば最初のリプレイの前には、新しいオブジェが「ダンサーの野田まどかさん」と紹介され、シークエンスが1月16日の起床から稽古場に来るまでの彼女の動作に由来することが明かされる。字義通りにとればダンス以前の日常の所作の再現が、ダンサーという職能を備えた個人に演じられるのをどう見ればよいのだろう? 以降も動きのリプレイに先立ち身体運動の諸相を切り取る対立概念—たとえば言語に即した再現性を強めつつ言語から差異化される流れを持続させるなど—が、交互にあるいは同時に視線の枠組みを揺さぶってゆく。行き着く果てには、通常は切り離すことなど思いもよらず、完璧な一致こそダンスの理想とされてきた、踊る演者と踊られる振付—あるいは過去の野田の動きと目の前で動く野田—が意表を突くやり方で分離された。この大詰めでは、複合的な現象をどの視点で見るかはもはや問題ではなく、演出家が指示するヴァーチャルなムーヴメントとダンサーが展開するリアルなムーヴメントの間で目の焦点は引き裂かれる。さらにその只中、演出家は自らの指示をご破算にする素振りとともに退場する。いよいよさあさあ何が見えますかと試されているように思われる。
 正直に言うと、筆者はそこに至るまでの段階をいくらか踏み間違えた。演出家の指示を、どちらにも見えうるがどちらに焦点をあてて見るかという選択肢と受けとめ、より”ダンスらしい”と思えるほうを選択していったからだ。同時にその選択において、慣習的なものの見方を批判して削ぎ落としてゆくことで、未知の視覚へと至るとも見込んでいた。それは、前半から後半への転換にモダニズム的な純化という方向性を認めたからでもあるし、ダンスに対置されたザ・消費財から連想される市場原理に飲み込まれた生産プロセスに未だ回収されていないものを、本作の当然の帰結と捉えたからでもある。
 だが未来の視覚を求めるならば、このやり方はわりとすぐに行き詰まる。後半見るという行為は、演出家に見よと言われたもの自分が見ようとしたものいずれに傾いても、予告されたものを追認する作業となるからだ。言葉で分節された指示から予想されるものは、同じ指示に基づくダンサーの解釈を容易に想定内に飲み込んでしまうだろう。おそらく本作で私たちが手にしていた可能性は、このように準備された選択肢から選ばされることの中にはなかったのだ。その間ずっと、別の可能性は野田のダンスにより示されていたのである。

見るためのタスク
 
 これまで特定のカンパニーに所属せず、数名の作家や指導者の作品で磨かれてきた野田は、本作で、ダンサーとして筆者が目にした中で最高のパフォーマンスを発揮したと思う。その方向性は、多数の視線の欲求を刺激し満足させるスペクタクルでも、今時の舞台芸術でもてはやされる輝かしく消尽する生け贄でもない。強いて喩えるなら、クライストが生きた舞踊家には不可能と論じたマリオネットだ。精神の働きを持たない人形は自然の法則のみと調和し、人間には到達できない動きの美を実現するとされるのだが、本作での野田もまた、自らの独創性でなく生活の必要に由来する動作を、指示されたとおり、動かされた動きとして遂行する容れ物に徹していたからだ。ではその強度はどのようにして生み出されていたのか。複数どころか互いに相容れない方向性を含む指示を、すべて同時で遂行することによってである。
 この演出のダンサーへの作用は、ポスト・モダンダンスの実践における「タスク」に似たものとして理解されるだろう。タスク*とは、身体とそのあらゆる延長を管理する主であろうとする自己、特に踊る主体が陥りがちな”表現する私”の支配下を出て動くために、パフォーマーに与えられる任意の作業のことだ。容易に内面化されないよう、主体との隔たりとともに程良い負荷を備え、上演作品においては、本作のように何がパフォーマーを動かしているのかを明示する効果的な設定もされる。もっとも通常は即興で用いられる方法論なので、再現に方向づけた本作の稽古がどのように行われたかは興味をひくところだが、反復のうちに自動化する度合いを、時間の進行とともに累積してゆく指示の負荷が上回るように塩梅しているのだろうか。最後のリプレイの前の指示には、それまでやったこと「全部」に「人形」の見立てが加わったのだが、それは過去の修正をすべて現在時に想起しつつ、並行して、習得したムーヴメントから身を引き剥がすように外からそれを操作しかつ外から操作されるように動けということを意味する。想像を絶する忙しさに違いない。しかしこうして分解してみると、同一の振付をその都度一回性の出来事として再生するダンサーというのは、すべからくこのような体験の構造をしているのではないだろうか。
 そのようにダンサーが行っていることを、つまり自らが身を置く「今ここ」ではない時空や関係へと拡張しているダンスを、同じ様にすべて見ようとすること。それは、ダンスという複合体を理解しやすい表象に還元したり手持ちの読解格子で分節したりして、そこからこぼれるものはなかったことにする”芸術の理解”とは対極にある、未来の視覚へのタスクである。つまり踊るためのタスクを、見るために転用する中に、ダンスを見るという主体的な行為にすり込まれたパターンを脱する鍵がある。それは、視点と焦点の間に限定された視野にとどまる私たちが気づき得なかった、見ることに際して発揮されるべき身体の可能性ではないか。そして、プロセスの中でその都度指示を選ばずまるごと引き受けてきた観客にとっては、この可能性を追うことは困難ではないはずだ。

おわりに

 美術や音楽における重要な仕事は、視覚や聴取の発見から数十年を経た1990年代以降ますます、受容–すなわち多様な個人の生活領域との接続可能性を孕む拡大されたフィールド–の探求とともに成し遂げられる傾向にある。それは舞台舞踊においても同じである。本作もまた、ダンスの可能性を、近代以降ダンスの主流であったムーヴメントの彫琢に任せきりにせず、それと連動した見る者の身体に根ざす視覚の陶冶において探っている。ダンスを踊る/見るという相関する行為の構造を解剖し、別の見方へとぐいぐい引っ張ってゆくプロセスの設計は、鑑賞者自身のまなざしを反射することもないではないがそれと対峙させるような拘束力を持つ作品の稀な昨今、際立っている。途上で私たちは、劇場における視線を枠づけている矛盾や、見るという行為の近代のあり方の限界など、見る力を窒息させるスペクタクルに溢れた日常に対する批評的モメントに触れたはずだ。その解決は、過去の幻視者たちから汲み取ってきたに違いない知恵により、未来を志向する主体の盲点を回避することでもたらされているのだが、この過去へのまなざしにより、劇場という可能性の場に身を置く私たちの身体に潜在する視覚が、カメラ・オブスクラから引き継がれつつ展開を待っている未来のそれにも接続するように思われる。
 『天使論』と名を変えた本作の再演は9月23日に催される。>>>http://www.sagami-endo.com/

*ポスト・モダンダンスの諸々の実験を踏まえた「タスク」について、詳しくは、ものを作る人見る人向けに噛み砕いた木村覚『未来のダンスを開発する フィジカル・アート・セオリー入門』を参照のこと。

古後奈緒子|こご・なおこ(ダンス批評、dance+

 

2014-09-29
虚構/嘘という「現実」―二階堂瞳子とバナナ学園純情乙女組へ―

虚構/嘘という「現実」―二階堂瞳子とバナナ学園純情乙女組へ―
バナナ学園純情乙女組『翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)』(5月24日王子小劇場

クレジットなし_small
1
王子小劇場で2012年5月24~27日まで上演された、バナナ学園純情乙女組『翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)』。この作品が公演終了後の28日、ツイッターを通じて問題視され、ひと騒動になった。問題そのものは6月2日、劇団のHPに謝罪文が掲載されたことで、表面的には沈静化に至った。しかし、当公演を24日の21時に観た者として、この騒動が一体何を示しているのかを考える必要があると感じた。そこで、1.一連の経緯、2.騒動に対する私見、3.本作とバナナ学園純情乙女組評の構成で、以下に記す。
その前にひとつ告白しておく。問題視されたシーンはいつのどの公演で起きたのかは明らかになってはいない。後半日程には演出自体がなくなったとも聞く。それを踏まえた上で、私にはそれと思しきものを目撃した記憶がある。私が座ったのは上手通路側の一番後ろで、該当シーンとおぼしきものは下手寄り最前列で行われていたように思う。類推でしか語れないのは、その最中にいくつかのパフォーマンスが同時に行われていたため。そのことで注意が散漫になり、件の場面も単にひとつの舞台構成要素として片付けてしまった。とはいえ、問題視された公演が私の観劇日に行われたのだとすれば、危険を抱かなかった点について反省せねばならない。
誰が加害者で被害者かという問題も当然のことながら、それ以上に虚構という名の嘘に安住する、現実感覚を欠いた心性が問われなければならない。虚構を成り立たせるのは現実原則であり、容易にそれへと変転することを捨象すれば、様々な問題を引き起こす。たとえ、一切の行為が創り手側による作為的なもの、すなわちパフォーマー同士による〈ヤラセ〉だったとしても、観客はひっかかりを覚える程度には常にアンテナを張っておかなければならないのではないか。観客を危険に巻き込まなければ何をしても良いということで、パフォーマー同士による作為があったとして、もしその一方が大きな被害を負うなどのアクシデントが起こればどうなるか。たちまち劇の虚構は崩れ、現実が貌をもたげるだろう。我々は、虚構とはいかに脆いものなのかを知り、その自覚を持たなければならない。でなければ、この集団が引き起こしたような問題は、今後も繰り返されることになる。そのことは後に詳述するが、まずは問題の経過を追ってみよう。
事の発端は、本作品を観劇した女性客が舞台に上げられ、男性俳優から不本意な扱いを受けたことにある。精神的苦痛を受けた女性客は知人に相談。一件を看過できないと判断したその知人が、本人に同意を得た上で事実をツイッターに公表した。内容はツイッター上でまたたく間に多くの人に知られるところとなり、波紋を広げた。ある者は、衆人環視での辱め、それも性に関わるものである点で犯罪と、バナナ学園側を強く否定。またある者は、非日常空間である劇場はそもそも安全地帯ではないという、劇空間の特権性を主張して集団側を擁護した。中には、観客は身の危険を負うことも含み込んだ上で劇場へ足を運ぶべきであり、自主的に参加した以上、あらかじめ一切を許容したことになるという意見も見られた。
このように、大きな反応を呼んだ同28日、王子小劇場代表・玉山悟氏は劇場のブログにて、「あるお客様に対して過剰な演出による不快感を与えたとみられることに関し団体担当者と協議をしました。」と記載。続けて、「現在団体は状況の確認がとれ次第謝罪する方向で当事者の方と連絡をとる努力をしているとのことです。」と記した。一方バナナ学園側は31日、「観客の方のお気持ちを深く損なわせてしまった件に関しまして当該本人との連絡」を取ったことを劇団HPに報告。そして6月2日、「ご本人と5月31日時点でお会いし、事の真相をご説明した上でご不快な想いをさせてしまった事に対してお詫び」し、「この度の一件を劇団として真摯に向き合うべき課題として受け止め」るとHPに記した。この顛末からは少なくとも、劇団側が非を認めたことは了解されるが、事実内容についてはデリケートな問題を含んでいるため、今後も明らかになる可能性は低い。その上、こと記録に残り難いのが舞台芸術である。この件はツイッターで一人歩きし、感情的な意見が多数、投稿された。もちろん、建設的かつ客観性を担保しようと努めた意見にも出くわしたが、それも多くの罵詈雑言に埋もれがちになった。6月2日に劇団が謝罪報告をするまで、演劇はネット言説に晒されたのである。
その一か月後の7月2日、フェスティバル/トーキョー12(F/T12)の「公募プログラム」枠への「参加取消し」が、F/TのHP上で発表された。フェスティバル/トーキョー実行委員会実行委員長・市村作知雄名義の文面には、「『バナナ学園純情乙女組』主催公演中に劇団が起こした事態について、劇団からの報告を受け、検討を重ねて参りました。今回の事態はF/T実行委員会が参加団体に求める一定の基準に反するものと判断し、同劇団の公募プログラムへの参加の取消しを決定いたしました。」と記されている。F/Tは決して少なくない都税が投入されるフェスティバルである。公序良俗に照らし合わせた結果、相応しくないとの判断がなされたのだろう。とはいえ、バナナ学園は昨年のF/T11「公募プログラム」には参加している。F/T主催者側には是非、一連の経緯をどのように考えて「参加取消し」を決定したのか、去年と今年の落差を生んだ「一定の基準」の根拠を明らかにしてもらいたい。下した結果の是非を問うことよりも重要なのは、F/T側の芸術観を発信した上で公共的な議論の場を湧出することである。それも、都税で運営される催しが果たす役割の一つであろう。
 
2

 ここからは、騒動についての私の意見を述べる。結論は、バナナ学園側の謝罪を支持するというものだ。というよりも支持せざるを得ない。意図せず舞台に上げられ、直接体に触れられたことで精神的に屈辱を受けた―そのように相手が感じたとすれば、行為者の意図は別のところにあってもアウトであろう。セクハラやパワハラ、痴漢と同じである。性的、精神的な問題は、権力者から被権力者へ行われることが往々にしてある以上、立場の弱い側の意見が重用される。演劇的/芸術的な理屈付けをして擁護すればするほど、「社会通念」との乖離が深まり、演劇を貶めることにしかならない。事実、劇団側が対応し非を認めた。当事者同士による加害/被害関係が成立した限り、劇団に残された道は円満解決に向けた誠実な対応しかない。それは6月の報告で前向きに進んでいることだろう。
我々にできることは、この件から演劇の問題を取り出すことである。いくつか考えられる問題としては、舞台芸術における猥褻行為とは何か、観客を巻き込むパフォーマンスとは何か、劇場とはどういった場所なのか、そして虚構と現実とは何か、などがある。私としては、最終的には虚実を巡る問題へと収斂するのではないかと考える。すなわち、虚構もまた「現実」であるということである。虚構の劇空間を創出すべく行われる一切の表現は、それが実際に舞台上で生身の人間、あるいは装置などが存在する限り、「本当」であるという当たり前の事実である。したがって、観客を巻き込むパフォーマンスも、それを担う側がいくら嘘/虚構だと主張したところで、本当である限り、意図せぬ受容をされる可能性は大いにあり得る。ただし、その線引き、今回の問題で言えばセクシャリティに関わる境界線は、必ずしも一般化して規定できるものではない。劇団側も記しているように、「多様な価値観が混在する観客」がいるからだ。したがって、加害/被害の権力構造を生み出す劇場は、その限りで「社会通念」が十分適用される公の場所であり、決して治外法権が認められた「何でもあり」の非日常空間ではない。虚構には、嘘を成り立たせる「現実」が作用する以上、すぐさまその皮がはがされてしまう脆いものなのである。このような、ともすれば忘れがちな当然の原理を、今回の一件は明らかにしたのではないだろうか。私を含め、舞台空間を共有した者が現実原則という装置をはずして客席に座っていたことにより、劇場から出れば奇異に受け止められる出来事が、その場では気付けなかった。つまり、物理的に閉ざされた場所で醸成された、現実感覚なき虚構性が社会通念を忘却させ、観客が件のシーンを見過ごすという集団的な暴力を生んでしまったのである。
そのことは深く噛みしめつつも、逆にいえば、虚構という現実が、劇場の外のそれと地続きであり相互貫入的であるからこそ、両者の「現実」は激しく対峙することが可能になることも強調したい。すなわち、〈現実へ容易に転化する虚構〉と、近々では3.11以後に顕著となった感覚、〈虚構とすら思える現実〉との格闘である。その格闘を通して、我々は新たな「現実」の捉え方を得ることができる。これは紛れもなく演劇が持つ力である。しかし、そういった緊張感を生み出そうとするなら、やはり虚構の脆さと危険性を、我々は自覚しておく必要がある。それを踏まえて、舞台と観客との対等な関係を維持し、「間」で交わされる豊かな想像力を生み出すにはどうすれば良いのか、共通コードを探るべきである。もちろん、それは創り手だけでは達成できない。また、支配/被支配は観客から創り手へ及ぶこともあり得る。そういう意味では、観客も豊かな「間」を創るべく積極的に参与する行為者であるべきだろう。
そのことについて考えた時、バナナ学園擁護の意見の中には、創り手と観客とが共犯関係を取り結び、荒々しく官権力と格闘した60年代小劇場演劇を持ち出すものがあった。確かに、かつての創り手と観客は、共通認識を持った同志的関係であったかもしれない。しかし、スキャンダルやハプニングという事象だけで今回のバナナ学園の件と結びつけ、「演劇とはそういうもの」と擁護する意見には同意しかねる。時代が違うが故、60年代に孕まれた思想と現代とは隔絶しているからだ。演劇革命世代のスキャンダルを伴った上演は、国家権力に代表される、穿つべき存在に向けて行われた側面が多々あり、観客はそこに加担するという意味で同志たりえた。しかし現在は、そういった存在を敵として措定することが大きな意味をなさず、加えて方々へと縮小・分散している。その一端を示すのが、企業活動をはじめとするコンプライアンス(法令順守)を求める社会状況だ。相互監視・自己規制が網の目のように張り巡らされている社会では、本当の敵はどこにあるかが分からない。これが「社会通念」となった時代では、スキャンダルの内実はかつてと異なってくるはずだ。この状況が所与のものとなった社会をどう捉えるかは、別途考えるべき問題を孕んでいる。それでも、この時代における創り手と観客との関係を探るためには、まずは時代性を把握するべく、一旦受容することが重要だろう。それらを無視し、スキャンダルという事象の共通点だけで過去を持ち出せば、演劇革命から40数年の時を経て、〈オタク的〉と称されるほどには一般化(?)した小劇場演劇の歩みを後景に追いやることになる。安易に過去に依拠することは、演劇の本質から目を背けることにしかならないばかりか、演劇プロパーによる、もうひとつの暴力につながりかねない。

3

最後に、バナナ学園純情乙女組による本作について、これまで観た作品も含めて触れてみたい。今回の事態とは別の観点から、すなわち作品自体を俯瞰してみても、創り手と観客との豊かな関係が生まれにくいものであったと感じる。
この集団は、「おはぎライブ」と呼ばれる公演形態で人気が上昇した。そこでは、大音響でアニメやゲームなどのサブカルチャーに属する音楽と映像が止めどなく流れ、それに合わせて数十人の俳優たちが歌い踊り、もはや聞き取れず音となった台詞をがなり立てる。同時に、バケツや口に含んだ水を観客に浴びせかける、昆布やコンドームを投げつける、観客内へ俳優が乱入して観客に語りかけ、膝の上に座るといったパフォーマンスが展開される。こういった趣向であるから、最前列及び俳優が行き来する通路側の客席は自然、最も「被害」を受けてしまう。
このカオティックでかつポップな狂騒は、少なからず「演劇」外の人々にも支持されていることは、フェスティバル/トーキョー11で上演された『バナ学バトル★☆熱血スポ魂秋の大運動会!!!!!』(2011年10月、シアターグリーン BIG TREE THEATER)にて了解された。
私の隣に座っていた観客が、劇中で歌い・踊られるオリジナルのテーマ曲に合わせ、共にパフォーマンスを展開したからである。彼にとっては、アイドルイベントへ参加することと同様に、バナナ学園のライブを捉えていたのだろう。この光景から、AKB48のキャッチフレーズ、“会いに行けるアイドル”を連想させられたが、演劇とはそもそもそのような俳優と観客との出会いを仕掛けるものではなかったか。そう考えると、バナナ学園は演劇の大衆的・芸能的な本分のひとつを示す集団であると考えられる。だが、それだけでしかないなら、好きな俳優を見に行くファン心理と変わらないばかりか、狂騒的な空間や空気への無抵抗な没入を生んでしまう。
私はそれとは異なる位相で、表現することの意志を創り手に感じていた。無思想な作風を支える熱度の出所がそれである。この集団の舞台に初めて触れたのは、『バナナ学園★王子大大大大大作戦』(2011年5月、王子小劇場)。そこでは自衛隊入隊を扇動する横断幕をはじめとし、右派のモチーフが登場した。続く芸劇eyes番外編「20年安泰。」内の『バナ学eyes★芸劇大大大大大作戦!!!!』(2011年6月、水天宮ピット大スタジオ)では、学生運動を想起させる色とりどりのヘルメットを被った俳優が登場し、左派色が押し出されていた。つとに言われるように、二階堂瞳子の演出は体育会系、軍隊的統制がとられており、一見めちゃくちゃに見える俳優の動きもきちんと演出がなされているという。そこに引きつけて考えれば、右派・左派のモチーフは、規律的な集団行為を演出するために持ち出された道具ということになる。にもかかわらず、舞台からは圧倒的なエモーションを感じさせる。この集団の、それら種々の要素を舞台に上げるために傾注されるエネルギーの出所は一体どこから来るのか。そこが気になっていた。参考になるのが、劇評サイト『wonderland』でバナナ学園の問題に触れた水牛健太郎の論考である。水牛は、BATIK主宰・黒田育世がかつてこの集団のパンフレットに寄せた文に触れつつ、「コミュニケーションへの恐れと、だからこそ、いっそう、コミュニケーションを求める、燃えるような気持ち。乱暴狼藉と裏腹な、慎ましいパフォーマーたちの素顔」が垣間見えると記した(6月6日掲載「いわゆるバナナ事件について」)。
バナナ学園の表現する根拠が上記のものだとすれば、本作はそこから逸れたものであったと言えよう。ドラマトゥルクに青年団の制作・野村政之が加わったことで、チラシに記されている通り、ずいぶん「演劇」になっていた。シェイクスピアの四大悲劇の登場人物が入り乱れ、血で血を洗う抗争の果てに全員が死ぬという「あらすじ」があり、所々、ピンスポットが当たった俳優の一人語りも挿入される。さらに、チェーホフ『かもめ』のマーシャが現れ、「生きていかなければねぇ」と台詞を聞かせるシーンもある。確かに、部分的な台詞以外はほとんど聞き取れないため、「あらすじ」はあってないようなものである。しかし、原典をある程度知っている者にとっては、アクセスしやすい大枠が与えられたことにはなる。つまり、作品として途端に理解しやすいものとなった。そのことで、「演劇」をするという目的はある程度達成されたかもしれないが、「おはぎライブ」の形式で行う必要があったのだろうか。肝心の俳優のパフォーマンスは、シェイクスピア劇から抽出した、激しい恋愛や権力欲を巡る闘争を通し、破滅へと疾走するエネルギーを発露させてはいた。しかし所与の物語にそれらが供与されているため、俳優たちの生の根拠が晒されるまでには至らず、舞台内で完結している。結果、俳優たちの行為は、死=終わりに向かって狂騒するという「あらすじ」をなぞるだけになっていた。むしろ内実が伴わない熱狂は、死ぬまでの間にバカ騒ぎをするという、自分たちの現状の肯定のようにすら映った。ここからは、「コミュニケーションを求める、燃えるような気持ち」は感じられなかったのである。3.11以後、若手集団の作品には、生の称賛が散見される傾向にある。とりわけ倫理や道徳が取り上げられる作品は、生の根源に降り立つように見えてその実、自己承認の口実なのでは、と思わされる節がある。劇場に丹念な養生を施した上で汚し、大音量の音楽を流して聞き取れない台詞をがなりたるバナナ学園の本作の思想が、それらと変わりがなかった点は残念に思う。
そういう意味で、単なる狂騒を目指しているのではなく、もう一段階、未成の何かが込められていると感じさせたこれまでの作品と比すると、一歩も二歩も後退している。男女が糸電話で会話する「つながり」の希求や、これまでの激しい流れを裁ち切るように石川さゆり『天城越え』や西田佐知子『アカシアの雨がやむとき』といった昭和歌謡をカットインさせ(本作では美空ひばり『川の流れのように』)、しっとりさせる場面を作るなど、定番のガジェットと化した要素が繰り返されているのも気になる。オタク的感性を持ち合わせた者を魅了してきたバナナ学園は、本作で「演劇」を試みることで、これまで「おはぎライブ」に乗りきれなかった観客に対し、ある程度の間口の広さを提供したかもしれない。だがそれは、ファン心理の醸成、あるいは作品への没入を促すことにしかならず、結局は狭い型に観客とともに閉じ込もることを意味してしまう。
作品創作に対する緩んだ姿勢が今回の一件を生み出したのか、それとも出来事が起こったからこそ作品と集団にミソが付く結果となったのか。どちらに騒動の原因があるのかは、割り切って判断できるものではなく、両義性を孕んでいる。とはいえ、劇空間内で生まれた「事件」の総体が演劇であるとすれば、今作は観客侵犯方法・作品内容共に、安易さが目立ったと言わねばなるまい。私がいまだ掴みかねているエネルギーの出所、いわば表現することの根本思想を今後も本気で追求するのだとしたら、別に「おはぎライブ」の形式にこだわらなくてもできるはずだ。今後の創作において、必然的につきまとう色眼鏡を避けるためにも、新たな方法を探っても良いのではないか、そのように私は考える。
ここまで書き進めた時点で、また事態は大きく動いた。F/T公演の前に、こまばアゴラ劇場が企画するサマーフェスティバル〈汎-PAN-2012〉で公演予定だった『バナ学全学連の逆襲伝2012(仮仮仮)』(9月5~10日)も公演中止、同時にバナナ学園純情乙女組の解散が発表されたのだ。こまばアゴラ劇場の支配人・平田オリザは7月14日、劇団側と「どのようにすればお客様の安全を確保した上で公演を継続できるかを、お互い真摯に話し合っ」た結果、「劇場としても苦渋」の上演中止を決断したと劇場HPに記した。また、騒動以後、公式コメントを控えていた二階堂瞳子も同日、劇団HPにて「今までバナナ学園純情乙女組をご観劇、応援してくださった全ての皆様へ」と題した文書を発表した。そこには、この度の事態が「一人の俳優の暴走であった」としつつも、「その行為があった時点で歯止めをかけることなく見逃してしまった」ことから、「全責任の所在は、主宰である私にあります」と総括している。そして、「バナナ学園純情乙女組は、次回の公演をもって解散をします」と続けた。公演時期や場所は未定でまだ白紙の状態であること、それ故、「もしかしたら、公演を行うことができないかもしれない」とも付け加えた。
 ここから先は、本論での範囲を超えているため、記述は避ける。ただ、公演を行えば私は観に行くことだけは記して、筆を擱く。

藤原央登(ふじわら・ひさと/劇評ブログ『現在形の批評』[http://plaza.rakuten.co.jp/playplace83/]主宰・[第三次]『シアターアーツ』編集部)

 

2014-09-29
爪先立つ現在|淡水「魚企画 VOL.4」

淡水「魚企画 VOL.4」(2012年6月16,17日カフェ&ギャラリー CAN TUTKU
「提供:淡水」1_small
 コンテンポラリーであるということは、素手で対価なく与えられるものではなく、そうあろうとする強い意志が伴わなければならない。しかもそうであるというお墨付きはない。ということは、それは主観的なことなのですね、ということで収められてしまうのか。
淡水というあっさりした名を持つダンスパフォーマンスカンパニーから、なぜ現在性を感じられるのか。それは何より、転倒寸前の爪先立ちにおいてである。それは概ね(当然とはいえ)、速度ののちの突然の停止によってもたらされる。
目新しいものではないだろう。しかし、その停止がメタファでなく、直接的な出来事の共有として経験されるのは、その空間が共有可能な場として成立しているからで、それはなぜか。
もちろん会場の特殊性をうまく使ったこともある。ここは淡水にとって初めての会場だったが、通常アクティングエリアとして使われる奥の空間、そこと入口とを結ぶ細い通路、入口周辺の椅子、入口のシャッター、外の公道のすべてを使うことで、観客もそのすべてを見届けようと動くことになったし、同時並行的に複数の場所で行為が行われたことで、観客は何を観るかを選ばなければならなくなった。
選ぶことで、没入が生じる。それは、一方を観ていないという焦燥を伴っている。様々な意味で、観客を前のめりにさせる仕掛けが整っている。結果論ではあろうが、それがこの公演の一つの前提だ。
では、菊池をはじめとするダンサー自身は、どのような動きを獲得していると言えるのだろうか。
彼らの多くは特定のジャンルのダンスのテクニックを集中的に習得した経験はないようだが、中で菊池のソロには、上質なヒップホップがドライヴする時のグルーヴを感じさせるようなことがある。特にヒップホップを熱心に学んだわけではない菊池が、なぜそんなヒップホップの真髄めいたものをきらめかせるのだろう。
ヒップホップは、そのファッションスタイルだけではなく、動きの流麗さと佶屈さの落差の激しさによって、時代の空気をつかみ取っているのではないかと思う。その落差を自分の身体に流し込み、溢れさせることによって、ある種の全能感が生まれることもあれば、収縮感にとらわれることにもなるのではないかと。
おそらく菊池は、そして淡水の面々は、ヒップホップを通じることなく、そのような落差が自分たちのものであることに、気づくことができているのではないか。
それは、マクロにもミクロにも、菊池やメンバー、そして彼らの世代、今を生きるぼくたちが抱えている何ものかと、深く鋭く響き合う。
メンバーの重里実穂も井上大輔も、ソロや別のユニットで様々な切迫を……緊張や昏迷やすれ違いや孤立を……飛散させている。頼ったり逃げ込んだりする既存のテクニックを持たない、保証のなさが、彼らの爪先立ちを際立たせる。
ダンスでも何でも、現在の表現であろうとするものは、何ものにも保証されていない孤立した不安を背負っている。それは徐々に、所謂うまくいけば、認められ評価され、権威となって安定し、初期の不安定な輝きを失いかける。その時に、再び地点ゼロに戻れる勇気があるかどうかが、常にフロントにあり続けるかどうかを分けるだろう。
淡水を観終えた後には、完結しようとする一つの世界に立ち会えたことを実感することはできるのだが、爽快感や満足感と言ってしまうことには、多少の違和感がある。見たくないものを突きつけられているというのとも少し違うが、現在の焦燥や切迫や昏迷のありようについて、やんぬるかなとでも言うような嘆息を漏らさざるを得ないような、そんな苦い共有感が残る。
あえてコンテンポラリーであることを自らに課すということを初めに述べたが、むしろ、現在でしかあり得ず、過去に依拠するものがないというつらさ、エッジに踏みとどまると言うよりは、そんなぎりぎりの場所しか残っていない、というのが本当のところかもしれない。つらいな。

上念省三(じょうねん・しょうぞう/ダンス批評)

 

2014-09-29
カラスへの招待|ジョセフ・ナジ『カラス / Les Corbeaux

ジョセフ・ナジ『カラス / Les Corbeaux』(2月26日@AI・HALL

撮影:清水俊洋

撮影:清水俊洋

ジョセフ・ナジの最新作『カラス / Les Corbeaux』が2月25日と26日、伊丹市のAI・HALLで上演された。同時に、批評そのものを考察する批評講座(講師:森山直人)、フランスの文化政策に関するレクチャー(講師:藤井慎太郎)、そして、ジョセフ・ナジによるダンス・ワークショップも開催された。これらの企画は、異なる視点から『カラス』という作品に向き合う機会を観客に提供するものであった。
ナジは、フランスのアヴィニョン演劇祭でも作品を上演した振付家でありダンサーでもある。今では国際的に認められ、日本でも『ヴォイツェック』や『ハバククの弁明』などの公演や、世田谷パブリックシアターと共同制作した『遊*ASOBU』で知られている。彼は、旧ユーゴスラヴィア(現セルビア)に生まれ、フランスに渡って、美術、音楽、武道、演劇、パントマイムなど、さまざまな芸術分野に触れてきた。したがって彼の作品は、音楽や絵画などの芸術分野を取り入れることでダンスというジャンルを超越している。今回上演された『カラス』でも、複数のジャンルの融合が見られた。
まずこの作品のチラシにある「この男、鳥になる」という印象的なキャッチフレーズと、全身を黒い塗料で覆い、羽ばたくように両手を広げて白いキャンバスの上で舞う人物の姿は、上演前から観客の想像力を掻き立てた。ナジは『遊*ASOBU』の制作のために来日した時、偶然見かけた1羽のカラスから『カラス』の着想を得たという。もちろん、作者の言葉を鵜呑みにする必要はない。それでも、上演を通して目の前に現れたカラスを表現したいという主張を読み取ることができる。なぜなら『カラス』では、カラスという1つの対象物を表現しようと模索する過程がそのまま舞台にのせられているという印象を受けるからである。
 真っ暗な舞台に薄暗い照明があたり、アコシュ・セレヴェニによるサックス演奏が始まる。しかしそれは演奏というよりも、息を楽器に吹き込むことで、音を模索しているようにも、音と戯れているようにも聞こえる。しばらくすると、舞台上手にスクリーンが現れ、その背後に立った人物が、心電図のような線を連ねた模様、机、そして2人の人物を描き始める。それぞれの絵は、サックスの音の緩急、舞台上で使われる机、さらに、絵を描いている男とサックスを演奏するもうひとりの男と重なる。つまり、描かれるイメージは、『カラス』を制作する際のデッサンを連想させる。
そして、模様、机、人物を描き終えた男がスクリーンの前に現れると、上空に吊り下げられたカラスのくちばしのように見える2つの円錐の入れ物から灰色の砂が流れ落ちる。静かに上から下へ止まることなく無慈悲に流れる砂は、2人の男の格好の遊び道具となる。男たちは、長細い筒に砂を滑らせて音を出してみたり、砂の流れを止めてみたり、さらに筒を口にあてて音を鳴らしてみたりする。それはまるで、音を作り出す作業のようで、音楽は、元来このような遊びから生まれたのではないかと、音楽の起源へと観客を誘う。
 やがてナジ扮する男は、踊り始める。手や腕などの関節を巧みに動かして表現される動きは、その抽象性から観客の想像力を刺激する。さまざまな解釈を許容しながらも、カラスの不気味な動きに収斂していく。背後に男の影が大写しとなった瞬間、真っ黒なカラスがこの人物にとりついたかのような錯覚に陥る。やはりカラスだ。男はカラスになった。
 椅子に座った男は、黒い帽子を被り、ボールに入ったインクを鼻に塗り、両足の踝辺りに白い羽を着ける。そして、筆に墨をつけるように、藁をバケツの中に入れたかと思うと、その真っ黒な塗料のついた藁を白いキャンバスの上へと投げつける。次に両手を壷の中に浸し、その指を器用に動かすことで、キャンバスの下半分に曲線を連ねていく。そしてついにゆっくりとした動作で、壷の中に吸い込まれるように真っ黒なインクに全身を浸たしていく。壷の中に首まで隠れた男は、まるでサミュエル・ベケットの『芝居』の登場人物だ。
まるでカラスのように全身真っ黒になり、再びゆっくりと観客の前に姿を現した男は、壷口に座り、照明の光を受けてさらに黒光りする。男はもはや性別も肌の色も判別できない「匿名」の存在となる。それまで、表現する対象であったカラスと一体となった瞬間、つまり、客体から主体へと変化した瞬間といえるかも知れない。インクを垂らしながら動くさまは、アクション・ペインティングを連想させ、描かれたイメージは、パフォーマンスの痕跡となる。
暗転となり、劇場が暗闇に包まれる。観客にとってそれはまるで、自らが壷の中に入り、真っ黒になった男の動きを追体験しているように感じられる。「一緒にカラスになろう」それはナジからの招待状かも知れない。

神崎舞(かんざき・まい/大阪大学大学院博士後期課程)

 

2014-09-29
観劇抄録 2012年1月~7月|メイシアター×sunday『牡丹灯籠』他

 上半期で古典劇26本、現代劇17本、計43本を見た。その中から取り上げるのは次の5作品。

*メイシアター×sunday『牡丹灯籠』(3月9日@吹田市文化会館)
*MONO『少しはみ出て殴られた』(3月10日@ABCホール)
*NODA・MAP『THE BEE』(6月2日@大阪ビジネスパーク円形ホール)
*青年団『月の岬』(6月24日@AI・HALL)
*こまつ座『藪原検校』(7月7日@兵庫県立芸術文化センター)

 歌舞伎座改築の折から、関西でも歌舞伎がよくかかるようになった。めでたい。ただし小劇場をめぐる状況はますます厳しい。上演数も減り、見るべき成果も乏しい。いや、ことは現代劇に限らない。関西歌舞伎はとうの昔に姿を消した。文楽も松竹は手放している。古典現代を問わず、いまの関西演劇はやせ細っている。「関西文化の衰退」は戦後関西を語る際の決まり文句ではあったが、とうとう根っこまで食い潰すことになるのか。
 たしかに企画や運営など問題は山積している。とはいえ権力をかさにきた恫喝は、何も生まない。演劇はそれ自体が「公共的財産」だ。透明性の確保も公的支援も、その「公共性」ゆえにどちらも必要なはず。
 閑話休題。不満はあれど、さすがと恐れ入ったのは、今回は触れられなかったが3月南座で見た『平家女護島』俊寛の中村吉右衛門と『THE BEE』の野田秀樹。『藪原検校』(井上ひさし作、栗山民也演出)は野村萬斎の個人芸とアンサンブルの良さで上出来。土田英生(MONO)の新作は、うまさは感じるものの足踏み状態か。『牡丹灯籠』の企画(ウォーリー木下の脚本・演出)は小ぶりながら、なかなか面白い試みだった。がっかりしたのは『月の岬』(松田正隆作、平田オリザ演出)。初演の緊張感が色褪せた。
 それにしても選んだ5つの舞台のうち、関西系劇団はsundayとMONOのみ。またMONO以外は、いずれも再演か古典がらみ。このかたよりは、何だろう。 

メイシアター×sunday『牡丹灯籠』(3月9日吹田市文化会館

撮影:清水俊洋

撮影:清水俊洋


 意外といっては失礼だが、予想を裏切る出来ばえ。
『牡丹燈籠』といえば、「カランコロン」の下駄の音で有名なお露新三郎の怪談が知られているが、じつはそれは三遊亭円朝の落語『怪談牡丹燈籠』前半の一場面にすぎない。岩波文庫一冊分もある原作の通し上演を見るのは、たしか花組芝居についで2度目だが、歌舞伎でもカットされる忠僕孝助の仇討話を、お露新三郎以上のメインストーリーとして採用して、なおかつ原作を貫く勧善懲悪や因果への疑問までつけくわえるという、よくばった2時間20分の舞台だった。ダイジェスト版にありがちな消化不良を感じさせず、終始軽快なテンポで演出したウォーリー木下の才気にまず感心した。
演技力にばらつきのある役者陣を、すばやい動きでまとめ、とくに前半あきさせない。演技も時代がからず、台詞も口調もぐっとくだけて現代のまま。それがかえって新鮮に聞え、役者も生き生きとしゃべっている。
舞台全面に長短100本以上の竹をぶらさげた美術(野井成正)。ずっと竹はかけっぱなしで、時々進行の邪魔になったが、水の流れの照明が揺れる竹林に照り映えて美しい。また手持ちミニライトが蛍のイメージを伝えて効果的。音楽もまったく日本的でなく、いっそ気持ちよい。
その上で孝助自身が「敵討をいつまで繰り返すのか」と自問自答したり、新三郎の霊が孝助に「見えないものを、勝手に僕らは見てしまうんだ」「因果も自分でこしらえているものではないかな」と語ったり、作者は新たな台詞を付け加えている。ただ因果や敵討への疑問が言葉で説明されはするが、演技やシーンにまで昇華しきれているかは疑問だ。たとえばゆっくりたっぷり演じるべき「お峰殺し」の場面など、かたちばかりで迫力に欠ける。語りで逃げてしまい、演じきる力が足りない。総じて演出のテンポに、演技が頼りすぎ。
役者では赤星マサノリ、や乃えいじが手堅い。若手では野村侑志が口跡もしっかりして、演技にのびがある。

MONO『少しはみ出て殴られた』(3月10日ABCホール

 はじまって5分ほどして「ああ、寓意劇だ」と思った途端、興味が半減した。ひいき劇団なのでこの15年ほどMONOの公演はほとんど見ているが、土田英生は『衛兵たち、西高東低の鼻を嘆く』(2005年)や『地獄でございます』(2007年)など、何本か寓意劇を書いている。どれもピンとこなかった。つまらない訳ではない。けっこう楽しめて、うまい。でも先が読めて、予想を超えない。寓意が象徴にまでいかない。かといって設定された場所や登場する人物に「どうしてもこうでなければ」という切実さも感じられない。だからテーマはとても「正しい」のに、リアルじゃない。
 今回の台本は特に前半が問題。紛争によって刑務所の真ん中に突然国境線が引かれ、囚人たちはその新たに生まれた国境によって次第にいがみ合い、抗争をはじめる。着想は面白いが、事件展開そのものは昨今の世界をみれば、容易に予測できるものではないだろうか。その予想を笑いや風刺をちりばめなぞっていくだけで、驚きがない。後半さらに別の国が生まれ、展開は複雑になるが、たとえば『その鉄塔に男たちはいるという』(1998年)の戦場のコメディアンたちとくらべても、劇としての切実さ、リアルさに欠ける。コメディアンたちも囚人の一人も最後は死ぬことになるが、本作では囚人の死が痛みをもって感じられない。なぜ彼が死ななければならなかったのか。その死はただ唐突で、私にはよく飲み込めなかった。
また笑いの質も気になった。パターン化が進んで、テーマとのからみが弱い。土田自身『-初恋』(1997年)や『京都11区』(2003年)で描いたように、笑いは差別やいじめと結びついて、問題の複雑さや認識の相対化を映す手がかりとなるはずなのに。
役者も与えられる役柄に慣れて、新しい演技を生む意欲に欠けてはいないか。それぞれたしかに個性(ツボ)はもっていて、観客はそのツボを楽しむことはできる。たとえば優柔不断だったり、じじむさかったり、説教くさかったり。しかしそこに手馴れた良さはあっても、個々の役者の新たな一面を発見することはできなかった。客演の中川晴樹と諏訪雅の二人は、互いの微妙な、切ない関係をうまく表現していて楽しめた。

NODA・MAP番外公演 『THE BEE』Japanese Version(6月2日大阪ビジネスパーク円形ホール
原作:筒井康隆『毟りあい』  共同脚本:野田秀樹&コリン・ティーバン
演出:野田秀樹  出演:宮沢りえ、池田成志、近藤良平、野田秀樹

初演の舞台は見ていない。どうしてもこれは見逃せないと京橋OBPにでかけた。噂にたがわぬ出来で、野田秀樹の本領はやはり「小劇場」にあるとあらためて思った。
とにかく舞台づくりの密度の濃さに圧倒された。大型キャンバスのような白紙を幕に使って、そこに人影や蜂の飛ぶさまを映し出す。装置はそれとちゃぶ台のみ(美術・堀尾幸男)。あとは鉛筆やゴム紐といった小道具を使うだけで、いささかの遅滞もなく舞台はずんずんと進行する。この緊張感と錬度の高さはすばらしい。野田の演出家としての力量が、遺憾なく発揮された。
4人の俳優もその要求によく応えた。瞬時に役を切り替えるそのテンポは、最初こそ気負いがみられたが、あとは緩急自在に観客を劇世界に引きずりこんでいく。とくに監禁され殺される母親を演じた宮沢りえの、いまにも壊れそうな透明感は、主人公井戸が加虐性をエスカレートさせる直接の引き金となっていた。これは筒井康隆の原作にも、おそらく初演の秋山菜津子にもない、今回のメンバーならではの特徴ではなかったか。
 ほぼ原作の骨格を引き継ぎながら、ブラック・ユーモアの側面が削られ、代わりに社会性(日本のカイシャ社会や世界に拡がる暴力の連鎖等)が加えられたことは、すでに指摘がある。ただ気になったのは、暴力描写のすさまじさよりも、主人公の暴力への目覚めがどのようにして生まれたかという点だ。そこが原作でも、舞台をみていてもいまひとつピンとこない。何が井戸を暴力に追い込んだのだろう。
 また芝居前に流れる70年代歌謡曲から、ラストの尾藤イサオが歌う「剣の舞」(ハチャトゥリアン)まで、選曲の意図がどうも飲み込めず、違和感を覚えた(音響効果・高都幸男)。もったいない。

青年団『月の岬』(6月24日AI・HALL

松田正隆の『月の岬』は、平田オリザ演出で1997年関西の若手俳優を中心としたプロデュース公演のかたちをとって、京都で上演された。松田にとって戯曲依頼ははじめて、平田もはじめての外部演出だった。この初物尽くしはしかし、めざましい成果をあげた。長崎の離島に暮す一組の姉弟の「愛情」を軸に、生と死、排除と救済、神話と現実といった幾層ものモチーフが織り込まれた濃密な劇世界は高く評価され、第5回読売演劇大賞最優秀作品賞と優秀演出家賞を得た。私もこの戯曲の典拠や作品構造について考えたことがある(『20世紀の戯曲Ⅲ』社会評論社など)。2000年の再演を経て、今回は青年団公演としての再々演となった。平田は公演しおりで「客演の内田淳子さん以外は、すべて青年団員です。勝手知ったるメンバーで、再度、別の角度から戯曲と向き合う時間を作っていきました。『月の岬』が日本演劇にとって新しい古典となるように、さらなる深みへ進んでいきたい」と述べている。
だが舞台成果は、決してかんばしいものではなかった。なぜか。青年団の演技と戯曲の言葉がズレていたからだ。
青年団の若手の演技には、島の周りに拡がる海や空といった自然のもつ「闇」、そして人の心の「闇」に対する怖れが感じられない。だから台詞の奥行がつかめぬまま、緊迫感がなく平板な、でもその分日常的にリアルな世界がつくられていく。これでは逆に、戯曲の言葉のほうが思わせぶりな、「文学的」なものに感じられてしまい、台詞の含みが生きてこない。けっきょく演技と台詞が擦り合わぬまま、劇が進行してしまった。
 姉にまとわりつく昔の恋人(大塚洋)は、配役に問題がある。柄がちがう。あれでは気のいい、生活に疲れ果てたおじさんでしかない。もっと臆病で、でも不気味で、どこかに激情を抱え持った男でなければ、姉とまちがいは起こさないし、暴発もしないだろう。
 姉(内田淳子)の所作の軽やかさ、そしてうつむき加減の沈黙のすがたがとても生き生きとして見えた。この情感を十分に湛えた沈黙があってはじめて、『月の岬』は成立するのではないか。
 初演が瑞々しさと死の影にあふれた舞台だっただけに、今回はなんとも物足りない。時間の「非情」な移り変わりを象徴する風鈴の音まで濁って聞こえたのは、いかにも残念だった。

こまつ座世田谷パブリックシアター『藪原検校』『藪原検校』(7月7日兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)

 1973年初演(井上ひさし作、木村光一演出)の悪党芝居。実際に見たのは、2007年の蜷川幸雄演出がはじめて。読んで想像していたより妙に重苦しく、はずまない舞台だった。その原因は、おそらく蜷川の演出スタイルと主人公杉の市(のちの藪原検校)の古田新太にあった。生まれながらに差別を受け、怨念をばねに殺戮を重ねてのし上がった悪漢が、最後はスケープゴートとして無残な死を迎える。そんなグロテスクカーニバルの構図をつよく打ち出した蜷川演出は、和製『三文オペラ』を狙った全20場のこの戯曲の一部としか重ならない。また醸し出す悪の匂いはぴったりながら、古田の芸質は盲目の芸能者杉の市を演じるにはやや無理があった。今回は役者野村萬斎の軽みと芸、そして作品の深い読みに支えられた緻密な栗山民也の演出と絶妙なアンサンブルによって、面目を一新していた。
 なんといっても特筆すべきはやはり野村萬斎の個人芸だろう。「奥浄瑠璃のパロディ」としての早物語を、扇拍子とギターに載せて、謡あり語りありはては五木ひろしの物まねまでそろえて延々10分間ひとりで演じるなどという芸当は、彼を措いてほかにはちょっと思いつかない。第5場がこんなにもわかりやすく楽しめると知っただけでも、この舞台は十分見るかいがあった。さらに狂言でも、悲劇でもない主人公の悪の成長譚を、萬斎は偽悪的にも、道化的にもならず、さらりと微妙な間合いで演じてみせた。この軽みは、じつは新劇人野村萬斎からはあまり感じたことがなかった。『ベッジ・パードン』(三谷幸喜、2011年)の漱石さえどこか硬かっただけに、今回の思い切りの良さは印象に残った。
 語り手役盲太夫を演じた浅野和之の端正かつ軽妙な語り口も見事。何役もこなすたかお鷹の憎めない飄逸さ、意外なほど落ち着き払った小日向文世の塙保己市も忘れられない。赤と黒を際立たせながら、自在に場面を転換させる美術の松井るみ、ギターに津軽三味線の音色さえ感じさせる千葉伸彦の演奏などスタッフ陣も充実している。それらを栗山民也の演出が丁寧に束ねて、舞台全体のバランスを崩さない。
 欲をいえば、藪原検校へ成り上がった萬斎には悪のふてぶてしさがほしい。そして集団演技のシーンにもう少しはじける勢いがあればとも思う。いかんせん平均年齢が高く、夜の部の後半は少々息切れしていた。

出口逸平(でぐち・いつへい/大阪芸術大学・日本演劇)

 

2014-09-29
2人は出会ったのかー大小連日の追悼公演|くじら企画『夜が掴む』他

対象:くじら企画『夜が掴む』(7月7日ウィングフィールド)
   こまつ座世田谷パブリックシアター『藪原検校』 (7月8日兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)

撮影:谷古宇正彦

撮影:谷古宇正彦

井上ひさしは大竹野正典を知っていたのだろうか。
第48回岸田戯曲賞(2004年)の選考で、井上は大竹野の『夜、鳴ク、鳥』を最終候補作品の一つとして読んだ筈である。しかし選評には全く言及がない。そして2009年7月「会社員水死」という大竹野事故死の報道が、9箇月後の病死を前に遺作『組曲虐殺』に取り組んでいた井上の目に止まったのか、そうだとして5年前の選考と結び付けることが出来たのか、今となっては想像する他ない。
ともあれ2人が残した作品は、規模は違っても共に追悼企画としての上演が進行中である。そしてそれぞれの初期代表作と言われる作品を、偶然続けて観ることになった。
『夜が掴む』は大竹野が88年に初演しテアトロ・イン・キャビン賞佳作を受賞した作品の20年ぶりの上演だが、僕は今回が初見。演出はこれまでが作者自身であったのに対し「くじら企画」名義。夫人の後藤小寿枝を中心にしてこれまでのやり方を踏襲したのだろう。74年に独身男がピアノの音に悩まされていたためと称し、同じ団地の階下に住む主婦と幼い娘2人を殺害した事件がヒントになっている。
主人公・コスギ(石川真士)が妻子のある「平凡」な家庭に強く憧れていること、そしてごく普通の人間性を持ちながら「平凡」な人々からの疎外感に苛立っていること。これらの点は04年初演の『密会』で、さらに凝縮された形で描かれた。その一方こちらでは、被害者である階下のヤマモト夫婦(戎屋海老・林加奈子)が、一見悪役風に戯画化されているのだが。
何かにつけて奇矯な形で「仲のよさ」を確認し合う夫婦。しかし夫も実は疎外された子供時代を過ごし、大人の世界がその頃夢見たようなものでないと分かると、家庭だけでも幸せを保ちたいと思っていた。夫婦がコスギが嫌がるのを承知で娘のカオル(森川万里)にピアノを弾かせるのは、孤独な失業者である相手が持ち得ないものを誇示するためだった。だが終始無表情・無言だったカオルは、家に上がり込んで来たコスギに共感し歩み寄る。森川の一言だけの台詞が哀しく胸を打った。
「平凡」で「幸せ」な生活に手が届かない人々。彼らを見下すことで優位を確認しようとする、やはり弱い基盤を抱えた人々。大人の争いの中で最初から疎外された子供。20歳で父親となり演劇活動を支える家族に恵まれていた大竹野は、それ故20代で「家庭」の負の部分を知っていたのだろう。
『藪原検校』は73年に木村光一演出で初演されて以来上演が重ねられた、井上の紛れもない代表作の一つ。「東北の片田舎に生まれた盲の少年」杉の市が殺人を重ね検校に上り詰めた途端、江戸幕府により処刑される物語。僕は88年以来、木村演出による地人会の公演を3回観ている。今回は木村の弟子でもある栗山民也が初めて演出し、主演は野村萬斎。客席はくじら企画と同様超満員、但しこちらは八倍の観客数である。
初期の井上作品には日本語の祭と言うべき、言葉遊びや下ネタに彩られた膨大な台詞がある。この作品にはある意味でその極みと言うべき一人語り「早物語」がある(「井上ひさし全芝居」では二段組正味4ページ)があるのだが、萬斎は十分聴かせたとは言えなかった(伝統芸能の演者としては、彼の声はやや弱い)。しかし本編では凄味を効かせたささやきから苦悩を表す絶叫まで声を変化させ、かなり効果を上げていた。印象的なのは前半、母お志保(熊谷真実)を誤って殺す場面。熊谷も好演で、芝居の世界にしかいないような悪人の根底に、母親への純粋な思いという豊かな人間性があると思わせた。
そして収穫は、松平定信(大鷹明良)に杉の市の処刑を進言するという設定の塙保己市を演じた小日向文世。盲人が生きていくためには「品性」を磨き、記憶力を生かし学問で業績を上げるべきだと主張していた紳士が、民衆支配の手段として公開処刑を提案する。「片輪者」は「正常人の敵」であり、その敵を屠る「祭」こそ民衆の格好のはけ口になると。高めの声で淡々と明晰にそういった言葉を語る小日向は(最近の映像でのイメージに沿っているとも言えるが)、同じ盲人ながら杉の市とは対極の「善人」の抱えている深い怨念を確かに届けて来た。
演劇界での井上ひさしの評価は揺らぐことはないだろう。ただ前夫人とのトラブルを巡る人格攻撃も続いているようだ。「ネット右翼」によるものはともかく、女性問題に関わる人々に対しては、無視せずに答えていくことも必要だろう。だが自ら矛盾を抱え、しかもそれを作品に生かせる作者だからこそ、『藪原検校』が書けたのではないだろうか。そして生活に苦しむ東北の村人が「働くことの出来ない盲」を敵視する挿話で始まるこの作品は、今また力を持って来た筈である。
一人の人間には幾つかの顔があり、誰もが被害者にも加害者にもなり得る。弱い存在はより弱い相手を探し傷付ける。2人の劇作家は若い頃からそういった状況に向かい合っていた。過去の作品として片付けてしまえば、受け手も現実で加害者か被害者になりかねない。

星野明彦(ほしの・あきひこ/演劇評論家)

 

2014-09-29
【時評】日笠世志久さんの思い出

面影表紙_small

 日笠世志久さんが2001年3月2日に世を去って、10年以上たつ。この機会に、日笠さんの思い出を書いてみたい。関西の演劇界(新劇界)とも関係が深かった人でもある。
 とはいえ、今日では日笠世志久さんと言ってもどのぐらいの人がその名を記憶しているだろうか。まず略歴を記しておこう。
 本名は日笠山慶尚。1928年3月14日朝鮮慶尚南道で生まれる。1945年4月旧制山口大学に入学。戦後、学生演劇に打ち込む。また学生運動にも参加し、1948年退学処分。この年日本共産党に参加。1952年劇団はぐるま座を組織。1966年文化大革命勃発とともに、日本共産党を離れる。翌67年文化大革命中の中国に訪中公演をおこない毛沢東、林彪、周恩来らが接見、人民日報は大きく報道しはぐるま座は一躍その名を知られる。1977年文革終結後の路線対立ではぐるま座を退団。1979年日中演劇交流話劇人社を設立し、以後逝去まで日中演劇交流活動に従事する。
 私が日笠さんと面識を得たのは、1984年孫浩然さんが日中学生舞台美術展のために来日して、私がアルバイトで通訳を担当した時である。孫浩然さんは当時中国舞台美術学会会長、上海戯劇学院副院長であった。その時日笠さんは日中演劇交流団体・話劇人社事務局長で、孫さん受け入れ責任者の一人であった。それが縁になって私は話劇人社に参加し、その関係で翌年三月上海戯劇学院に一ヶ月短期留学した。当時上海戯劇学院はまだ留学生を受け入れていなかったが、孫浩然さん来日の通訳をした、上海戯劇学院に短期留学したい、という手紙を戯劇学院宛に出したのである。日笠さんは面識のあった院長宛に推薦状を書いてくれた。たぶん日笠さんの推薦状のおかげで、私の短期留学希望は認められた。当時の中国は改革開放政策が深化しつつあったとはいえ、上海戯劇学院が外国人を受け入れるには、まだかなり高いハードルがあった筈である。毛沢東らとも会見し中国共産党とも繋がりのあった日笠さんの推薦状は相当な効果を発揮したと思われる。今日では中国は簡単に行ける国になったが、当時は一ヶ月間も戯劇学院に留学できるのは得がたい機会だと思われた。あの一ヶ月ほど勉強した時間は、私の人生でもそうなかったと思う。その後中央戯劇学院に短期留学したのも、やはり日中学生舞台美術展で来日した田文さん(当時、中央戯劇学院舞台美術系主任)との縁からである。
 それらを機に、東京都杉並区久我山にあった日笠さんの住居兼話劇人社事務所にもよく行くようになった。日笠さんの経歴をみれば「筋金入りの共産主義活動家」という表現がぴったりなのだが、実際の日笠さんからはそのような厳めしさはまったく感じられず、むしろ気さくな近寄りやすい印象であった。まもなく私は長崎の大学に着任し東京を離れるが、上京した時は時々日笠さんの家に泊めていただいたりした。そのような時、日笠さんは私に日中演劇交流、さらには日笠さんが参加していた日本共産主義運動の裏話をよくしてくれた。
 日笠さんが特に繰り返し語ったのは、1967年の三ヶ月以上にわたる訪中公演であった。日笠さん自身にも強烈な記憶が残っていたのだろう。日笠さんは形式上は副団長、事実上のリーダーだったのだが、はぐるま座訪中団内部では演目内容などを巡って激しく批判されていたという。そのほか、記憶に残っているのは、1950年代前半の日本共産党分裂期の活動、60年安保闘争後の共産党系文化運動内の対立、文革終結直後のはぐるま座・日本共産党(左派)離脱時期のことなどである。また、フルシチョフのスターリン批判、演劇のリアリズムなど社会主義運動、社会主義芸術運動の理論問題などでもいろいろ意見を聞いた。
 私が日笠さんと知り合った時期は、中国が改革開放政策を進め、旧来イメージの社会主義からどんどん離れていった時期でもあった。日笠さんの経歴をみれば、戦後すぐ以来一貫して日本共産党系文化活動家としての道を歩み、その一帰結として文革支持があった。正真正銘の文革派として、1980年代以降の中国の歩みには否定的な感覚を持たざるを得なかった筈である。しかし、一方では日笠さんはもはや中国と切れることはできなかった。その矛盾からくるやるせない感情を、時々私に漏らしたこともある。日笠さんはまた、中国演劇にやはり50年代社会主義の影を追い求めたのか、趙尋という「保守派」の中国演劇界幹部をひどく持ち上げていた。これには、私は否定的だった。だからといって、私と感情的な対立に陥ることはなかった。
 日笠さんの夫人恭子さんは、1977年日笠さんが文革後中国の評価などを巡ってそれまで所属していた日本共産党(左派)を離れる前後にくも膜下出血で倒れた。私も何回かお会いしたことがあるが、後遺症で思考が正常でないこともあった。日笠さん逝去後、今もはぐるま座関係の日笠さんの妹さんが山口県でお世話をしているとだけ聞いた。今はどうしておられるのか。
 日笠さんは演劇、中国、社会主義に確固たる意見を持ちながら、文章・論文はあまり書かなかった。少なくとも私と知り合った1980年代以降はそうであった。私はある時、日笠さんに回想録をぜひ書くようにと勧めたことがある。日笠さんは、もうかなり書いていると答えた。しかし日笠さんは回想録を完成させ刊行する前に、逝去してしまった。その原稿はどこに行ってしまったのだろうか。没後に日笠さんと同世代の友人によって『面影 日笠世志久』という私家版の追悼文集が刊行された。日笠さんの晩年の文章四編も収録されているが、日笠さんの仕事のごく一部に過ぎない。『面影』も私家版のため知る人はごくわずかであろう。
 日笠さんの歩んだ道に否定的な印象を持つ人の方が、今日では多いかも知れない。しかしそうであっても、このような道が忘れられてしまっていいのかという思いが私にはある。いつか、日笠さんの人生と仕事についてまとまった論文を書いてみたい。

瀬戸宏(せと・ひろし 摂南大学教授/中国演劇研究・演劇評論)

 

2014-09-29
【提言】セイカアートスクエア構想について

【提言】セイカアートスクエア構想について

       
 本構想は、去る6月17日に日本演劇学会のパネルセッション「関西の劇場」にて発表したものである。

はじめに

 精華小学校の見学会で初めて精華小学校の本体の校舎に入ったとき、あまりの見事さに驚嘆し、「ここを壊すのは国宝阿修羅像を壊すよりも犯罪だ」と思わず叫んでしまった。今まで私たちは北側の劇場部分にしか足を踏み入れたことがなかったので、改めてこの学校全体に目を向ける必要があることを痛感した。2150坪、坪当たりの単価は160万円を下らず、売れば50億円以上の収入が大阪市に入る。
old_photos

 精華小学校は1929年(昭和4年)に建てられた。校舎の設計は増田清が行い、エレベーターや全館暖房など当時としては最新の設備を備えていた。増田清はドイツのバウハウスなどから影響を受けた建築家で、代表作として登録有形文化財・三木楽器本店がある。精華小学校校舎でも特徴的な梁の使い方などに彼の特徴が見られる。また、この時に校舎の建築費用として集まった金額は、当時の金額で約60万円になり、同時期の大阪城天守閣の再建費用(約47万円)よりも高額であった。その後、大阪空襲でも校舎は残り、戦後もミナミの中心地にある小学校として親しまれてきたが、生徒数の減少のため1995年(平成7年)に閉校となった。
 閉校後は、2004年に大阪市ゆとりとみどり振興局文化振興課(当時)が、雨天体操場があった北側校舎の地下と1階部分を教育委員会から利用許諾を得る形で、精華小劇場をオープンさせた。大阪市初の公立の演劇専用劇場の誕生である。しかし、2007年度に大阪市の売却方針で未利用地として認定されると、開館時に宣言された10年間の暫定利用期間の満了を待たずに、2011年3月、6年半で閉館となった。

精華小劇場での『ケバブ』上演(2009年)

精華小劇場での『ケバブ』上演(2009年)

  クレジット:精華小劇場での『ケバブ』上演(2009年)

 精華小学校のある地域・難波に目を向けると、大阪の二大繁華街の一つであるミナミの玄関口として栄えている。だが精華小学校から歩いて3分程のところに、上本町に移転した新歌舞伎座跡地があるが、ここも利用方法が決まらずにいる。この地域から、精華小劇場や新歌舞伎座などの文化施設がなくなることは、どのような結果に繋がるのか。この地域を発展させるためには商業施設を作ることが最善の方法なのか。精華小学校の価値を再評価し、その再生利用を強く願う人たちが中心となり、11月16日に中の島の中央公会堂、中集会室で「精華小から/建築/演劇/音楽/アートを捉える」と銘打ち、シンポジウム「SEIKA!SEIKA!SEIKA!」を開催した。250人が参加する集会となった。以後、精華小学校再生研究会に集まった建築、演劇、美術関係者は会合を重ね、精華小学校の見学会、映画会などを行い、さまざまな提言を行なってきた。以下に、その一端を紹介したい。
seika!seika!seika!

失速するクール・ジャパン

 Newsweek6月13日号は「息切れクール・ジャパン」という見出しで、日本のソフトパワー戦略の行き詰まりを告げ、「世界の日本ブームは終わるのか?」と問いかけている。21世紀に入り、アニメやマンガなど日本のポップカルチャーが世界的な人気になり、日本が文化超大国として急速に台頭しつつあることが多くのところで論じられてきた。2002年には宮崎駿の『千と千尋の神隠し』がアニメ作品としては初めてベルリン映画祭の金熊賞を受賞、ハローキティやポケモンは世界中のいたるところで人気を集めた。日本経済が停滞する中、新しい市場を獲得し、文化大国の座を築くチャンスと期待された。だがここにきてクール・ジャパンは完全に失速しているというのが定説だ。日本のクール・ジャパン関連のコンテンツのうち輸出されるのは5パーセント止まりであり、アメリカの17.8パーセントに大きく水をあけられている。国外における日本アニメのDVDなどの売上高は2006年の160億円から、2010年には90億円に急降下し、強い競争力を誇っていたはずのゲーム産業にもかげりが見える。10年前には世界の歴代人気コンピューターゲームの上位100作品のうち93作を日本のゲームが占めていたが今は見る影もない。
contents_comparison

 博報堂が2011年度のデータをもとに行なった調査では、重要な5つのコンテンツのうち、ドラマ、映画では韓国に水をあけられ、アジアの多くの国の音楽シーンでJ-POPは韓国のK-POPに逆転されてしまった。KARAや少女時代に代表されるK-POPは、音楽的には稚拙なAKB48などに比べ、はるかに伸びやかで音楽性・身体性も高いのである。クール・ジャパンが持ち上げるのが典型的なオタク文化であり、彼らが愛するアニメやゲームの性的描写にも問題があり、海外では児童ポルノ扱いされているマンガやゲームもある。
 私が問題にしたいのはコンテンツのソースとなる映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピューターゲームなどに国がどのような投資を行なってきたのかということである。韓国政府はポップカルチャー産業に莫大な資金を投じ、国外市場の獲得を目指してきた。2012年に日本政府が文化芸術分野につぎ込む予算は国の予算全体のわずか0.12パーセントに過ぎない。(2010年に芸団協がこのパーセンテージを0.5パーセントに上げるよう大きな署名運動を展開したが、改善の兆しはまったくない。)これに対し、韓国は毎年0.8~0.9パーセントを投じている。さらにコンテンツ関連予算は2000年度には文化関連予算の15.3パーセントを占めており、日本の約8倍にのぼる。韓国が文化輸出を通して経済を立て直すソフトパワー戦略に目覚めたためだと言える。
Korea_subsidy

 アニメは今や中国にとって替られようとしている。宮崎駿が手塚治虫をいつも批判するように、アニメーターたちの低賃金での制作は日本のアニメ産業の発展のネックになっている。日本の若いアニメーターは年収100万円程度の低収入で長時間労働を続け、燃え尽きるケースが多い。日本や美術館やコンサートホールなどのハードには金をつぎ込むが、クリエーティヴ産業の人的資源には投資を怠ってきた。最近はマンガやアニメの政策が低賃金な国々にアウトソーシングされることが増え、業界そのものが危機に瀕している。アニメの生産量で、中国は今や世界一を誇るようになった。2011年にはその産業規模は626億円にも達し、今後さらに拡大する勢いである。(NHK、BS-1「中国国産アニメは飛躍できるか?」3月27日放送)
 コンテンツはマーシャル・マクルーハンが『メディア論』の中で提唱している「メディアの中のメディア」に当たるものである。継続的に質の高いコンテンツを生み出し、時代を先取りするソフトパワーを示すには、大胆な国家的投資による人材の育成が欠かせない。特にパフォーミングアーツ(舞台芸術)は多様なメディアと深く関連付けられているので、ここが薄くなると大きな打撃を受ける。由紀さおりが希望の星では寂しい限りなのだ。優れた車、優れた運転手がいても、それを動かすガソリンが欠乏しているというのが今の日本の現状だ。

ドイツにおける公的助成

 大阪市の財政健全化をめざし、橋下徹市長は今年度から3年間で計548億円の事業支出の削減を決めた。なかでも話題になっているのが、大阪フィルハーモニー交響楽団を運営する大阪フィルハーモニー協会と文楽協会への助成金をそれぞれ25%削減し、市内で活動する劇団などへの助成金も凍結するといった文化行政の大胆な見直しである。「文化は行政が育てるものではない」「お客からお金を出してもらえる中身でないと生き残れない」と公言した橋下市長らしい大胆な削減ぶりに、関係者は大きな衝撃を受けている。
 2008年2月の橋下府政発足以来、国際児童文学館や青少年会館の廃止、センチュリー交響楽団への補助金の廃止、ワッハ上方の縮減などが行なわれてきた現状を踏まえれば、今こそ「文化と都市活性化」の問題に関して突っ込んだ論議がなされねばならないのかもしれない。大阪文化団体連合会は「文化こそ都市を元気にし、暮らしを豊かにする」のスローガンのもと、5月31日付で「大阪の文化振興を求める要望書」を橋下市長宛に提出している。
 6月中旬発売の『シアターアーツ』51号では、市川明が5月4日から21日まで行われたベルリン演劇祭の様子を詳しく論じている。国から支出されるこの祭典のための1億6千万円ほどの補助金が、この祭典を支え、ドイツの演劇のレベルアップと、多くの人材の育成、文化の享受者の裾野を広げていることは事実なのだ。ドイツ統一により、東西ベルリンも統一され、その結果ベルリンには3つの公立オペラ劇場が存在する。ドイツのアーティストはスポイルされているという厳しい批判もあり、幾度も大きな論争を巻き起こしたが、現状は維持されている。
画像3枚

地域コミュニティと文化
 昨年11月16日の集い、「SEIKA! SEIKA! SEIKA!」で、市川は「地域コミュニティと文化―Arts&Theater「セイカ」への夢」というタイトルで話をした。まず、公共の演劇祭や劇場が地域のコミュニティにもたらす可能性について、ドイツのオーバーアマガウの受難劇と、韓国の密陽の国際演劇祭を例に説明した。
 オーバーアマガウは南ドイツの人口5000人程度の小さな村であるが、ここでは10年に1度、キリストの受難劇が行われる。村人が総出で準備をして、5000席の劇場は完売する。ドイツではこのように演劇が地域に根付いており、ドイツ全土122の地方自治体に、150の公共劇場がある。それらの運営は85%が公的支援でまかなわれていることを紹介した。
Oberamagau

 密陽の国際演劇祭は、芸術監督であるイ・ユンテクが開いた演劇村で、学校跡を利用して5つの劇場とレジデンス施設が備わっている。この村の運営費や劇団員の給料は、密陽市が負担している。
Korea_Theater

大阪の劇場の現況

 精華小劇場が2011年3月末に閉館、2011年秋には関西芸術座が自分たちのお城とでも言うべき会館・スタジオを手放した。現在の府政や市政とも相まって、大阪の演劇状況は厳しさを増していると言われる。
 しかし2000年代前半に言われたように、劇場または公演場所がないという状況ではない。例えば昨年、長堀橋に「船場サザンシアター」という30席程度の劇場ができたし、劇団ひまわりが移転後、ひまわりの専用劇場であった150席程度の「シアターぷらっつ江坂」が民間の劇場になるようだ。昨年大きな話題になった、再開発が進む梅田周辺では,阪急ビルの上に200~300席ぐらいの中劇場が、また北ヤードの再開発では380席(可動式)のナレッジシアターができる。さらにカフェ公演の広がりによって、公演の可能性がある場所は大きく増えている。
lost_theater

 公演場所が不足しているわけではないにもかかわらず、このような大阪の逆境がどこからくるのか。一番大きな原因としては、「公演場所」以上の機能、役割を担える劇場が大阪にないことで、これが一番大きな問題である。劇場は空飛ぶ小箱ではなく、場所や地域に埋め込まれ、そこで機能している。劇場が場を形成し、町づくりにも関与するような状態が生まれなければならないはずだ。独自の意図、目的、方向性を持った自己組織化された空間としての劇場を大阪に見つけることはむずかしい。また参加者のコミットメントが存在する空間、すなわち場の目的にコミットし、場において生起するイベントに積極的に関与するような空間は実現されていない。大阪市には専用の公立劇場は現在一館もなく、これは大阪の演劇を語る上で、やはり大きな弱点だと言わねばならないだろう。
new_theater

 今国会で成立した劇場法に対する芸団協の提言にもあるように、劇場は「実演芸術の創造、公演、普及、教育の機関」であり、それを通じて「地域のコミュニティの形成、新しい文化の発信、都市の魅力の向上」に寄与する場所であるべきだ。かつてのOMS(扇町ミュージアムスクエア)がまさにそうであり、現在はなくなってしまった精華や森ノ宮プラネット、そして関芸スタジオなどは、このような普及や教育、人材育成などの未来への投資の役割を担っていた施設であったと言える。
 そのような施設がなくなり、代わりに民間の劇場が増えて、役所の担当者からは「やる場所に困ってないのだからいいでしょう」と言われても、民間の劇場だけではどうしても貸館による収益を上げる必要が出てくる。そうすると、本来劇場は「観客」と「劇団」の両方を顧客にしなければいけないのに、競争が激化すると、収益源となる「劇団」にばかり目がいく。演目を選別する基準は弱くなり、貸館料を一定の水準を維持し、新しい投資に使うべきところを、貸館料を値引きすることで、自らの体力を弱める結果になる。
 大阪の現状を見てみると,「大阪市助成金の予算凍結による中止」「次代の中核的劇場と期待されていたナレッジシアターは当面貸館中心で、2年後あたりを目処に自主事業も。そして、大阪市は撤退」「芸術創造館の自主事業は予算凍結」と、まさに先ほどの「公演場所の提供」に精一杯で、それにプラスする機能は発揮されていない。「教育」や「普及」には、それだけで採算を成り立たせるのが難しい面がある。お金を投入することだけが投資ではなく、空きスペースの提供や、法令上の協力、ネットワークの活用等、多面的な方法を考えながら、今、大阪の劇場に足りないことを実現すべきではないかと思う。

レトロとモダン――古い建物は壊さず利用するという鉄則

世界の都市で古い建物はリノベーションで再利用され、町の発展に役立っている。19世紀に建てられた駅舎もリノベーションされ魅力ある場所に生まれ変わっている。美術館やホテルになった例もある。
オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。その後、この建物は一時は取り壊しの話もあったが、1970年代からフランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わることとなった。こうして1986年、オルセー美術館が開館した。美術館の中央ホールは地下ホームの吹き抜け構造をそのまま活用している。建物内部には鉄道駅であった面影が随所に残る。現在ではパリの観光名所としてすっかり定着した感がある。ベルリンのハンブルガー・バーンホーフ現代美術館も駅舎を利用した博物館だし、ヨーロッパでは古城をそのままホテルやユースホステルにして人気を集めている。
 近年では廃校となった小学校や中学校の校舎を保存・再生し、活用している事例も多い。兵庫の北野工房のまち(旧北野小学校)は観光客を中心に年80万人以上が訪れる施設になり、京都の京都芸術センター(旧明倫小学校)は芸術・文化の拠点施設として全国的な評価も高い。京都国際マンガミュージアム(旧龍池小学校)年間30万人が訪れる資料館となっている。千代田区に出来た「3331アーツ千代田」(旧練成中学校)は多くのイベントや展覧会を行い、新しいアートの拠点となっている。イ・ユンテクの韓国ミリャン(密陽)国際演劇村も小学校の跡地を利用したものである。
chiyoda3
  
 建築物は安全性を考える前に、その建築物の歴史的評価、今後の有用性について考えるべきである。歴史的評価の高い建築物、これからの社会に有効な建築物を、安全性がないから壊すというのは間違いである。町にとって地域にとってどのような価値があるのかを考えてみることがまず重要で、もし安全性が確保できていないならば耐震改修により補強すればよい。精華小ですでに耐震補強が済んだ体育館部分(精華小劇場)や幼稚園の遊技場部分を除き、早急に耐震強度の査定をし、不十分な場合は補強すべきだと考える。もちろん小学校跡を再生利用するという立場からであるが。

町とコラボするパフォーミング・アーツ

 橋下府政・市政は文化人からの風当たりはきついが、美術分野では注目すべき成果が生まれ始めている。「水都大阪」プロジェクトや、それと連動した「おおさかカンヴァス推進事業」である。この事業の2012年度の公募が4月13日に始まり、5月28日に締め切られた。「大阪のまちをカンヴァスに!」をスローガンに、アーティスト、デザイナー、地域団体、クリエイターなどに呼びかけ、大阪を舞台にしたあらゆる表現活動を募集している。優れていると思われるのは作家が「場所」と「作品」を両方提案し、選べることだ。実物よりはるかに美しく描かれた自画像にほくそ笑み、「お宝」を「収蔵」する大金持ち。美術館はこうした「蔵」を壊し、「宝」を広く庶民に公開することから始まった。アートはさらに「蔵」としての美術館や「お宝」を否定し、町に飛び出し、町を美術館化することを始めた。根底にあるのは参加の思想だ。この事業では作家は町を作る喜びにもひたれるのだが、これはパフォーミングアーツにも共通するものだ。事業には6600万円が計上されているが、パフォーミングアーツの分野にも拡大してもらえないだろうか。演劇は人件費の問題などがあり、予算が膨らむことは必至であり、予算の計上方法は現在のままでは舞台芸術にはなはだ不向きだが、変更の余地はあるように思う。精華小学校再生研究会のほとんどのメンバーがこの事業に応募している。もちろん精華小学校を使っての事業だ。精華小学校を早く開けて利用したいという強い意思の表れである。われわれが提案した精華こども祭が地元に拒否されたため、別のルートや方法を探ることになった。

文化・芸術と並走するアーツカウンシルを

 2012年6月13日に大阪府市都市魅力戦略会議が開かれ、「世界的な創造都市に向けてグレート・リセット」なる案が発表された。府市一体となった形で観光、国際交流、文化、スポーツなどを推し進めるのが狙いだが、3つの重点取り組みの一つとしてアーツカウンシルの導入があげられている。専門性、透明性、公平性をうたった第三者機関が、評価・企画・調査することになる。鑑賞者・参加者の数のみならず、文化の多様性がどのように反映されているのか、表現の革新性や作品の社会性など、芸術の質にかかわる問題が深く論議され、評価されることを望む。OAC(大阪アーツカウンシル)は文楽や大阪フィルの評価もその守備範囲に入れていると聞く。また大阪に漫画アニメミュージアムを作ることを含め、ミュージアム都市を前面に打ち出した提言も準備段階にあるという。精華小跡地を大阪の文化芸術の拠点にするために考えられた「セイカアートスクエア構想」なども論議・検討の対象にすることを強く望む。文楽には「グレート・リセット」が必要と考えられているようだが、文化・芸術を規制するのではなく、それと並走し、活性化するものであってほしい。

ミナミを大阪の文化・観光の拠点に

 先の大阪府市都市魅力戦略会議では文化観光拠点の形成として5つの重点エリアをあげている。1)大阪城を中心とする大阪城・大手前・森之宮地区、2)中の島中央公会堂周辺の「博物館の島」構想、3)天王寺動物園を核とした天王寺・阿倍野地区、4)御堂筋フェスティバルモール化、5)大阪港を中心とした築港・ベイエリア地区。4)では「集客の核となる拠点の整備・誘導」として「精華小跡」が明示されている。5つの地区のうち、いちばんあいまいで出来の悪いのが4)の「御堂筋フェスティバルモール化」である。中心となる地域・建物がはっきりしない上、「にぎわい空間の形成」があいまいでわからない。どうやら梅田から難波までを想定しているらしい。大阪の文化の中心はミナミでなければならないと思う。そのこてこてで猥雑な精神性やエネルギーから大阪の文化は生まれ育ってきた。ミナミを大阪の観光の一大拠点として、精華小学校跡を文化芸術発信ための公共空間として開発してほしい。
restructuring

セイカアートスクエア構想

前提となる提案:
 大阪市は建物を一元管理する。土地は売却しない。(土地価格を事業計画に反映しないため)民間事業体が運営する。建築物の現状を出来るだけ生かし、リノベーションにより再生活用する。運動場を広場(オープンスペース)として残し、地域の中心とする。プロポーザル方式によりプロデューサーを選出する。(事業コンペをしない。企画力のみの審査を行なう)

総合的な文化施設としてのアートスクエア(市川提案)

 全体を3つのブロックに分割する。

Aブロック:アートスペース。美術館や画廊での発表の場を持たない新進作家のモダンアートの発信の場にする。展示場以外にアトリエ、スタジオ、ギャラリーなど広く利用
Bブロック:資料館スペース。マンガ・アニメミュージアム、上方演芸資料館など。図書室も置き、生涯学習ルームや子ども、学生の自習室として使用
C ブロック:パフォーミングアーツ・劇場スペース。稽古場。諸団体の事務室
劇場はいくつかの空間を用意し、1公演で複数の空間が使用可能にし、超先端を行く演劇の発表の場とする。以下のようなことを具体的に考えている。

1)維新派の本拠地を置き、劇団事務所、稽古場を与える。
2)DIVE、新劇団協議会など諸団体の事務室を置く。
3)稽古場を無料で開放し、若手の育成に当てる。
4)精華を中心にフリンジを開発し、演劇祭、国際演劇祭を開く。

⇒2キロ(徒歩や自転車で来られる地域住民の拠点・メッカ)から20キロ(大阪府内や近隣の県の住民が乗り物を使って1時間くらいで来られる、使用度の高い芸術空間)、200キロ(名古屋や岡山・広島など時間がかかっても大きな催しには来ようという注目度の高い劇場)、2000キロ(世界からゲスト、お客を呼べる世界的な演劇祭の場として)へと劇場の影響圏を広げ、将来は2000キロの観客を射程にした取り組みへと羽ばたいていくことが重要だと思われる。
今年の4月に開館した「江之子島文化芸術創造センター」(大阪府立)と連携し、大阪のアートシーンを形成することも重要だろう。すでに耐震強度を満たしている劇場、幼稚園、運動場スペースを利用してイベントを行い、府民の注目度を集めることは焦眉の課題だと思われる。以下のようなことを当面考えている。

・大阪カンヴァス推進事業に応募し、精華小学校を使った大規模なパフォーマンスを行う。
・子どもフェスティバルを開き、ジュニアバンドなどの演奏や人形劇のワークショップなど、子供にとってこの場所が重要なことを広く府民に知らせる。
・大道芸フェスティバル:10月の御堂筋kappoや静岡のフェスティバルと連携・協力
実験演劇、モダンアートの発信地としての性格を強め、アピールする。
最近出来た「津あけぼの座スクエア」(幼稚園をリニューアル)なども参考にしたい。

 夢や理念を語ることはもちろん必要なことだが、こちらから具体的な提案をして、とにかく行動に出ること、実績を作っていくことが重要である。それによって広範な人たちが精華小学校跡地の重要性に気づき、この場所を芸術文化の拠点として利用しようという運動に参加してくれるだろう。

市川明|いちかわ・あきら(大阪大学教授・ドイツ演劇)

 

2014-09-29
平田オリザインタビュー「国際舞台芸術フェスティバルと拠点劇場」 

リニューアル後、第2弾となる「act」21号では「京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT)」などの国際演劇フェスティバルを中心に劇評をとりあげ特集とします。恒例となった巻頭インタビューでは平田オリザ氏を迎え、日本で最近盛況になりつつある都市型の国際演劇フェスティバルと劇場法などで想定している拠点劇場の関係について、フランスなどでの状況などを踏まえて語ってもらいました。
orizahirata
 中西理(以下中西) 平田さんは今回KYOTO EXPERIMENTにアンドロイド演劇「さようなら」で参加なさったわけですが、これまでもフェスティバル/トーキョー(F/T)のような総合舞台芸術フェスティバルや昨年のあいちトリエンナーレのような総合芸術フェスティバルにも参加なさっています。さらには国内だけではなくフランスを中心に海外でも豊富な国際フェスティバルへの参加の経験があります。内外の事情に詳しい平田さんに今の日本の国際フェスティバルの状況をどのように見ていらっしゃるか、フランスなどの場合、拠点劇場と国際フェスティバルは異なる役割を担っているということを以前おっしゃられたことがあると記憶してます。このあたりのことをまずお聞きしたいのですが。
 平田オリザ(以下平田) ヨーロッパの特に大陸の方の場合ですが、国際フェスティバルという大きな円盤と公共ホールという大きな円盤が並行して回っていて、これは垂直方向にも多少はつながってはいるけれど、前者は国際マーケットで後者は国内マーケットなのでそれはそれぞれにフィールドが違います。国際マーケットは年々見本市的な性格が強くなっていて、いいフェスティバルほど若いプロデューサーとか芸術監督とかが集まってきて新しいものを買い取っていくという機能があります。典型例はチェルフィッチュの岡田(利規)さんがベルギーのクンステン・フェスティバル・デザール*1で大成功して、以後何年にもわたって欧州市場でフェスティバルをまわるということが起こっている。
 平田 フェスティバルには非常に大きなヒエラルキーがあって、トップレベルのエジンバラやアビニョンからクンステンのようなより小規模だが特色を持たせたもの、そして地方の夏に行われるさまざまな大きさのフェスティバルがあります。1回作品がヒットすると日本の劇団の場合には3~5カ所あれば欧州ツアーが組めますから、例えば100のフェスティバルがあるとすれば原理的には20年はツアーを続けられる、そういう大きなマーケットがあるわけです。
 平田 一方で国内市場はフランスならフランス、ドイツならドイツで強固な劇場システムを持っています。フランスの場合、国立演劇センターがそれぞれ作品を作って、それをお互いが買い支えていくという仕組みです。その場合にアビニョンなどでも発表する、それは海外なども意識した作品が多いわけですが、国内市場の見本市的な役割も果たしていて、7月には劇場のプロデューサーや芸術監督はバカンスに入ってますから、そういうところに来て1~2週間滞在して、翌シーズンか翌々シーズンのラインナップを買い取っていくという風になっています。ですからフェスティバルと拠点劇場には、この点で垂直方向の接点もあるわけです。
 中西 それではアビニョンやエジンバラが夏のシーズンにあるのはそういう事情があるからでしょうか?
 平田 もちろんそうだと思います。そして、見本市機能が増しているなかでクンステンがいま力を持っているのは芸術監督が非常に目利きで、世界中を回って最先端のしかも他のフェスティバルが呼びやすいものをうまく選んで上演しているというのがあるわけですね。例えば少人数であったりとか、セットが少ないとか、祝祭性が強いとかいうようなことも重要な要素です。そういう点では青年団はあまりフェスティバルには向いていなくて、公共ホール向きだと考えています。フェスティバルは1日に何本も見ますから、やはり刺激の強いものとかの方が喜ばれる傾向がある。アビニョンとかエジンバラというのはご承知の通りフリンジ機能というのが非常に大きくて、アビニョンはたぶん年に20~30の正式招聘作品に対して、約1000のフリンジの作品があって、このフリンジも段々と評判が出てくるとお客さんも集まるし、劇評もでるし、劇評を劇場の表に貼ってとか、俳優がチラシ配ってとかすごい涙ぐましい努力をして人を集める。それで本当に1000あるうちの30とか50とかがどこかに買い取られていく。そのうち本当にたくさん買い取られていくのは1ケタかもしれません。だから、アビニョンドリームとかエジンバラドリームというのは今は本当に少なくなっていて、それよりはいったん芸術監督の選抜を経たクンステンのようなものの方がチャンスがつかみやすくなっている。アビニョンとかエジンバラとかは本当にお祭りだから、プロデューサーも来るけどなに見ていいか分からないから雲をつかむような話なので大変ですよね。だから本当に見本市機能をさらに強化したようなものの方に流れていっているかなというイメージはあります。
 中西 海外のフェスティバルと比べて、日本のフェスティバル/トーキョー(F/T)やKYOTO EXPERIMENTはどうでしょうか? 後、日本の場合にはもう少し規模は小さいですが鳥の演劇祭とか静岡のように拠点劇場が主催して開催している国際演劇祭もありますが、これはどうでしょうか。
 平田 もともとさかのぼれば、もちろん国際フェスティバルの最初は利賀フェスティバルで、国際フェスティバルにはもうひとつ大きな役割として海外の文化に触れるという本質的なものがあると思うんですね。利賀のフェスティバルには海外の最先端のものに日本の演劇人が恒常的に触れられるようになったという大きな意味があったわけですが、時代とともに国際フェスティバルの役割も変わってきた。そろそろ日本でも見本市的な役割のフェスティバルが求められていたところにFTができて、それまでの蓄積もあったわけですが、やはりF/Tになってから、圧倒的に海外からのプロデューサーや芸術監督の来日が増えたことは間違いない。いくら韓国が文化予算を使っても日本の方がまだまだ表現の多様性があるので、(海外市場への)吸引力がある。F/Tができたことは非常に喜ばしいことで、それに鳥の演劇祭とか静岡が異文化の紹介という最先端のものを紹介する機能を補完して果たしているということが今の状況でしょう。
 中西 それではF/TとSPACの演劇祭では機能が違うということですか?
 平田 SPACは立地条件もあって、毎週末にしか上演できないので見本市的な機能は持たせにくいですね。ただ、いまは、静岡がないと本当に最先端のものに触れる機会がF/Tだけになってしまう。昔と違ってあまり世田谷パブリックシアターとかが呼ばなくなってしまったのでそれはそれで大事な役割があると思います。
 中西 そのなかでKYOTO EXPERIMENTの位置づけはどのように考えたらいいのでしょうか?
 平田 そこは、私も多少なりとも立ち上がりの時からアドバイザー的な立場でかかわってきたので、私がずっと言ってきたのは最初のうちは今のままでもいいけれども、京都という土地柄からいって、フリンジ的ものを伸ばしていくのがいいじゃないかということです。フリンジ機能はF/Tもやっていますが、弱いんですよね。東京はだだっ広いから。フリンジというのはエジンバラとかアビニョンみたいに城郭都市で、城郭の中で歩いて全部行けるところで、そこかしこに劇場空間があるというのがフリンジのいいところなんで、京都はぎりぎりそれができる街なのです。それから京都のブランドイメージがあるから、F/Tに海外から来るプロデューサーも芸術監督も2~3日京都に足を延ばすかということになって嫌だという人はいないわけで、だとすればF/Tとのすみ分けを図る意味でもフリンジ機能を強化した方がいいんじゃないかと思うわけです。それは徐々に出てきてるとは思うのですが。もちろん、フリンジ機能というのはフリンジだけではできなくて、集客力のある目玉の作品とフリンジという関係性ですから、フリンジの方は玉石混交でいいと思っているのだけれど、まだそこら辺の割り切りが弱いというか、もっとメチャクチャにした方がいいと思います。つまり、クンステン型の目利きが選んでくるフェスティバルを目指すのか、フリンジ型で徹底させるのかをもう少しはっきりさせた方がいい。僕は、京都の場合は、ある種のクオリティーを保証するというのは今の体制ではちょっと厳しいのではないかなと思っている。お金もないといけないですしね。
芸術監督とかフェスティバルディレクターには、玉石混淆を許す、大らかさとか大ざっぱさも必要な資質です。

 中西 そうですね。F/Tがどういう体制でやっているのかは分からないのですが、「KYOTO EXPERIMENT」は2人のプロデューサー(橋本裕介、丸井重樹)がすべてを手づくりでやっているような感じもあります。おそらく、もう少し体制というか、その下にグループとしてのフェスティバル運営ができるスタッフがいないとしんどいかもしれませんね。
 平田 フリンジを増やして自己増殖型にした方がたぶんいいと思うんですけどね。
 中西 最初はあの体制で毎年やるとは思っていなかったのでちょっとびっくりしました。
 平田 でもよくやっているし、今年からは文化庁の比較的大きな予算もとってこられたわけですから、滑り出しとしては上々じゃないかと思います。それはいろいろ言う人はいると思うんですが、フェスティバルというのは、そんなすぐにできるものではないんです。アビニョンだって何十年という伝統があってあそこまでになってきたわけですから。
 中西 日本だけの特殊な形態なのかもしれませんが、そのほかに平田さんも参加したあいちトリエンナーレのようにアート系の大きなフェスティバルの一部に舞台芸術が含まれているという場合もありますよね。単発ではありますが、瀬戸内国際芸術祭が維新派を招聘している例もあります。特にあいちトリエンナーレはパフォーミングアーツの部門だけでも質量ともに国内の舞台芸術フェスティバルと比較してもひけをとらないどころか、それを上回るような質量があり、1回目だったということもあり、今後どのようなことになるのかはまだまだ予断を許さないところもあるのですが。
 平田 あいちトリエンナーレは本当にああいう形でやっていただいてよかったなと思っています。今後もああいうことは増えていくだろうと思いますし、それもまた大きなマーケットになっていくことは間違いないでしょう。
 中西 いままでの話に出たフェスティバルでF/TやKYOTO EXPERIMENTなどは独立した実行組織があるわけですが、鳥の劇場やSPAC、そしてあいちトリエンナーレで主体となった愛知県芸術文化センターのように拠点劇場として想定されているような劇場が演劇フェスティバルを主催している例も多いようですが、日本における機能の分化などについて平田さんはどのようにお考えなのでしょうか?
 平田 ヨーロッパのフェスティバルの場合は小さい町でやるものの方が多いのです。特に夏のバカンスシーズンなどにそれをひとつの観光の目玉にしている。町中のいろんな空間を劇場にするということで、例えば今年私たちが行ったイタリアのサンタルカンジェロフェスティバルなんてのは劇場がないんですよ。小劇場が1個あるんですが、本人たちも劇場はないと言っていて、納屋みたいなところだとか、「ヤルタ会談」は市議会の議事堂でやったという風にいろんなところ、ありとあらゆるところを劇場にしていく。その面白さはやはりあるんです。まあ、後やはり向こうの夏は雨がそんなには降らないので、野外もできるというのもあります。だから、日本では今までは大きな都市でやっていたので、もっと小さな町がやるのがまずひとつの選択肢だと思います。一番そのイメージに近いのは沖縄市のキジムナーフェスティバルだと思いますが。中核にある劇場はもちろんあってもいいのですが、鳥の演劇祭もだんだんそれに近づいてきてますね。この間「ヤルタ会談」は鳥の演劇祭でも旧鹿野町の町議会の議事堂でやった。そういういろんなスペースを使ってやっていくというのが一般的になっていくと面白くなっていくのではないかと思います。京都もその可能性が十分にある。町中にいろんなスペースがありますから。京都は大都市なんだけれどそれができるちょっと稀有な都市ではないかと思います。周囲を囲まれているし城郭都市に近いでしょ。
 中西 日本の都市では京都がエジンバラと一番似ている感じがします。私が海外の演劇祭を見てきた印象ではたぶん、あのくらいの規模の町が大きさの限界だと思います。
 平田 そうです。限界です。
 中西 東京とかニューヨークとかだったら埋もれてしまってやってる感じがしないのじゃないかと思います。東京国際映画祭などを見ていていつもそう思っていました。
 平田 だから東京の場合は(F/Tは)これまでそういうものがなかったから機能としてはいいのですが、今後ほかの競合するものがでてくると考えなきゃいけないってことになるでしょうね。今は非常に役割をはたしてくれているので有難いのですが。

撮影:阿部綾子

撮影:阿部綾子


 中西 一時、演劇祭というのはそういう形式ではないものがバブル時代というか80年代にたくさんあったのが、急速になくなってしまいましたよね。そういうものと今やられているF/TやKYOTO EXPERIMENTでは集客性というか、作品の前衛性などで違いがあると思われますが。
 平田 そこら辺は本当にこれからの課題でもあって、メインの集客性が見込めるものとフリンジとのバランスを、継続性ということを考えると、絶妙に取っていかなくてはならなくて、それはまあ試行錯誤ですごく前衛によってしまう時と大衆性によってしまう時といろいろあって段々とフェスティバルの色というのは固まってくる。だから1~2回の開催であれこれ言わなくてもいいんじゃないかと思っている。ただ、まぁ言わないと揺り戻しもないから、いろいろ言うのも大事なんですが。それですぐに「これではだめ」っていうことにはならないと思います。
 中西 拠点劇場の方はどういう役割を果たすことになるのでしょうか。
 平田 国がお金を出して演劇作品を作るということを新国立劇場だけにまかせるというのは明らかにゆがんでいるし、非効率なので「創る劇場」というのを10とか20とか30とかきちんと決めて、そこにはちゃんと競争もあって、JリーグのJ1、J2みたいな感じで、そこはきちんと作品を国の責務として作る。それと「見る劇場」、これは地域拠点で、別に作品を作らないということではないのだけれど、基本的には買い取りながら回していくというところに機能を分化させていくべきだと僕は考えています。たくさんの劇場があって全部が全部作品を作れるわけじゃない。だとすればそれはやっぱり、空港行政や港湾行政と同じで、選択と集中がどうしても必要であると思います。
 中西 そういう中で関西では拠点劇場という役割を今担えるような劇場が兵庫県立芸術文化センター以外は大阪も京都も現状では見当たらないということがあって、その中でひとつ平田さんも準備段階でかかわっていらっしゃる「ナレッジシアター」、あれも当初計画よりはちょっと遅れているようなこともお聞きしているのですが、現状と見通しについて少しお聞きしたいのですが。
 平田 先ほども会議があったばかりなんで、本当に今どうなるかの瀬戸際ぐらいなので、どうなるのか自分でもまったく分からないのです。ただ、今確か重点拠点は11カ所全国にあると思うのですが、大阪市内にないというのは特に演劇において、兵庫はどちらかというとオペラ、びわ湖ホールもそうですから、明らかにバランスを欠いている。民間がやるのか、行政がやるのかということは別にしてそれはやはり将来的には必要ですよね。
 大阪大学としては総長が替わって停滞しちゃったんですが、昨日、きょうあたりの話し合いでまあ大丈夫だろうということになったのですが、もう1回上の方で話し合いはしていて、後、1、2週間で結果が出る。大阪市、府側の問題もある。いずれにせよ今は私の手を離れてしまっていてそちらの方での結果がでるのを待っているところです。
 中西 京都はどうなんでしょうか?
 平田 京都も市の芸術会館について検討が進んでるようです。
 中西 京都会館のことでしょうか? 建て替えは小劇場などと関係があることなんですか。
 平田 多少関係はあるんじゃないでしょうか。いまいろいろやっているということを聞いています。あそこも貸館需要もあるので、いろいろ難しいみたいなのですが。
 平田 まあやっぱり芸術監督のいる創造拠点は、関西にも欲しいですよね。基本的に劇場法というのはそんなに難しいことを言っているわけではなくて、劇場というのはただ鑑賞の場ではなくって、創造の場ですよ、ということ。創造の場である以上は専門家が必要ですよ、ということだけなんです。それを法律で根拠づけるということだけなんです。階層化みたいなことは法律にはなじまないんで、実際には現実の助成金の出方もすでにそうなっているので、それを裏付けるような概念的な法律を作るということです。
 中西 フェスティバル/トーキョーやKYOTO EXPERIMENTに出ている助成金というのはどういう類のものなのでしょうか?
 平田 それは国際フェスティバルに対する助成です。それは昔に比べて潤沢に出るようになっています。
 中西 それでは劇場法と関係なくそういう助成金などは続いていくということなんですね。
 平田 もちろんです。それももう少し分業と競争と淘汰が進むと思います。つまり、今はアーツカウンシルがないから分業は、申請側が個別に、自分たちで考えなくてはいけない。だから国の政策というのはあまり出ないのですね。本来だったらアーツカウンシルで主導して、あなたはこういうのをやっていただくといいのですけどねというようなことがもうちょっと言えるといい。それでもちろん、地域の側で拒否してもいいわけです。やるのは自治体だから。ただ今は、あまりにバラバラで、市場にまかせすぎじゃないかと思っています。
 中西 平田さん、あるいは青年団とフェスティバル、拠点劇場との関係なのですが、今海外ではフェスティバルにはロボット演劇あるいはアンドロイド演劇で参加していることが多いですよね。
 平田 先ほど申し上げたように、うちはあまりフェスティバルに向いていないんですね。例えば去年「東京ノート」でシビウの演劇祭に行ったのだけれど、うちはやはり待遇はいいので夜10時からとかの開演だったんです。8時からとか10時からとかは待遇がいいメインの公演です。ただ、お客さんは朝からずっと見ていて最後に疲れきって見るから、『東京ノート』なんかはあんまり向いてないんです。だから、そういうものよりはアンドロイドのような客寄せ的なものの方が好まれて、おそらくこれからは、うちでフェスティバルに呼ばれるのはそういうものの方が増えていくと思います。今年もイタリア・ナポリ演劇祭とサンタルカンジェロ演劇祭に行ったんですが、それは「東京ノート」と「ヤルタ会談」をセットで持って行ったんです。ジュネーブのバティックという演劇祭も「ヤルタ会談」とセットで持っていった。「ヤルタ会談」を見て「東京ノート」を見ると、これはなかなかいいんですよ。「ヤルタ会談」で少し慣れておいてから見ると、『東京ノート』もフェスティバルでもすごく評判がよくて、だからそういう風にやはり見せ方も工夫しないと、うちみたいにある程度ブランドイメージが確立してきている劇団でさえも、フェスティバルに行くとなるとなかなかうまくいかない。今度「ソウル市民」5部作を、できれば2年後にアビニョンでやりたいと思っているのですが、そういう一挙上演みたいなのは1日中ずっと見ているから、うちみたいな劇団でもいいわけなんです。
中西 平田さんに聞くことではないのかもしれませんが、アビニョンフェスティバルは何年か前の日本特集が評判がよくなくて、それ以来日本の劇団がやりにくくなっているというのは難しくなっているという風に聞いたことがあるのですが。
平田 それはそうではないです。評判が悪かった、あまり成功しなかったのは確かですけれど、日本の劇団がそれでやりにくいというのは文法的におかしいですね。だってフリンジは全部開かれているわけですから。
中西 すいません、呼ばれにくいという意味でした。
平田 呼ばれにくいというのはアビニョン自体がフランス語上演が多くてそんなに海外の作品を呼ばない傾向になっているからじゃないでしょうか。そうは言っても2006年のフレデリック・フィスバックがやった「ソウル市民」は日本語上演で正式招待でした。それでル・モンドの1面に出ましたから、だから、決してそういうことはないです。まあ、選定はフラットだから。いいものはいいし、だめなものはだめ。毎年ディレクターも変わりますし。ただ、あえて言うなら、(日本特集の失敗で)日本に対する幻想はなくなったということはあるかもしれません。アビニョンは本当にもうはっきりしていて、正式招待とフリンジとでは全然待遇が違う。「ソウル市民」なんて打ち上げはプールのあるレストランで泳ぎながらシャンパンを飲んでいて、一方でフリンジ参加の劇団は宿舎もざこ寝ですから、中核に入らないとはっきり言って意味がない。若手の人たちに言っているのは、もうアビニョンでフリンジに行く時代ではない。それよりはF/Tに出て、ちゃんとした作品を作ればそこにクンステンのフェスティバルディレクターとかは毎年来るわけだから、そこで認められる方が全然効率はいいんだよと言ってます。やっとそういう時代になったということですね。だから逆に言うとアビニョンに台湾とか韓国の劇団がいますごくたくさん来ていますが、それはアビニョンにフリンジで参加することがまだステータスになる国だからです。(日本では)今はもう構造は分かってしまっているでしょ。アヴィニヨンなんて、フリンジならだれでも行けるんだということを皆知っちゃっているから、「アビニョンから帰ってきました」「スタンディングオベーションで好評でした」といっても「へえ、そう」という感じ。それがニュースになったのは日本では20年以上も前のこと。
中西 海外のフェスティバルに行っても次につながらないと仕方ないですからね。
平田 そうです。そして、そういう意味でもつながりやすいクンステンなどに行く方が成功への確率が高くて、クンステンに行くには日本でやっていてもチャンスはある。そのチャンスをもらえるようになったのはF/TやTPAMのおかげだということです。
中西 以前だったら海外公演は日本である程度実績を積んだ劇団が万全の準備をして行っていたのに対し、最近は旗揚げしてまもないような若手劇団が次々と出かけていって、それもただ行くというだけじゃなくて、ちゃんとマーケットに乗っているようなことが増えているような気がするのですが。
平田  それは本当にいいことだと思います。それはある程度ノウハウが確立して、才能のある人が才能をちゃんと伸ばせるようになったというのはいいことです。関東圏では、フェスティバル以外にも、公共ホールに芸術監督や専門のプロデューサーがいて、通常の劇場でも貸し館ではない公演が増えている。後はアーツカウンシルができればと思います。国の助成金だけで何度も海外に行っているような劇団は淘汰されるべきだと思います。だけど今の現状は書類を書くのがうまいところが海外に行っているという傾向があるから、本当に行かせたいところを行かせるようにしないいけないと思う。セゾン文化財団はクンステンと組んでそれをやっているでしょ。本来あれはアーツカウンシルがやるべきことなわけです。推薦枠みたいなのをもらってどんどん向こうのフェスティバルに対して、今回これどうですかみたいな感じで、アーツカウンシル主導で海外展開をやるわけです。
中西 向こうの状況ははっきり分からないのですが、クンステンのようなフェスティバルとアビニョンとかエジンバラというのはまたリーグが違うのでしょうか。規模の大きなバジェットの大きなところと小規模なところの間には回る作品の方向性の違いのようなものも感じるのですが。
平田 巨大フェスティバルとそれの次のウィーンとかクンステンでは、はっきりと規模の違いがあります。クンステンというのはちょっと隙間産業のようにぐっと急に出てきたものだと思います。そんなに規模を大きくしないで目利きが50くらいの公演を集めてきますみたいな新しいタイプですよね。シーズンも全然夏じゃない時期にやるという。また、ブリュッセルという大きな都市だけど、歩いて回れて、交通の便がよくて、ヨーロッパ中から集まりやすいということもあります。だから、それはそれで新しいマーケットを作ったということはあります。
中西 そして、そこからネットワークが出来てきたことで、プレゼンスが増してきているというのはあるわけですね。
平田 そうです。
中西 ただ、逆に言うとそこからメジャーリーグというべきなのかどうか分からないのですが、アビニョンやエジンバラの正式招聘にステップアップして行こうと考えた時にそこには大きな壁があるとも聞いているのですが。
平田 それは少なくともアビニョンの場合はフェスティバルと公共ホールとの関係があって、本来、ヨーロッパの演出家だったら、フェスティバルのマーケットを周りながら、次には公共ホールの方に行ってそこで作った作品とかがアビニョンに招待されるわけだから。それは岡田さんも、じっくりそこの点について話したことはないのだけれど、オファーがないわけではないだろうし、迷っている部分もあるんじゃないかなと思います。要するにまだ彼は外国語で作品を作るということに多少の躊躇があるという話は、本人から聞いたことがあります。そして、それに慎重であることも、大事なことだと思います。
中西 「水と油」がエジンバラとかアビニョンのフリンジをきっかけにいくつもオファーを受けて、ヨーロッパのツアーを始めてけっこういろんなところに呼ばれていた時期があったのだけれど、それだけでは限界を感じたというのを聞いたことがあります。何のために行くのかということもあると思うのですが。
平田 フェスティバルで回っている分にはそれはそれである程度商売になるんですが、やはり限界があるのと、そのうち飽きられる。僕は逆にフランスの公共ホールのマーケットの方に、最初から運よく入ったので、毎年クリエーションの依頼が来て、今も向こうで毎年作品は作っているわけです。それは非常に特殊な存在であって、運がいいとそれがアビニョンに行ったり、パリのフェスティバル・ドートンヌというのに参加したりするわけですが、そうすると巨額のお金が入ってくる。
中西 来年(2012年)は平田さんの予定はフェスティバル関係ではどうなっていますか。
平田 来年はフェスティバル・ドートンヌというパリの秋の芸術週間のようなところで、これに出ると予算も潤沢にもらえるので、これに出るかどうかを今交渉中です。これはロボット演劇の新作「三人姉妹」を考えています。それから、先ほども言った再来年のアビニョンでの「ソウル市民」5部作一挙上演というのも現在交渉中です。要するに1、2年前からいろいろ大雑把に話をしておいたのが、ある時期に急にぐっと決まっていくものなのです。
中西 アビニョンはもし上演するとしたら日本語上演で字幕をつけるということになりますか?
平田 日本語上演です。
平田 きょう話したことを最後にまとめるとするとやっと日本の若手の演出家が戦略を持って国際展開ができるような時代がやってきたということで、それはとてもいいことだと思います。それから、国や地域によって、システムはみんな違います。今日はヨーロッパの大陸の話がメインでしたが、国土の大きいカナダやオーストラリアでは、芸術見本市が力を持っているようです。公共ホールの在り方も、ネットワーク型のフランスと、大艦巨砲主義のドイツでは大きく違います。
極東という日本に地理的条件も踏まえて、時間をかけて、日本型の演劇マーケットを作る、そしてそれを国際マーケットとどうリンクさせていくかという長期的な視点が必要になってくるでしょう。

(2011年11月24日、大阪大学平田研究室にて収録)
  

 

2014-09-29
クロスレビュー|平田オリザ+大阪大学石黒浩研究室・アンドロイド演劇「さようなら」

平田オリザ+大阪大学石黒浩研究室・アンドロイド演劇「さようなら」(10月2日@京都芸術センター)

撮影:阿部綾子

撮影:阿部綾子


日曜日、京都芸術センターのフリースペースは、行儀のいい子供を連れた両親や品のいい高齢者、趣味のいい服を着たカップルなどでにぎわっていた。文化的蓄積を誇る京都の教養階級――常日頃の小演劇ファンと個人としては重ならないこともない、しかしマスとしてみれば明らかに違う空気を漂わせた観衆たち。美術展、コンサート、歌舞伎・能・オペラ。人口規模から考えれば、質・量ともに驚くほど充実した京都の各種文化イベントに熱心に通う人たちである。
彼らの前には暗転した舞台があり、舞台の上には人形のようなものがうっすらと見える。あれが、そうか。やがて照明が明るくなると、それは思った通り、黒い服を着たアンドロイド。お目当ての機械人形である。口が縦にぱくぱくとしか開かず、背中の動きも若干かくかくしているが、表情などは驚くほど自然である。金髪の女性(こちらは人間)と15分間の短い劇を演じる。病気で死にかけた女性を慰め、詩を詠む。死なない自分はどこまで遠くに行けるだろうと、自分の存在への懐疑をもらしてみせる。SFにおけるヒューマノイド型ロボットは自分の存在に悩むものと決まっている。その定石を律儀におさえて、見る人に安心感を与える。
アンドロイドを研究している大阪大学の石黒浩教授との共同作品であり、何はともあれ、アンドロイドに何ができるかを見せることが最大の目的であった。平田オリザはその要請に見事にこたえてみせた。歩くことはおろか立ちあがることもできないアンドロイド。その限られた演技の幅を感じさせない、病気の女性との会話劇。自ら語るように、日本語のたどたどしい、金髪の女性を相手役に起用することで、アンドロイドの「不自然さ」を相対化する。日本人が幼時から蓄積しているヒューマノイド型ロボットSFのステロタイプを利用し、15分の間に心地よい詩情を漂わせてみせる。
平田オリザは当代の才人である。民主党への政権交代直後の鳩山内閣で施政方針演説の原案を書き、演出も手がけたことは有名だ。日本の戦後において、政治学者、民族学者、建築家など、時の政権のご意見番として役割を果たした知識人の系譜があるが、平田オリザにも彼らに似た匂いがある。目に見えて有能で、空想的ではない、現実的な才覚に富んでいる。能弁で、独自の説得力があり、器用で多才である。要するに、現世において成功する要素を兼ね備えており、当然の結果として成功する。平田オリザとはそういう人である。
その一方、平田は「後世に残る戯曲を書く」ことを人生最後の野心としてしばしば口にしている。しかしこればかりは、平田とて実現できるかは分からない。少なくとも言えることは、アンドロイド演劇のような作品はまず後世には残らないということだ。
文学などの歴史を見ると、結果として後世に残っている作品は、必ずしも広く読まれた作品ではない。むしろ少数でも熱心な読者に読まれたものが残る傾向にある。カフカの作品を後世に残したのは、彼から譲り受けたノートをトランクに詰めてアメリカに亡命した友人マックス・ブロートの決断だった。たった一人の人が「自分の命に代えてでも」と思えば、作品は残る。しかし実は、その一人を持つことができない作品・作家が大半なのである。ベストセラーを書いて数十万人、数百万人の読者を得ながら完全に忘れられた作家など数えきれないほどいるのだ。
もし平田が、本当に後世に残る作品を書きたいのなら、アンドロイド演劇のような、演劇的には何の意味もない「遊び」をしている時間はないのではないか。何かを得るためには何かを捨てなければならない。才人・平田もその例外ではないのである。

水牛健太郎(みずうし・けんたろう/wonderland編集長)

 

2014-09-29
クロスレビュー|平田オリザ+大阪大学石黒浩研究室・アンドロイド演劇「さようなら」

平田オリザ+大阪大学石黒浩研究室・アンドロイド演劇「さようなら」(10月2日@京都芸術センター)

 大阪大学の石黒浩研究室(ロボット学研究)と劇作家・演出家の平田オリザの共同プロジェクトがアンドロイド演劇「さようなら」である。昨年夏のあいちトレンナーレで初演され、その後、各地を巡演しているが、私は2010年11月にフェスティバル/トーキョー10で初見、今回のKYOTO EXPERIMENTでの上演は2回目(フェスティバル/トーキョーでは2度見たのでステージ数としては3回目)の観劇となった。
 アンドロイド演劇と銘打っている通りに「さようなら」は石黒教授が開発した人間そっくりのアンドロイド(ジェミノイドF)が出演し、これが人間の俳優と共演する2人芝居である。
 上演時間は15分程度と短い。それもあって、これを単なる演劇作品という風に考えると物足りない。見終わった後の感想は最初のアンドロイドが照明に浮かび上がって見えた時には「これがそうか」と少しの驚きはあったものの、芝居自体はあっけなくて「もうこれで終わってしまうの」という感じであった。
 ただ、この公演では2回あった上演のいずれもアフタートークがついていて、ここで作り手側のアンドロイドについての話が聞ける。最近の上演ではトークと上演を組み合わせて1組になっている。実はこれが決定的に重要なのだ。短いため、単独で演劇公演としてお金をとって見せるのは難しい事情もあるだろう。実はフェスティバル/トーキョーでは公演をはしごせねばならずにトークの部分を聞くことができずに今回初めてトーク(私が見た回は石黒浩氏が登場した)まで合わせて聞いた。その結果、分かってきたのはアンドロイド演劇というのは単に「アンドロイドが登場する演劇」という見世物的なものというのではなく、一種の思考実験なのだ。アンドロイドと人間の俳優が同じ舞台に乗って共演することで、私たちが通常無意識である他者に対する認識のあり方について考えさせるものだということだ。さらにこれは平田が考える演劇という仕掛けの見事なプレゼンテーションにもなっていた。
 もう少し具体的に説明しよう。詩を読むアンドロイドと死に至る病に侵された少女の物語。「死すべきもの=人間とそうでないもの=アンドロイドの交流を通じて短い上演時間の間に私たちが生きてそして死んでいくことを考えさせる」。といえば通りはいいが、物語自体は正直言ってステレオタイプだ。SFにはありがちな設定でしかない。石黒の製作したアンドロイド(ジェミノイドF)は一見驚くほど人間によく似ていて、やりかたによっては短い時間であれば人間と錯誤させることはできそうではあるが、平田はそうはしない。ちょうど、ロボット演劇「働く私」がそうであったようにアンドロイドはアンドロイドを、人間は人間を演じる。
 どういうことかというと「さようなら」に出ているアンドロイドは人間として出てくるのではなく、アンドロイドとして登場する。それは病気の少女の父親が娘のさみしさをなぐさめるために買い与えた高価な玩具で、プログラムに従い人となめらかに会話ができ、自分のデータベースから状況に適応するような詩句を自由に選び出して、それを朗読するという機能が付与されている。
 最初、「どのくらいに人間にそっくりなのだろう」と彼女を凝視するが、舞台上のジェミノイドFは実際には人間と区別がつかないというほどではないことに気が付き少しがっかりする。だが、しばらくするとそれは技術的なあるいは演出的な限界というわけではない。必要があればもう少し人間と誤認させるように登場させることも可能なのだろうが、意識的にそうしてないのだろうということが了解されてくる。 
 例えばアンドロイドの声は本体からではなくて少し離れた位置にあるスピーカーから発せられる。また、人間の声質とは少し違う声に設定されている。人間のように見えることが目的であるならば、そう見えるように演出することも十分に可能だろうと思われるが平田はそうしない。ロボット演劇「働く人」においては「ロボットはよりロボットらしく」という演出をしてみせたが、それはここでも同じなのだ。
 ところがわずか15分ほどの芝居ではあるのだが、見ているうちに不思議なことが起こる。機械仕掛けの人形のようであったこのアンドロイドが少女との会話を通じて、まるで実際に意識や内面を持ち人間同様に生きているように見えてくるのだ。ここでアンドロイドが生きて意識があるように見えるのは何もそれが人間に似ているからではない。それはここに登場した少女がアンドロイドをあたかも生きていて自分同様に意識のあるように見なして会話を交わしているからだ。 
 平田オリザの演劇を私が以前に「関係性の演劇」と名付けたのは平田の演劇が現代口語の会話を通じて、登場人物相互の関係性を浮かび上がらせるからで、そこで実際に生きた人間がリアルに存在するように見えるのはその関係性が現実生活において私たちが経験している関係性を反映しているためで、実際には不可視である登場人物の内面のためではない。
 逆に内面などは見えないのだからあってもなくてもいいのだ。これをもって挑発的な表現として俳優をロボットや駒のようなものと例えたのが平田の演劇論だが、このアンドロイド演劇ではもちろんアンドロイドは一種の操り人形のようなもので、内面などないことは明確だから平田が以前語っていたことの証拠としては十分であろう。つまり、私たちはいわば幻というか幽霊のようなものといっていいが、関係性の中に実際には目に見えない意識や内面を見て取るのだ。
 ところでよく考えてみるとこれは実はアンドロイドだけに該当するわけではない。この舞台に登場している俳優にも該当する。俳優についても演じている俳優は役柄の少女の内面が実際にあるわけではなく、脚本と平田の演出というプログラムに従って動いており、そこに差はない。もっとも、アフタートークで説明されたようにこのロボットは実際には舞台の裏側の俳優が遠隔操作しているので、いわばその俳優の「アバター」のようなものと考えることもでき、ますますその間には差がない。平田が現在すぐには無理だが、いずれは俳優をアンドロイドに置き換えることも可能だとしているのはそのためだ。 
 芝居の後のアフタートークでは日替わりで内容が変わるが、この日は石黒教授自身が登場しゲストと一緒にトークをした。なかでも興味深かったのは石黒教授がこのアンドロイド演劇がどのような仕掛けで行われているのか種明かししてみせるためにアンドロイドを介して、舞台の背後のどこかでそれを操っている俳優とゲストとの会話を見せたことで、ここで私たちは「俳優とゲスト」つまり、人間同士が交わしているという前提で見ているのだが、それも「そうである」という風に説明されている(そういうフレームで見ている)からそう見えるのにすぎない。しかも、俳優の表情とかは直接は見えないのだから、アンドロイドの表情からそれを読み取ることにならざるをえない。
 これはつまりは代理表象ということであり、演劇の本質も代理表象にあるということもできるから、対象に対する認知の枠組みはここでは演劇の場合も人間がアンドロイドを介してコミュニケーションを取る場合も同じだということがいえる。
さらに踏み込めば私たちが実体験において他者を認識する際はどうなのか。実はここにも差はないというのが、平田・石黒のコンビがアンドロイド演劇を通じて提示したいことではないか。通常無意識である他者に対する認識のあり方をアンドロイドと人間の俳優が同じ舞台に乗って共演するという仕掛けで可視化してみせるのがアンドロイド演劇の目的ではないかと思えてきたのだ。

中西理(なかにし・おさむ/演劇舞踊評論)

 

2014-09-29
ザガリーおばさん?ザガリーおじさん?え、何おじさん??|<KYOTO EXPERIMENT 2011 公式プログラム> ザガリー・オバザン『Your brother.Remember?』

<KYOTO EXPERIMENT 2011 公式プログラム>
ザガリー・オバザン『Your brother.Remember?』(2011年9月24日15時~@ART COMPLEX 1928)

zachary_010(変換後)
この作家について無知な私は、「ザガリーおばさん」という人なのかと思っていた。ところがチラシなどで確認してみると「ニューヨークを拠点に活躍する『ネイチャー・シアターオクラホマ』のメンバーとしても知られる、ザガリー・オバザン(1974~)のソロ・パフォーマンスが日本初登場」ということらしかった。ドキュメント性を取り扱う作家でもあるそうだ。開演時間になると、私の予想に反し、舞台には外国人男性の姿があった。これでは「ザガリーおじさんだ」などと思っていると、スクリーンには、パロディー映像に興じる少年ザガリーたちと青年(30代半ばだから壮年か)になった彼らが行き来している。

ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の『キックボクサー』(1989年公開)という映画とコナン・ル・シレール監督のカルト映画『ジャンク』の2つを元ネタにして、元ネタの映像、それらのパロディー映像としてのホームビデオ(兄弟で20年前に撮影)、さらにそのパロディー映像を同じキャストで再現した最近の映像、兄弟のドキュメント映像、そして舞台上でのザガリー・オバザンのパフォーマンスが、時に交互に時に同時に、進行していく。
つまり、「元ネタの映画」「古いパロディー映像(20年前)」「最近のパロディー映像(最近)」「兄弟の現在(最近のドキュメンタリー映像※)」「舞台のザガリー(現在)」をそれぞれ行き来する。それは元ネタと複数のパロディーの比較だけでなく、同時に「理想(?)」「遠過去」「近過去」「パロディーの裏側と時間経過の背景」「現実」と、観客は彼ら兄弟の時間経過を通じての変化をも追うことになる。
このパロディー映像がとても面白く、しょぼいホームビデオなのだが、格闘技映画『キックボクサー』を子どもがふざけてローテクで模写しようとする、(結果、無理・距離が生じる)小学生レベルのくだらなさの良さがそこにはある。そして撮影場所・小道具等を20年前の模写と統一するという方針により、「遠過去のパロディー映像(20年前)」と「近過去のパロディー映像(最近)」が比較されその差が浮き立つ。それは、彼ら兄弟の20年という時間の流れを見せられるということでもある。
 これだけで終われば、20年の時を経てもバカな遊びを共にすることが出来る微笑ましい兄弟、パロディーホームビデオの可笑しさ、ということで話は終わるのだが、差し挟まれる「ドキュメンタリー映像」の存在により、これらは別の意味を帯びてくる。俳優を目指していた兄弟だったが、弟は「今現在」観客に見せているような作品を創ることが出来る表現者となったが、兄は薬物中毒になり刑務所を出入りするようになってしまっていた。遠過去と近過去の中間は語られないが、この20年という時間。下らないパロディー映像でありながら、この2つのホームビデオを比較しつつ流す行為は極めて残酷だ。
さらに刑務所の中での生活を語る兄。刑務所でも彼は(20年前のように)下らない悪戯をしており、その内容の語り自体はバカバカしく面白いのだが、映像の中の彼が彼らが楽しげな下らない事をすればするほど、「何故、今、舞台の上には弟しかいないのか」を推し量ってしまう。舞台上の弟―ザガリー自身―の背景が浮き立ち、その存在が立体的に立ち上がって来る。
 またあまり言及はされないが映像には妹も登場する。妹はパロディー映像にもドキュメンタリー映像にも登場し、おっとりとした印象の彼女は、兄弟の過去や現在を微笑みつつ語る。兄弟と良好な関係の妹なのであろうが、兄と弟を定点観察するかのようなその存在は、まるで観客の視点を作品内に取り込んだかのようでもあった。我々も、彼女のように親愛と幾分かの複雑さを抱え今兄弟を観ている。
 それら映像が、舞台上のザガリーに集約されていく。
 映像<過去>の強い印象に対して、舞台上<現在>のザガリーのパフォーマンス(弾き語り等)が弱いのではないかと感じるが、そこは重要ではないのかもしれない。映像の中で兄弟は語る「(20年前にパロディー映像を撮り今回また撮ったから)また20年後に撮ろう」と。しかしあの薬物中毒の兄が、20年後も同じようにこういったことが出来る状態でいるのだろうか。それを考えずにはいられなくなる。今でさえ撮影中に薬物中毒の症状が出てしまっているではないか。この兄の20年後!?
 過去を見せ、比較し、それを眼前の現在に集約させた後、「未来」を考えてしまう。
 そう、映像(過去)と舞台(現在)を交錯させた結果、未だ見ぬ時間(未来)までをも射程に捉えることに成功した作品なのだ。
 「Your brother.Remember?」の「brother」を「friend」にでも置き換えれば誰にでも当てはまる普遍的なものだろう。20年前の「あの人」は、今どうしているのか、20年後はどうしているのか。その時に自分はどうなっているのか。思いを巡らせてしまう。「あの人」は20年後も健康であろうか。今と同じに笑い合える関係でいられるであろうか。誰だって考えたことがあるだろう。考えてしまうだろう。

20年後、きっとザガリーはもっとおじさんになっているだろう。名実共に「ザガリーおじさん」に。私も、もっとおじさんになっているだろう。などと思いながら会場のART COMPLEX 1928を後にすると、そこではいつものように「クレープおじさん」というクレープ屋さんがクレープを売っており、もう「何おじさん」なのかわからなくなった。私は「何おじさん」になっているのだろうか。私の友人は「何おじさん」になっているのだろうか。わからないが、おじさんになっていることは確かだろう。生きてさえいれば。

※アフタートークでのザガリーの言葉を信じるなら、このドキュメンタリー映像には演出は入っておらず、過度の編集もされていないものらしい。本稿はザガリーの言葉を信じるという前提で書く。

坂本秀夫(さかもとひでお/ライター・研究者・演劇フリーペーパー「とまる。」誌上で連載中)

 

2014-09-29
悪役の中にこそある「人間性」| KUNIO09『エンジェルス・イン・アメリカ』他

※ 作品タイトルは複数のため作中に明記
kunio_035(変換後)
 我々はなぜ芝居を観ながら「悪役」に惹かれるのだろう。思い付くことはあっても現実では許されない行為を、フィクションという安全弁付きで見せてくれる爽快さからかもしれない。そしてその行為を通じて、ある意味での「人間性」を感じさせてもくれるからではないか。
 KUNIO09『エンジェルス・イン・アメリカ』(作:トニー・クシュナー、訳:吉田美枝。演出:杉原邦生)を、休憩込9時間半の通し上演で観た(9月25日 京都芸術センター講堂)。この大作については翻訳が出版された第一部に
のみ目を通したことはあったが、上演を観たのは今回が初めてである。かつては「新劇」の専売特許であったろう社会派の現代劇を多くは二十代と思われる演劇人が取り上げ、緊張感のある舞台を創り上げたことは快挙だろう。80年代のアメリカを舞台とし、さらに膨大な情報が台詞の中に盛り込まれた作品でありながら、距離感に臆せず真正面から取り組むという気概が伝わって来た。
 第二部でリベラルなユダヤ人でゲイのルイス(松田卓三)が、新しい恋人で弁護士のジョー(澤村喜一郎)を責め立てる。ここまで反動的な判決に関わって来たのかと。相手の私生活がどうあろうと主義主張では譲らない姿からは、日本人が曖昧にしがちなものを突き付けられた思いがした。その一方天界をからめながらもアメリカ=世界のように描かれている点では、やや限界も感じたものだが。
 そしてこの舞台で圧倒的な存在を示していたのは、作者に立場が近いと思われるルイスでも、エイズから生還する主役・プライアー(田中佑弥)でもなく、実在の保守派の黒幕である弁護士ロイ・コーン(田中遊)。マッカーシーの腹心としてローゼンバーグ夫妻を処刑したことを誇るような彼は実はゲイ。だが「俺には影響力がある。だからホモとは言わない」とエイズであることを隠して闘病を続ける。受け容れ難い人物の筈なのだが、エキゾチックで苦み走った風貌の田中が、自信に満ちた態度で華麗なまでに罵倒語を散りばめた台詞を間髪入れずに繰り出す姿に、とにかく惹き付けられてしまった。出演者の中で唯一、年齢その他から来る役柄との距離を感じさせなかった。そんな彼が息子のように思っていたジョーもゲイだったと知り打ちのめされ、死に追いやった人物の幻影に悩まされながらも、最後に悪態をついて死んでいく。マクベスやリチャード三世を思わせた。
 約二週間後に、チリの亡命作家アリエル・ドーフマン作『WIDOWS~谷間の女たち』の、VOCE企画による上演を観た(水谷八也訳、山本つづみ演出。10月10日関芸スタジオ)トニー・クシュナーが「共作者」と言える役割を担った作品である。02年に劇団大阪による上演を観ているが、今回も感銘を受けた。
 軍事政権下のチリらしいが時代も場所も明確でないある村、成年男子は全て軍部に連れ去られ、女子供だけが残っている。そして老女ソフィア(末永直美)は毎日河岸に腰を下ろし、父親を、夫を、息子を待ち続けている。ある晩流れ着いた腐乱死体を彼女が「父です。埋めさせて下さい」と言い張ったことがきっかけとなって、女達全員が死を覚悟で立ち上がるのだが。
 同時代の問題を『トロイアの女たち』を思わせるギリシャ悲劇の様式を取り入れて骨太に描いた戯曲を、力強く立ち上げていた。カンパニーの主宰者である末永は目を離せない気迫に満ち、鴻池央子(関西芸術座)・演出の山本等他の女優達も実力を発揮した。
 だが唯一最大の不満は、ソフィアと並ぶ主役である隊長(元M.O.Pの岡村宏懇)。彼はまず「過去を忘れ未来へ向かおう」という被害者から見れば虫のよ過ぎる、だが体制内の人間としては精一杯の姿勢で村人に手を差し伸べる。だが女達は男達を帰してくれと主張し、一方富裕層の一員である副官(松蔵宏明)は生ぬるいと突き上げて来る。劇団大阪での清原正次の苦悩ぶりは忘れ難い。だが岡村はアイパッチに耳障りな発声と、ラストの役割から遡ってまず「悪役」として演じているようだった(実際自身のブログで「めちゃくちゃヒールな敵役」と書いている)。個人としては良心を持ち合わせた人間が拷問や虐殺を行うという複雑さが薄まってしまった。
 そして身近で親しみ易い「悪役」を現出させたのが、劇団えびふらい『太鼓たたいて笛ふいて』(作:井上ひさし、演出:井之上淳。10月13日メイシアター小ホール)。吹田の市民劇団出身の女優3人による集団がプロの応援を得た公演。井上が今年まで生きていたら何を思ったかが、伝わって来る舞台だった。
 林芙美子(西川綾子)を通して「文化人の戦争協力」を真正面から取り上げた作品で西川は柄を生かし力演、母キクの戸口基子は達者さで、島崎こま子の渡邉純子はひたむきさで支えた。だが舞台を成功させたのは、様々なメディアを渡り歩き芙美子を唆す三木を演じた坂口修一。いるだけで善人を演じてしまえる風貌の彼が、戦時中は「戦は儲かるという物語」で国民をまとめろと、朗々と歌い熱弁を振るう。そして戦後は何食わぬ顔で「新生民主日本」の宣伝に努め、芙美子が死ぬとよき理解者として追悼文を書く。個人としては人間味溢れる人物が集まって、国家を動かしていく「悪」を成立させる。そのことを実感させてくれた点では、こまつ座で演じた木場勝己以上だった。
 「お偉方」の作った「物語」を一般人が信じ込みついて行く。その「物語」の一つが「ウソッパチ」で国自体を滅ぼしかねないことが分かりながら、また別の「物語」が出て来ればすがろうとする。そういった「物語」を作ることも信じることも愚かであり、しかも自他共に傷付ける「悪」なのだ。

星野明彦(ほしの・あきひこ/)

 

2014-09-29
空間と何ものかの力|今貂子+倚羅座『而今の花』

今貂子+倚羅座『而今の花』(2011年10月23日13時公演@西陣ファクトリーGarden)

撮影:三村博史

撮影:三村博史

 今貂子+倚羅座は、2000年の結成以来、社寺、美術館、野外等の様々な場所で活動してきた。2007年からは、大正時代に建てられた五條楽園歌舞練場で、鏡板や欄干のある桟敷など独特の舞台機構を生かし、場の雰囲気を個々の身にまとうようにしながら、非常に密度の高い作品を発表し続けている。
 一方、彼女たちが2010年のアルティ・ブヨウ・フェスティバル・セレクションズに出演した時の『遊ぶ女たち』は、率直に言ってそれほどには興奮を誘うものではなかった。ろくろ首にせよ、転生の美女にせよ、登場するのはそれなりに夢幻的な存在なのだが、アルティという現代的な空間には、何だか取って付けたように見えてしまった。それら夢幻が本当の意味で出現するためには、それなりのしつらえが必要なんだろうということと、舞台上の彼女たちの存在は、やはりそこにある身体の存在を超えた、目に見える以外のものであることによって成立しているのだなと、再確認することになった。
 さて、今回は織物工場跡の西陣ファクトリーGardenが会場ということで、観に行く前から腑に落ちてはいたのだが、全く予想外だった趣向が二つある。一つは舞い手が梁に登ったこと、もう一つは囃子方の二人による手踊り。
梁というか、織機の一部でも設置されていたのか、床の張られていない二階とでもいうような造りになっている。一人の舞い手が地面を離れることで、いともたやすく鮮やかに、彼女たちがこの世のものではないことが、改めて明らかになった。しかもそれは必然であるよりは、偶々の悪戯のように露わにされた秘密であった。
 悪戯、戯れ。……三味線を抱えていた二人がすっと現れたかと思うと、左右に分かれて向き合い、手踊りのように戯れ始めた時には、ポンと異空に飛んでしまったような浮遊感に襲われた。それは逸脱でも侵犯でも、ましてや素人芸の微笑ましさというものでもなく、大げさではなく、異次元の立ち現われのようだった。舞踏の身体と空間ばかりを注視していた意識に、するりと間隙を見つけて貫入してきた、音楽を司る者たちの身体の新鮮さ。
 その新鮮さを浴び、受け入れることによって、半裸と着衣の二度にわたる今貂子のソロが、ひときわ濃密で鮮やかな色彩を帯びたのは、舞い手と観客双方の感覚が鋭敏に研ぎ澄まされたからだろう。そのソロがものすさまじいのは、ただ憑依だとかいって外部から訪れるものに身を委ねるのではなく、内部からのほとばしりが何者かを摑まえて体内に引き込んだ果ての現われのようだからだ。
 今のソロのみならず彼女たちの舞踏が、近年急速に充実の度を高めているのは、五條楽園という場との出会いによるに違いなく、西陣ファクトリーGardenとの出会いも、また大いに力となるに違いない。彼女たちの舞踏が、サイトスペシフィックというのとはまた別の方向で特有な空気を持った場を必要とするのは、その場から現われる何ものかとの出会いこそが、それを本当の意味で成立させるからに違いない。

上念省三(じょうねん・しょうぞう/ダンス批評)演劇、宝塚歌劇、ダンス批評。「ダンスの時間プロジェクト」代表。神戸学院大学、近畿大学非常勤講師(芸術文化特別講義、舞台芸術論、等)。http://homepage3.nifty.com/kansai-dnp/

 

2014-07-22
岡田利規の演劇実験の位置|あうるすぽっとプロデュース『家電のように解り合えない』

あうるすぽっとプロデュース『家電のように解り合えない』(9月25日 あうるすぽっと マチネ)

撮影:青木司

撮影:青木司


 人間関係の理解を疑い客体化して問いかけた作品が、フェスティバル/トーキョー11参加作品の『家電のように解り合えない』である(作・演出=岡田利規)。電化製品にまつわる詩集『風姿家電』を出版した城之内小百合子が自作の詩を暗誦する傍らに、ダンサー・森山開次が動き回る。空間には、朗読テーマであるカラフルな掃除機や冷蔵庫が雑然と並ぶ。最後には、中央にある機器から泡が吹き出るなど、舞台表象はシュール。だが内容は、ダンサーと俳優は分かり合えるのか、さらには両者が融合し第三項の世界を出来させることはできるのかが〈分かりやすく〉問われており、決して難しくはない。

 そのことを象徴するのは、森山開次のダンスを見ながら小百合子1が冷たく突き放すシーンである。森山は家電を表象したダンスを踊っているのかもしれないし、はたまた全然別の意図で動いていたのかもしれない。しかし、小百合子1は「私は、感性が貧しい人間だから、解らないわ」とそっけない。その時、森山のダンスを理解しようとしていた思考が停止する。そして、このダンスは意味不明なものであり分からなくていいのだ、という安心感を観客は得る。もうひとつ別のシーン、人物AとBが互いに分かり合っているとして、それを見るCにはそのことが伝わっていると言えるだろうか、という箇所。その際、舞台後半で同一人物であることが判明する小百合子1と2は、とても日常では見かけないような奇妙な動きで、仲の良さを表現する。その後「……このように解り合ってます」と言い放つ。こういったシーンの積み重ねが、人と人は分かり合えないかもしれないが、その努力を惜しんではいけないというメッセージへとつながる。最後は「解り合えるとか解り合えないとかの問題は、ここ(筆者注・劇場)を出てから始まるのです」と、観客に問題提起して幕が閉じられる。

 岡田利規の作品は、『わたしたちは無傷な別人であるか?』(2010年)以降、直截的なメッセージを強く打ち出すようになってきた。今作においては、不断の努力が必要という、当たり前すぎる結論を観客に投げかける。それ自体、もっともすぎる意見であるため、納得するしかないし反論の余地はない。テーマ主義的に見れば非常に〈分かりやすい〉のである。このテーマは、岡田利規-森山開次、森山開次-安藤真理&青柳いずみ、そして作品-観客と何重にも入れ子になって作品に通定している。

だが、ここにひとつの罠がある。作品テーマは分かりやすいと我々が判断したとして、果たして本当にそれで作品を分かったことになるのか、どこまで行けば本当に分かることになるのだろうか、というのがそれだ。それを考え始めると答えの出ない迷路へ入り込んでしまう。「分かり合うとは何か」が支柱である以上、作品を肯定するにしても否定するにしても反対意見が頭をもたげる。いわば作品の中に、両論が既に併記されているのだ。私たちにできることは、ロジックゲームに参加することだけ。その果てに、分かり合うための努力が必要だというラストメッセージに再度納得させられてしまう。そう、この作品は演劇構造の異化を行い、観客を覚醒させて思考を促すもののように思われるが、その実、答えはあらかじめ用意されている。そのため、観客が入り込む余地はない。既に作品内で自己完結しているのだ。つまり、岡田利規という神の視点が明確にあり、その手の内から外へと思考を広げることはできない構造になっているのである。

 先ほど触れた努力というテーゼは、俳優が森山開次のようにしなやかに踊ることはできるのか、という実験の場で表れたものである。森山が振り付けたダンスを音楽にのせて二人の女優が踊る。しかし、身体の硬い二人の動きは、森山の意図したイメージとズレてしまう。たまらず森山が手本を見せる。それに合わせて二人も踊るのだが、余計に違いが際立ってしまう。そのあまりの違いには笑わせられる。技術向上の努力さえがあれば、ダンス下手な俳優でもダンサーのように踊ることは可能か、という問いがここには孕んでいる。
 見落としてはならないのは、私たちはこの時「3人のダンス」を見ているということである。俳優がダンサーの踊りになるにはどうすればいいのか、その可能性と不可能性は、確かに人と人とがいかにして分かり合えるかという作品テーマに沿ったものではある。しかし、その前段までのこと、すなわち発語する俳優の周りを森山が踊っているという状況においての分かり合える/合えないという問題が捨象されている。3人がダンスというひとつの要素に向うことよりも、「2人の俳優+ダンサー」の相互理解を探ることの方が、隔絶が大きい分だけ困難だ。本当に追求されるべきなのはこの点ではないだろうか。

ダンサーと俳優の共同創作という問題は、例えば地点が山田せつ子と安部聡子の組み合わせで断続的に行っている(直近では2011年8月31日~9月4日までシアタートラムで公演された『トラディシオン/トライゾン』)。俳優とダンサーが競演した場合、俳優の語りにどうしても意識が向いてしまう。本作でいえば、冷蔵庫なら冷蔵庫の詩を語る俳優の言葉と内容に、観客の意識が集中してしまう。ダンスはその時、ほとんど風景と同一のものとなる。それを回避し、ダンスに注視させる方法としては、俳優もダンスを踊ることは有効だ。しかし、それは軸足がダンスに移り焦点が1つになったためである。そのことはつまり、俳優とダンサー両者の融合は、どちらかのフィールドに限定することでしか実現しないということを示しはしまいか。そういう意味で件のダンスシーンは、テーマを体現してはいるが演劇の重要な点が後景に追いやられている。

 さらに言うと、俳優とダンサーの不合一ということは、岡田利規が理想としてきたものではなかったか。思えば『三月の5日間』でチェルフィッチュが注目されたことのひとつが、だらだらとしたノイジーな身体と超現代口語であった。岡田は2005年7月号の『ユリイカ』で、俳優から出力された身振りと言語(声)はバラバラであることが良いと述べていた(「演劇/演技の、ズレている/ズレていない、について」)。俳優は往々にして台詞を発語する際、声と身振りが一対となっている。それは、台詞にふさわしい声と身振りを言語解釈の過程で探るからである。それは、上位概念に据えられた台詞に、声と身振りが奉仕しているに過ぎない。だが、日常生活において、我々は言葉と身振りがピタリと合った喋り方を必ずしも行っているわけではない。そこから岡田は、言葉と身振りが発生する源泉を台詞の意味内容ではなく、様々な要素が貯蔵されている〈イメージ〉を措定する。そこから取り出された言語と身振りは対にはなっていないが、イメージを共有しているために同じベクトルである。しかし、両者はピタリと対応していないために距離が生まれる。距離は生まれるがどこかでつながっている声=言語と身振り。そのアンバランスな両者を俳優が体現することで、一つの意味に収斂され得ない、ふり幅のある身体の多様性を表出することができる。岡田が先のエッセイで記していた大筋はこのようなものであった。

それを踏まえると、岡田はダンサーと俳優の融合にまつわる試行を、個々の俳優で既に実験していたのである。今作の終盤、登場する二人の女性は一人の詩人だったことが示される。人と人が分かり合うこと、それを客体化できるのかという問題は、自分は自分を本当に知り尽くしているのか、という自身の問いへと最終的に敷衍する。そしてこのことは、他者を知ること、自分を知ることが不可能だとしても、それでも不断に分かるための努力を行うことが重要という、本作が持つテーマへと接続される。作品内容に関しては、極めて賢く創られている。しかし、岡田利規の演劇実験は、未だ『三月の5日間』で見出した地平の上にあるのではないかと思わされた。

藤原央登(ふじわら・ひさと/劇評ブログ『現在形の批評』主宰・[第三次]『シアターアーツ』編集部)

 

2014-07-22
再生の祈りをこめて|いわき総合高校演劇部『Final Fantasy for Ⅺ.Ⅲ.MMⅪ』

いわき総合高校演劇部『Final Fantasy for Ⅺ.Ⅲ.MMⅪ』(2011年10月10日@Art Theatre dB神戸)

撮影:清水敏洋

撮影:清水敏洋

 福島県立いわき総合高校総合学科にはカリキュラムの一環として芸術・表現系列(演劇)がある。五反田団の前田司郎やままごとの柴幸男、東京デスロックの多田淳之介など東京の若手演出家がワークショップや作品創作を行うことでも近年話題になっている。今回、神戸・新長田で上演した演劇部は、その中でもさらに演劇に取り組みたい学生が放課後に行う課外活動だ。

 高校演劇がいわゆる一般的な演劇と違うのは、劇を創作するチームであると同時に、普段は一緒に勉強するクラスメイトでもあることだ。テストの成績に一喜一憂することもあれば、居残りで掃除をさせられることもあるかもしれない。隣のクラスの誰それが好きという恋バナで盛り上がることもあるだろう。ともあれ、そんな生活の延長にクラブ活動としての劇がある。その姿勢が時にプロの俳優さえも凌駕するような瞬間を持つのは、劇世界の役を越えたところで、高校生の実直さやエネルギーがストレートに舞台に表れるからだろう。

 しかし、生活そのものがいっぺんに変わってしまったとしたら。生活に寄り添っていた演劇はどう変わってしまうのか。

 3.11以降、「演劇は被災地に何ができるか」というテーゼが繰り返される。チャリティーという形で直接的な手助けを模索する者、「自主規制」というムードに声高に抵抗する者、その距離の取り方は様々だ。しかし、生活と隣り合わせの現場で演劇を創作する福島県立いわき総合高校は、被災したことによって、自分たちの演劇そのものを変えなくてはいけなかった。変わらざるを得なくなった演劇で、彼らはどのように刻々と移りゆく現実に向かいあうのか。今思えば、私の関心はそこにあったように思う。

 舞台は、被災後の高校の教室。女子高生のひろこは、津波で友人のきりかを亡くした。助けることのできなかった自分に負い目を感じているひろこには、亡くなったはずのきりかが見える。お弁当箱に入ったプチトマトをきりかに食べろと言われるひろこ。ひろこはプチトマトが嫌いらしい。そこに良輔、崇太、泰規ら三人の男子高生が登場。テンポよく畳みかけられるセリフの応酬は、教室の楽しげな雰囲気をそのまま表しているようだ。彼らは、危険構造物の指定を受けた北校舎に、「復活の呪文」があるという情報を聞き、ひろことともに足を踏み入れる。『Final Fantasy』というタイトルが示すように、テレビゲームの世界よろしく、ホアン保安院と名乗る女三人組、元東電社長、ゲンシーロや原子力を推進するフランス大統領がモンスターとして登場する。

 この筋書きを今時の高校生が紡いだ二次元の産物と受け取ることはできない。彼らの身の周りで起こっている事は、嘘のような本当の出来事である。いわき総合高校は、東京電力福島第一原発から約45kmの距離にある。東日本大震災で北校舎は危険構造物となり使用できなくなった。警戒区域内に自宅のあった出演メンバーもおり、引越しを余議なくされたという。高校の文化祭はこの震災で中止になった。風評被害の影響もあり、心ないデマのせいで「好きになった人と結婚できないかも」という不安を抱える高校生もいたらしい。いわきの高校生は、演劇の力を借りながら、そんな非日常に自分たちの身体と言葉で抗おうとする。

 例えば、原子炉を戯画化したゲンシーロと呼ばれるモンスターに立ち向かうときだ。放水作業もままならず、ゲンシーロへの対処法が分からない男子高生は、ふとした弾みに「寒いギャグ」を言えば、モンスターが冷却されることに気づく。布団がフットンだ、校長絶好調というギャグに続き、ゲンシーロ、いいかゲンにシーロとギャグを繰り出しモンスターを追い詰める。ユーモアを交えた馬鹿馬鹿しい場面だが、ギャグをいう高校生の表情は真剣そのものである。心底いい加減にしてほしい現実。「君たちに未来はない」と言い放つモンスター。この場面だけでない、元東電社長やフランスの大統領に立ち向かう高校生が見せる素顔には、虚構のストーリーを借りながらも、どこへぶつければよいか分からない怒りがはっきりと表れていた。

 鋭い社会諷刺が行われているわけではない。それでもこの作品が意義深いのは、震災によって失われた物を、彼らが必死に取り返そうとしていたからだ。復活させようとするのは、実際に中止になってしまった「俺たちの文化祭」である。ひろこが回想するきりかとの思い出も、これまでの何気ない日々に支えられている。たわいもない口喧嘩や一緒に埋めたタイムカプセル、片耳ずつイヤホンをしながら流行りの曲を聴いて、お弁当を食べた日。彼らが本当に求めているのは、メディアが連日報道している責任の所在ではなく、これまでの当たり前の日常だ。カードゲームの力を借りながら、必殺技コマンド「国民の思い」でラストボスを退治する高校生たちは「俺たちの文化祭」を取り戻す。劇の役を越えて、文化祭でできなかったプロレスをする男子高校生の姿は、本当に奪われた日常を楽しんでいるようで胸を打たれた。

 もっとも、虚構のモンスターを倒したところで本質的な解決にはならないだろう。幕切れ、きりかとの別れを悲しむひろこの慟哭は、まだ十分に受け入れることのできない多くの被災者の思いを体現しているようだった。戻りたくても戻れない現実は大きくのしかかる。けれども、高校生は自分たちの体験を拠り所にしながら、一心に再生の願いを舞台上に発露する。

 その願いは決してリアリティのないものではない。カーテンコールで涙ぐむいわきの高校生。この公演が終われば、すぐ夜行バスで福島に戻り、普段の授業を受けるらしい。怒りを鎮めることも、静かに鎮魂することもままならない中、現実においても劇世界においても彼らは日常を取り戻そうと奮起する。生活と隣り合わせの演劇だからこそ、物語は説得力を持った。

 終演後歩いた新長田には鉄人28号が聳えたち、多くの親子連れでにぎわっていた。阪神大震災から16年かけてこの街も復興をした。演劇は即座に人命を救助するようなものではないし、その効果がいつ現れるかは分からない。しかし、10年、20年先の未来へむけて、いわき総合高校の上演はこの先の長い指針となる意義のある作品だった。

(須川渡・すがわわたる/大阪大学大学院文学研究科博士後期課程)

 

2014-07-22
別の演技は、観客と別の関係を結びうるのか|ルネ・ポレシュ作・演出『無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部』

ルネ・ポレシュ作・演出『無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部』(9月24日@豊洲公演西側横 野外特設会場)

(C)片岡陽太

(C)片岡陽太

はじめに
 エントランスを通り抜けると、客席の前方と左右はつうつうで、今そこを抜けてきたばかりの光景が開けている。むき出しの埋め立て地には、手前から奥へスクリーン、数台の車、小さな舞台や広告塔らしきセットがまばらに置かれ、その背後には都心のビル群。この虚実の境目が曖昧な映画都市に、観客は隠れるところなく身を置き、同じ空間で都市の論理に曝され行為する人々を追うことになる。従来の鑑賞の枠組みを揺さぶろうという作品の狙いは明らかだ。同様の野心を持つ作品は、すでに現代演劇には溢れかえっているように思われる。一方で、作品への観客の関わり方は、それに伴い多様化しているとは言い難い。むしろごく最近でさえ、他のカルチュラルグッズと同様の一種の消費の形態へと方向付けられてきたのではあるまいか。ならばそもそも私たちは、なぜ劇場へ、祭りへ足を運ぶのだろう。このような疑問をより大きな問題系の中でつきつけてくるのが、本作である。

1) 俳優による俳優の俳優のための演劇 
 まずは導入部に基本の設定を見ておこう。冒頭では前触れもなく、セットの一部である軽自動車とトレーラーが走りだし、上手側からパトカーが出動する。カーチェイスが始まるのかと思いきや、手狭な広場でぐるぐる回るどれがどれを追っているのかは判然としない。次いで登場する女優帽を被った女は、「ここ」はローマの由緒ある映画撮影所で、自分は映画を撮るために来たのだが、誰もいないし、セットや道具やあれやこれやが「ない」とふれて回る。この設定に合点がいったところで、別の女優とおぼしき女が登場して混ぜ返す。「ここ」で行われるのは演劇のはず、なのに回り舞台が「ない」ではないか、と。二人ともないものばかりを論うのはなぜなのか? 映画なのか演劇なのか? うやむやのまま他の俳優も加わり、話題はいずれであれ彼らに共通する関心、つまり「何を演じるか」へなだれ込んでゆく。そこでもまた、これこれの人物をやるには同様の外見上の特徴がないだの、復興劇をやるには歴史的衣装が要るだの難癖をつけ合い、ならばと別の人物や俳優が次々呼び出され・・・という交代劇がひとくさり。この間、車の中からカメラが俳優たちの姿を追いかけ、その様子は字幕と兼用のスクリーン上にライブ中継されるようになっている。

 総合すると『無防備都市』は、様々な役に挑戦する俳優(たまに監督やスタッフ)に扮する出演者たちが、カメラの目と観客の目の間を行き来して、演技とそれをめぐる考察をライブで披露する作品となる。つまり、プロの俳優たちが、自らが当事者である問題について、注釈を交えて実演するという趣向だ。同時にここまでで呑み込めたのは、作中、彼らの演じているもの—人物像、場面設定、アンサンブルにおける役割など—が、めまぐるしく変化するということ。次第にパターンとして認識されてゆくのだが、本作には、演じる者/演じられる役の関係を流動化する契機がこれでもかと埋め込まれている。

 例えば、冒頭のトムとジェリー風追いかけっこは、続けざまに女優と撮影機材との間でも繰り返されている。マイクを掲げて必死についてくる音声係をさんざん振り回しつつ、女優は言い放つ。「マイクはどこよ? ないと声が枯れる!」他愛もない場面のようだが、このような二つ巴、三つ巴の関係は、周到に組まれ随所に盛り込まれている。そうして生じる立場の反転や、場合によると権力関係の転倒は、一貫して作品を滑稽な調子で彩ってくれてもいる。

 俳優たちはまた、一作品の中では類をみないほど演じる役を取り替えるが、それは第一の女優が説明したように、ここが映画の撮影所だからである。この大枠の中で、ロッセリーニの伝説的三部作やドイツの有名なテレビシリーズ『赤い土』などの場面が次々と転用され、さらに個々の現場でも設定や役割が変わってゆく。例えば、とある撮影現場では、決定を下す監督役がいない、必要だということになり、男性の一人がカチンコを持たされるが、いざ撮影が始まると次の台詞を言う役を演じる者が足りないことが判明し、慌ててその役を引き受けさせられたりする。映画の撮影現場らしく、これら頻繁な場面のカットとスタートの間に意味や感情面でのつながりはないが、そのことにより本作は、映画俳優の仕事の要所を切り取り、かつ不連続な事象から物語をねつ造するという、後に批判される歴史の実態を暴露してもいる。

 このような映画の特性は、第二の女優が持ち出してきた演劇との対置によっても際立たせられる。例えば目の前では通しで演じられているにもかかわらず、スクリーン上では断片化する俳優たちの演技は、映画と演劇を、対照的な産業形態、競合するメディアとして印象づけるし、そこには実演モードと注釈モードの切り替えによって明示される、演じられた虚構/演じている現実といった含意も重ねられるだろう。そして、この映画と演劇という枠組みのとり方によっても、俳優たちの行っていることの意味合いは変わってくる。

 以上のように、本作の主題である「演じる」という行為は、不断に切り替えられる場面や枠組みなど、大小複数の設定の中に置かれている。したがって、「ここ」がどこで、「彼/彼女」らが何を演じるのかといったことがしばしば話題にされるものの、それが一つに定まることはない。むしろ俳優たちの演技は、固定した人物の行為や内面に統合されないマルチタスクに分節され、それを希有なやり方で遂行する身体には、設定ごとに異なる緊張関係を結ぶ意味が引き寄せられてゆく。本作を牽引するのは、このような複雑な論理の絡み合う演技のダイナミクスに他ならない。

2)映画都市の現実 〜プレカリアートか自由業か〜  
 上記のような演技を追う中で、浮かび上がってくる問題系に目を向けてみよう。先に触れたように、映画都市では映画俳優たちの演技の、仕事としての側面が切り取られており、併せて「演じる」ということをめぐっては、労働やビジネスの観点から、多くの問題が提出されている。実のところ、高速で吐き出されるテクストには、スペクタクル産業の実態と批判理論を参照する、追い切れないほどの注釈が含まれているのだが、その矛先はおおかた歴史と資本主義へと向けられているようだ。数分に一度は訴えられる「ない」の意味合いはそれぞれ多義的に読めるが、並べてみるとそのことは一目瞭然。カメラ、マイクなどの機材、水、電力、シャワーの湯といったライフライン、そして歴史的風景、歴史的衣装、歴史的身体、歴史的・・・。確かに映画は、行為する者とそれを見る者がいれば成立するとされる演劇とは対極に、必要とする資本も生み出す資本も規模が大きい。かつそれは、勝者の物語としての歴史をねつ造し、さらに既存の歴史から権威を得て物語を強化・再生産する産業とも言える。このように、俳優たちが自分たちの労働環境として提示しているのは、すでにそれぞれ矛盾や欺瞞を孕んだ二つの生産システムが、手を組んで近代に肥大した権力機構だということになる。

 そこで俳優たちは、システムの要求に従って「ただ機能する」にすぎないが、その際執拗に求められるのは、一つには、「ホーキング博士といえば鼻のニキビ」といった類の、あてがわれる人物像と合致する外見上の特徴であり、もう一つは、「歴史的身体」が備えるようなカリスマ的権威や魅力である。このような力がないと訴えるたび、俳優たちは、複製技術の台頭と連動して変質した礼拝価値を呼び出して、自身と自身が従事する映画に商品価値を与えようとしているかのようだ。いずれにせよ、役を選ぶ権利もなく、与えられた役を内面化するいとまもなく、あちこちの現場を渡り歩く俳優にとって、まさに資本は身体だけなのであり、そこで機能しようとすると、身体を個々の設定に従わせて断片化するほかない。つまり、プレカリアートが生産者として主体的に自らの商品価値を上げようとすると、自らの身体を客体化して搾取することになり、そうした果てに彼らが達成するのは、資本によってねつ造される物語に、真正性と権威を粉飾する仕事となる。つまり、機能するほどにそれと知らず非人間的なシステムの増強に貢献するという矛盾に陥るのだ。こう考えてくると、本作で再現を試みられるネオレアリズモのヒューマンドラマなど、レジスタンスもまた、この機構に飲み込まれてしまうという、映画都市における矛盾の最たる例である。終盤で連呼される、「ロッセリーニは、子供たちが命を大事にできるようにこの映画を作ったのよ」は皮肉に響く。

3)プレイとロールプレイあるいはタスクのあいだ
 以上のように、この都市の末端労働者としての俳優を取り巻く状況は苛酷である。一方で、彼らは矛盾を身をもって指し示すにとどまらず、同時並行で、ダブルバインドの状況を生き延びる術のようなものも実践しているように思われる。それは、このスペクタクル産業において機能することを、あらゆる場面で拒否すること、さらに目的主義、完璧主義そのものを無化することによってなされる。

 映画撮影所という枠組みの中で再現される映画が、歴史性やポピュラリティといった権威を帯びたすぐれた商品であることは、すでに述べた。その筆頭である『無防備都市』は、映画史に名を残し、今日テレビドラマにいたるまで支配的となった演技の規範を確立した。さらにそれらに共通するのが、全体主義や戦争、貧困などの支配下にある市民の抵抗という、高貴な主題である。これにより当然として目的化される忠実な再現なるものを、ポレシュの俳優たちは、こぞって未完に終わらせる。そのためには、まず端的に失敗してみせるというやり方がある。例えば、台詞につまってプロンプターの助けを借りてみたり、父親の死というドラマの頂点で吹き出してしまったり。そこだけ見れば、一見名作を茶化したパロディだが、本作においては個々の場面を早々にご破算にする一連のアクションの一つに過ぎない。あるいは、目的を全うするために必要となるものがないことをいち早く見つけ出し、完成が不可能であることを指摘するというやり方もある。こちらはその都度の設定を誰の責でもなく中断する契機となり、同時に完璧主義も無化する有効な戦略となる。というのは、個々の身体的な特徴がなにかしら欠けていると言っては演じる人物像が繰り返し取り替えられる時、その果てにはすべての特徴を満たす身体などあり得ない、つまり規範的な目的設定のほうに無理があることが露わになるからだ。こうして設定の更新が短いスパンで繰り返されると、俳優の演技は開始と同時に次の中断が予期されるような、運動の終点/目的を持たぬ自律性を備えた遊戯の様相を呈する。実際の俳優たちの演技に目をこらしてみると、ドラマ演劇におけるような没入型とは異なり、いついかなる時も中断でき、別の設定を接続することができる距離を保った、ごっこ遊びに近いものに見えてくる。このとき俳優は、うまく機能しようとする主体というよりは自動的な遊戯運動を持続させようとする主体として観察され、ならば消費、評価、読解などの対象となる「見せる」、「表現する」主体とはみなしえない。ここには、客体を生じ自分が主であることを維持しようとする主体のあり方に対し、別の関係を生み出す可能性が見いだされるのではないだろうか。

おわりに
 以上のように、このポスト・ドラマ演劇的なもろもろの手法は、権力機構の内部で機能することを、演劇ならでわの手法で拒否することへと明確に方向づけられている。『無防備映画都市』において、観客に差し出されているのは、欠損のある商品、読解の不可能なテクスト、対象化しえない俳優の存在である。

 したがって鑑賞者は、目の前の俳優たちの翻弄される身体から彼らが指摘する問題をたとえ「読みとった」としても、それを傍観するだけでは終わりとならない。ここに示されたスペクタクル産業の構造を敷衍すると、同様のシステムの一端に、作品や俳優という商品に向き合う自らの役割がまずは自覚されるからだ。それは特に、2000年以降の日本の文化シーンで、選択し消費する主体としての自己実現に方向付けられ、そのことに気づいていない観客には、反省の端緒となるかも知れない。翻って、そこには消費に対する抵抗として奨励されてきた、読解というかたちの観客の能動性に含まれる非対称性の問題も提出されているように思われる。何より、目の前の俳優たちが遊戯者として認識されるのなら、私たちは当事者に対し鋭く区別される傍観者ではない。俳優が興じる遊びのしくみ、ルール、タスクを徐々に手にしてゆくとき、さらに単に読んで理解するだけでなく、また考えるだけでもなく、そこに自分でも実践し得る知恵を見いだしてゆくとき、観客は、観察し、遊びのルールを共有し、見守る共遊戯者、さらにその先へとパースペクティブをたえずシフトさせてゆくのではないだろうか。

古後奈緒子(こご・なおこ/ダンス批評)

 

2014-06-23
ポストゼロ年代演劇と東日本大震災

ポストゼロ年代演劇と東日本大震災

 国際演劇評論家協会日本センター(AICT)の関西支部の演劇批評誌「act」のリニューアルにあたり、今回以降ビビッドな題材を取り上げてインタビューないし座談会を掲載することにしました。今回はその第1回として「ポストゼロ年代演劇と東日本大震災」を総合テーマに関西で今もっとも旬だと私が考えている3人の若手アーティスト(きたまり、杉原邦生、山崎彬)に集まってもらうことにしました。

 中西理(以下中西) 2010年前後にそれまでここ十数年、日本の現代演劇をけん引してきた平田オリザの現代口語演劇の流れとは明らかに違うスペクタクルで祝祭的な演劇を特徴とする若手演劇作家が相次ぎ登場しました。ままごとの柴幸男、柿喰う客の中屋敷法仁、快快らがそうなのですが、これをポストゼロ年代演劇と呼び、現代演劇における新たな潮流として注目していました。

 3月11日に東日本大震災が起こって、ポストゼロ年代の演劇がどのように変わるのかに今もっとも興味を持っています。作品のあり方にどういう形にせよ影響が出ざるをえないと思うからです。例えば阪神大震災の時はちょうどその年(1995年)に鴻上尚史と平田オリザが岸田戯曲賞を同時受賞しているのですが、鴻上に代表されるそれまで主流だったポストモダン的なものが急速に後退していき、平田オリザに代表される現代口語演劇が台頭してくる。その大きなきっかけが震災とオウム事件だったように思うからです。

 山崎彬(以下山崎) 関西にいましたからテレビとかでしか分からないし、あれ以降東京へも行ってないので、話とかを東京の演劇の友人から聞いたぐらいしか正直分からないです。前回の公演作品を書き始めたのも震災の後からでしたが、大きな影響があったかというとそれに対してはあまりなかった。でも確かにあの直後は気分は落ち込みました。でも関西では東京などであったらしい「この時期に公演やってどうなのか」という声もとどかなかった。まだ、自分としてはようやく今じわじわと実感してきたぐらいなんです。  

 中西 チャリティーイベントとかに参加したことは?

 山崎 余っているTシャツとかを提供したぐらいでイベントにっていうのはありませんでした。

 きたまり(以下きた) 難しいんですよ。ダンスとかは現地に行ってワークショップをはじめてるじゃないですか。それの募集もあったりして。だけど、中途半端になにかやるのはよくない気がして、募集が来ても「そこには登録できないな」と思ってしまう。中途半端に元気づけようとワークショップしてもしょうがないじゃないですか。どういうスタンスで私はなにをできるんだろうと考えています。  

 中西 きたまりさんもこの間公演(KIKIKIKIKIKI「ボク」)を行ったけどどうでしたか?

 きた 本当に難しいんですよ。地震の日以降、地震があった時に私たちが一番最初に思い出すのは阪神大震災の時のことなんです。地震あった直後、私やたら人と阪神の話をしゃべったんですよ。やはり、ああいう光景があったから。そして、そこからどうにかして今回の地震とつながりをつけようとしたんですよね。ただ、やはり当事者じゃないとこの問題は絶対に分からない。揺れを体験してるかしてないかで全然違うし、それは体感だから揺れただけであのことを思い出すんです。そういう体験をしてるかしてないかで全然違うし、身内が亡くなっているか、いないか。知ってる人に被災者がいたかどうかで全然違う。私は今回の地震はそういう意味ではなにもいえないと思っているんです。本当になにもなかったですから。

 ただ、私はちょっと暗い作品は作れないなと今回思いました。この前ダンスボックス*2でチャリティーとかもあったけれどあそこもなにをしようかとすごい悩んだんですよ。7分の中でチャリティーで収益全部を被災地に持っていくのでなにかしてくださいと言われた時になにをしたらいいのかを。
    

 その時に暗いことだけはできないなと思った。それで今回もすごくそれはあったかもしれないです。次の作品もまず暗いことはできないですよね。なにかこうどうせみな死ぬんだけど、なにをしていても、それでも生きているということをちゃんと確かめるようなことをしたい。舞台を作るうえでそれしかできないなって。だから無理やり私が今回の地震について発言しようとしたらいけないと思う
。重みが違う。でも、杉本君は実際に揺れを体験したじゃない……。

 杉原邦生(以下杉原) そう、神奈川県の実家にいてシャワーを浴びてたんです。本当は僕は仕事で名古屋に行く予定だったんですけど、その日には行けなくなってしまいました。実家が海から500mしか離れていないから、避難も経験しました。ただその後は次の日に名古屋に行ってすぐに京都に帰ってきてしまったから、計画停電がはじまったとか、原発がやばいとかっていうときは実際にはあっちにはいませんでした。

 3月末ぐらいに実家に再び帰ったんですが、帰るまで不安でしょうがなかった。向こうはどうなってるんだろうかということに対して京都では全然実感がなかったからです。帰って逆に友達に会ったり、家族に会ったりして安心して、そこでやっと俺は落ち着いたような感じがあった。僕の身内とかには亡くなった人はいなかったですけど、皆あっちだからコンビニにものがないとか、停電がどうとかいろいろあって、で、京都に帰った時に京都は(地震の影響が)なにもないなあと。そういう感じがあった。別にそれが悪いということじゃないです。僕も阪神大震災が起こった時にやはり遠くの出来事だったし、海外の大きな地震やあるいは9・11が起こった時も遠い出来事に感じた。

 それによってなにかを感じてはいるけど、遠くで起こっている出来事でしかない。それはそれで全然いい。というかそれがむしろまっとう。素直な意見だと思う。でも、僕は東京にも行ってるから、こちらだけにいた人とは少し感じが違うかもしれない。3月の末に帰った時に舞台を見に行ったんですけど、その時もみんなこの公演をなぜやるかということをたまたまNODA・MAPで野田秀樹さんがカーテンコールでしゃべったり、平田オリザさんの公演ではオリザさんが前説をしたり、1枚の紙で説明が入っていたりということが実際にあった。それをやっていない劇団は逆に見てると怖いなというのがあって、やってくれるとどういうつもりでやっているのかが、こっちに伝わってなんとなく安心できた。だから、僕はその時たまたま公演がなかったんだけれどそういう状況を体験したなかで自分はなにをやれるかというのは考えた。何をやるかを考えた時にそれを自分でどう出すかを考えて作品を作っても仕方ないので、そういう中で自分がやりたいことをどうやってやっていくかを考えた時にシンプルに考えてやるしかないなと思っている。先ほど(きたまりが)暗い作品作れないと言っていたけど、僕はなにかさっきの話じゃないけれど、演劇界全体がどういう方向に進んでいくのかは分からないし、どうでもいいんです。ただ、僕はそこにいままでやってきたことも含めて祝祭性のようなものに回帰していくんじゃないかと自分で個人的には思っています。

 震災が起きた後に観客だったから、社会なりお客さんが何をあなたたちはするのというのを見られたりしている気がした。というか僕がそういう風に見てしまったから、自分ならどうやるかと考えた時にそこを一番感じた。

 中西 それは確かにあるかもしれない。今回すごく感じたのは別に作品のテーマが震災と関係なくても見る際にどうしても無意識に関連づけてみてしまうことでした。ところで、杉原さんは「GroundP」の企画で東京の劇団を呼ぶから彼らとも話したりすると思うのですが。

 杉原 会った奴らとはかならずその話になる。ただ、呼ぶ際には電話だったり、メールだったりするので、あまりそういう話はしてないんです。 

 中西 いきなり震災の話から入ったので相前後するようだけど次に3人の関係を聞きたいと思います。杉原さんときたまりさんはどちらも京都造形芸術大学でしたよね。お互いのことはいつから知ってました?

 杉原 僕は大学に入った時は(その前には)なにもやっていなかったから、別にきたまりがその前に何やっていたかとかまったく知らないし、新入生として知ってただけだった。

 中西 お互いの舞台を見たことは?

 きた 私、相当見てないんだよね。

 杉原 俺はたぶん一番最初にやった「女の子と男の子」から見ていると思う。

 きた 私何から見たんだったったかなあ。春秋座は見た。

 杉原 あれ、俺たぶん初演出だよ。

 中西 山崎さんは立命館大学の学生劇団、西一風の出身。西一風出身者は京都の若手演劇人に多くて、ある意味京都造形大学と2大勢力みたいになっています。山崎さんときたまりはこの京都芸術センターできたまりが企画したトークセッションが最初だったんですよね。

 山崎 その時点では見てはなかったけれど名前は知っていましたKIKIKIKIKIのことも。ウェブのインタビューとかも読んでいたし。会うとよくしゃべる楽しい人だなと思いました。

 中西 でもその後は劇団の公演に客演してもらったり、ひとり芝居の演出をしたり、この前は逆に山崎さんがきたまりの舞台に出演したりと深い関係でしたよね。

 山崎 深い関係ね(笑い)。ずっと一緒だった1年間がやっと終りましたね。

 きた もうしばらく会うことはありませんねという感じですが。

 山崎 僕も(きたまりの)作品は見てないのですが、基本的には表現がどうのというよりは話していて面白い人とやりたいと思っているたちなので、話しましょうよという打ち合わせの時に僕もきたまりさんを呼ぼうと考えていたんですよという話をしたんです。

 中西 それで2回ほど演出したんですよね。

 山崎 僕の悪い芝居の公演とKIKIKIKIKIKIの委託公演(ごまのはえ作)の2度。

 中西 演出して見てどうでしたか? 本人の前ですが(笑い)

 山崎 いや、素敵な人でした(一同笑い)。

 杉原 本当に? 

 きた 結構いいよ、私使うと結構いいよ。

 杉原 従順なの?

 きた 従順かどうかは分からないけれど。

 山崎 従順じゃあないなあ。外部の人を呼んだという感覚でもないし、ダンスの人を呼んだという感覚でもないですが、でも面白いですね、基本的には普通の役者さんよりも自分でカンパニーを持っている人と一緒にやるというのは。楽しかったです。

 中西 きたまりと杉原さんは木ノ下歌舞伎*3で競作してますよね。

 杉原(きた) そうだ。(そうです)

 中西 その時は杉原さんが美術でしたっけ?

 杉原 そうです。俺が美術をやりました。

 きた わはははは。

 中西 その時は美術だけだったのでそんなにはかかわってないのですよね。

 きた 稽古に何回か来て、恐ろしい美術を出してきて、こんなんじゃ踊れるか、という。

 山崎 めちゃ苦い顔してましたもんねえ。この話題が出た時。何があったのか? 

 杉原 基本、バトってました。

 中西 あの時はきたまりを招こうというのは木ノ下裕一だったんですね。

 杉原 木ノ下歌舞伎は企画が僕と木ノ下君の2人でやっているのですが、木ノ下君が「きたまりで踊りがやりたい」と言って、さらに「2本立てでやりたい、美術は同じ人がいい」ということで僕がきたまりの美術もやることになった。全体の監修も木ノ下君がやっていたので、自分のをどうしようというのに専念していてあまりお互いの作品がどうこうというのはなかった。

 中西 山崎さんと杉原さんはこれまであまり接点がなかったと聞いたのですが、今度初めて杉原さんの企画に山崎さんの劇団(悪い芝居)が参加することになった。

 杉原・山崎 本当になかったです。

 杉原 話したりするぐらい。

 山崎 情報誌「Lマガジン」が以前やった対談で話したぐらいかな。

 杉原 でも舞台は2006年に初めて見たから、けっこう以前から見てます。最初に見たのはアトリエ劇研でやった「岩乙女!」だったかな。

 山崎 その時は顔を合わせてはいないのだけれど、その後は同世代で同じ京都でやってるということでは意識もあって、顔を合わせれば挨拶する仲ではあった。

 中西 今回の企画では東京勢を中心にしたラインアップのなかでただ1つ地元勢として悪い芝居を選んだわけですが。

 杉原 最初は今年は東京勢だけでやるかという風にも思ったんだけれど、やはり地元が全然ないのはなあとも思った。それでどこにしようかという時には一番最初に思いついたのはそれじゃ悪い芝居にお願いしようということでした。

*1:「団欒シューハリー」

*2:アートシアターdB神戸

*3:「道成寺/三番叟」

Tags:,
Posted in Vol.20 | Comments Closed

 

2014-06-23
『ぼく』は舞台のプロレスだ|KIKIKIKIKIKI『ぼく』

KIKIKIKIKIKI『ぼく』(6月11日、12日@アイホール)

撮影:阿部綾子

撮影:阿部綾子

 KIKIKIKIKIKI「ぼく」は白い正方形のリングのような舞台を客席が4方に囲む舞台設定。ここに7人の男たちが入れ替わり立ち代わり登場して、それぞれが個人技を繰り広げる遊び場、あるいは闘技場のような空間設定を演出・振付を手掛けるきたまりは用意した。

 途中でセリフに呼応した動き(振付)を設定した場面もあるが、最初の「あいさつ」からはじまって、「自己紹介」「子供の時になりたかったもの」など登場する役者たちは誰かの役を演じるというのではなく、「ぼく=自分」のままで舞台に上がり、自分の言葉を発していく。

 注目すべきことは出演者はいずれも俳優、ダンサーであり、そのうち何人かは自ら集団を率いたり、作・演出、振付も担当するなど舞台に対する計算ができることだ。これで一見自分として舞台に上がり「素」の自分を出すようなドキュメンタリー演劇の体裁は装っていても実態はまったく違うものになる。

 出演者は皆「ぼく」として登場し、自分のことを話すが、そこには明らかに自分をどのように演出して演技しようかという計算が感じられる。しかもそれぞれ別々の劇団(カンパニー、個人も)から選ばれた7人だけにそこには対抗意識もあり、それゆえそこでは演技というフィールドを通じてのバトルが展開され、その「場」におけるそれぞれの個人技が最大の見せ場なのである。

 ダンスではヒップホップ(ストリート系)のダンスにおけるバトルなどがその代表的な例だが、コンテンポラリーダンスでも複数のダンサーが即興で次々と登場して、魅力を争うような形式の公演は珍しくないが、演劇においてはその手の即興というのは珍しい。それはダンスの動きや楽器の演奏ほどセリフの演技には自由度がないからだ。

 「ぼく」が面白いのは即興的な要素を含むといっても完全に何でもやっていいというわけではなくて、それがバトルになりえるようなルールがおそらく場面ごとに設定されているところだ。冒頭の「あいさつ」の場面でいえばそれぞれが四方の客席に向けて、お辞儀をしてまわるという約束事があり、その仕方はおそらく稽古場で出してきたもののなかで、演出家によって選ばれた(あるいは本人が選んだ)ものを順番にやっていくということをした後、次の「自己紹介」で自分が「何年生まれでどこの出身である」などということを述べていくのだが、2日間の公演を続けて見たところ、ここは最初の場面よりは裁量に任された部分が多いようで、大体の内容や順番は決まっていても登場の順は交代するし、話す内容もセリフのように同じではない。

 ここにそれぞれの役者の駆け引きが成立するわけで、何度も繰り返されるなかで自ずとそれぞれの得意、不得意によって役割分担が決まってくる半面、それをあえて破るようなしかけを誰がどこで繰り出すかのか、それぞれの個性とともに虚々実々の駆け引きが面白い。これはやはり舞台版プロレスなのだと思った。

中西 理(なかにし・おさむ/演劇舞踊批評)

 

2014-06-23
男には見えない男子のセカイ|KIKIKIKIKIKI『ぼく』

KIKIKIKIKIKI『ぼく』(6月11日@アイホール)

撮影:阿部綾子

撮影:阿部綾子


 週刊誌をペラペラとめくると、必ずといっていいほどグラビアアイドルがきわどい水着姿で笑顔を振りまいている。男の欲望の鏡となって彼女たちは微笑む。消費的な女性イメージ。男たちの視線を受け止める商品は僕たちの身の回りにあふれている。だが、その逆はどうなっているのか、男である筆者はその内実をあまり知らない。一体「男」のイメージはどのように消費されているのだろう?

 KIKIKIKIKIKIは女性三人のカンパニー。きたまりを中心として決して美しい身体ではないダンサーが肉体をさらけ出して踊る。背が小さいきたまりをはじめ、背の高い野渕杏子にぽっちゃりとした小太りの花本ゆか・・・彼女らはいわゆる「男性が欲望し、消費する女性像」からはかけ離れているがゆえに、艶めかしい「女」の存在感を醸しだす。そんなKIKIKIKIKIKIを率いるきたまりが今回取り組んだのは男のみ7人の俳優・ダンサーに振りつける作品、その名もズバリ『ぼく』である。

 四角形の舞台を囲んで観客は座る。舞台上にはミラーボールがつられ、ダンスホールのようなイメージ。対面式の舞台でないことも相まって、どことなく自由な雰囲気が漂う。開演とともにおもむろに男達が入ってきて、普通に自己紹介をはじめ、即興的に一発ネタをやったりコントを展開したりしていく・・・これだけ見ると、ただ単に男達が遊んでいるようにしか見えず、エチュードは稽古場でやってくれという思いが湧いてくる。多分、ワークショップの過程で作られていったのであろう舞台展開に、だからなんなんだよという感触をいだいていたのだが・・・私の中でこの気持が一気に反転したのが「ぼく、かっこつけます」と言いながら一人ひとりがまさにかっこつける大喜利的展開を見せる場面。

 なんとなしに客席を見回すと何か女性たちがニヤニヤしている。これはどうしたことだろうと考えると、ああ確かに「ぼくかっこつけます」という男の子的馬鹿っぽさは女性がのぞきみたいと欲望する男子のセカイなのだ。いまこの瞬間、女性の目には男性(私)の目に映る身体とは全く異なる何かが見えているのである。

 ここで、私は梅佳代(うめかよ)の『男子』という写真集を思い出さずにはいられなかった。『男子』はその名のとおり、誰にでもある「男子」時代を女性独特といっていい視点で切り抜いた写真集である。女子のセカイが男子からはうかがい知れないように、男子の世界もまた女子からはうかがい知れない秘密があることを、この写真集は教えてくれる。

『ぼく』が同じ主題をめぐって動いていることは疑い得ないだろう。実際、その後の展開で最終的に全員が服を脱ぎだし観客は男=男子の裸を堪能(消費)するのであり、そこで私たちは私たちの目がいかにセクシャリティの制度によって犯されているのかを思い知るのである。

男達には見えない「男子のセカイ」を、女性たちはのぞき見る。観客は身体を見ているようでいて、実はセクシャリティの制度を見ているのであり、7人のパフォーマーがきたまり(女性)の目にいかに応えたかという、つまりは(あのグラビアアイドルのほほえみのように)女性の欲望の鏡となった男達がいかに消費されたかを見るのである。

 しかし、結局『ぼく』は単に女性が欲望する男のイメージを消費しているに過ぎないとも言えてしまう。きたまり=女性に埋め込まれた視線の制度を追認するのではなく、いかに揺さぶるのかが問われているように思う。

高田 ひとし(たかだ・ひとし/演出家/演劇フリーペーパー「とまる。」編集長)

 

2014-06-23
16年目の贖罪-『ピラカタ・ノート』考-|ニットキャップシアター『ピラカタ・ノート』

ニットキャップシアター『ピラカタ・ノート』(4月9日@ザ・スズナリ)

2011年4月京都公演(会場:アトリエ劇研)より 撮影:竹崎博

2011年4月京都公演(会場:アトリエ劇研)より 撮影:竹崎博

 舞台はまるで、おもちゃのまちのようだ。ワイヤーで吊るされた雲、ビル群を模した箱馬、その周りをぐるりと囲んで走るプラレール。そんな小さなまちピラカタのニュータウンで繰り広げられるさまざまな物語は、ままごと遊びのようなチープさを帯びる一方で、そこに住む人々にとっては彼らなりの重みを持った日常でもある。一見すれば、これはありきたりなニュータウンの風景で、だらだらと続く日々を単に眺めている私たちは、少し退屈ささえ覚える。

 ピラカタとは、大阪に実在する街「枚方(ひらかた)市」のことである。この「ヒラカタ」に半濁音を付けこの街の歴史性をパロディにしたのが 「ピラカタ」だ。『古事記』をもとにした国造りの物語がピラカタのニュータウン形成のそれに重なり、またそのニュータウンに住む夫婦、加藤睦夫、妙子の飼っている魚の水槽が小さなピラカタのまちとなる。この三重の入れ子構造の中でピラカタは描かれ、ごまのはえ氏が育ったという実在 の「枚方」から少しずつズレが生まれる。高度成長期に開発された歴史のないニュータウンに、ピラカタ古事記とも言える歴史を与え、このまちに 住む人々の物語を展開していく。それによって、「ピラカタ」という気の抜けた名前のこのまちがリアリティを帯びていった。

 障害児、大和タケルとそのやもめの父、武雄。古代魚を飼育する不妊症の加藤夫婦。地主の孫であるために団地の子供たちに馴染めない少年。そして、夫婦の水槽の中につくられたもう一つのピラカタに一人生きるサカナと彼女を訪ねてくるコートの男。一つ一つの物語は決して軽くはなく、 それぞれが抱えている日常は、相応に生き難いものだ。そしてこの作品は、タケルが近所の子供にいじめられ昏睡状態に陥った日から始まる。1994年12月17日、それは阪神淡路大震災のちょうどひと月前の出来事である。

 舞台上でこの日付が語られた瞬間から、この作品が進む方向はピラカタのニュータウン創世記ではなく、震災の日へのカウントダウンとなる。しかし当然ながら、ピラカタの人々は誰ひとり、あの地震が起こることを想像だにしない。生き辛く終わりのない日々はただただ続き、それぞれの状況が劇的に壊れることがあるなど思いもよらないことだ。眠り続けるタケルは夢の中へ死んだ母を探す旅へ出る。加藤夫婦はなりゆきで貰いうけた 古代魚の水槽に小さなピラカタのまちをつくる。少年は人形を神に見立て、自身の想像の世界にひたる。この日常を打破するきっかけのないまま、 カウントダウンはじわじわと進んでいく。

 私たちが3月11日を予期することが出来なかったように、1995年1月17日も突然にやってくる。その日、団地に住む高校生、沢井かづえがダンプカーに轢かれ事故死する。しかし彼女は心臓が止まり、顔も体もぐちゃぐちゃに崩れながらも起き上がり、団地を徘徊する。古代魚のえさを買いに行く途中だった睦夫は彼女とすれ違うが、その姿を見て見ぬふりをした。次第に野次馬の人だかりができ、映画の撮影じゃないかと見物する者がいて、それでも誰も助けを呼ばない。少年の「救急車!」という叫びが聞こえるまで誰もその場を動かない。ようやく救急車がやってきたときには、すでにかづえは手遅れの状態だった。団地の隣人との距離と、大阪と神戸の距離が1.17の日付を軸にアナロジーとして描かれる。彼女こそまさに神戸の姿であり、それを取り囲む人々は、あの震災のときの神戸をとりまく大阪の姿ではなかったか。そして、彼女を「見て見ぬふりした」睦夫の態度は、あの時枚方にいたごまのはえ氏の態度だったのだ。
 団地の隣人との距離、1.17の大阪と神戸の距離は、まさしく3.11の東京と東北との距離だ。煙の燻ぶる瓦礫の山と、津波によって消し去られたまちは、被災地の周縁にあって震災という経験をうっすらと共有しながらも、日常が途切れることなく続いていたピラカタのまちとのコントラストを生む。少し頑張れば、車で行ける場所。大阪も東京も、そして枚方もそれなりに揺れて、それなりに被災者だ。それでも、人々は余震に慣れ、被災地の光景を見慣れ、以前と変わらぬ生活に舞い戻っていく。

 『ピラカタ・ノート』はごまのはえ氏の16年目の贖罪だ。あの時、枚方にいたことに、被災地を見て見ぬふりをしたことに、そして1.17を忘れかけていたことに対しての償いのように私には思える。氏は大阪と神戸の距離、温度差、そして自身の立ち位置に愚直なまでに正直だった。その正直さは、ピラカタの人々のさまざまな日常を饒舌に物語る一方で、かづえの何物をも物語らない。彼女の物語だけが1月17日で終わってしまうからだ。いや、始まりさえしないのだ。そしてごまのはえ氏は、消えてしまった彼女の物語を作家としての想像力で生み出すことをストイックなまでに避け、ただ交通事故を描写するだけに留めている。そういう方法でしか、氏には神戸が描けなかったのだ。その態度こそ、氏の贖罪のかたちなのだろう。16年たった今、被災地は彼にどのように応えるのか。私はきっと、彼らが抱くのは憤りではなく、赦しであると思う。
 ラストシーン、団地の部屋の明かりが灯っていく。それぞれの部屋に、そこに住む人々の生活が、物語がある。1月17日のあとも、これらの物語はずっと続いていくのだ。ピラカタは結局、何も変わってはいない。少しずつ明るくなるまちの風景は、まるで計画停電が終わり、自粛ムードの落ち着いた今の東京のようだ。東京も結局、何も変わっていないのかもしれない。だからこそ、東京は16年後、被災地に対してどんな物語が書けるのか、私はそれが見てみたい。日常を取り戻すという至極単純な生き方が、避けられない原罪となるポスト3.11の時代に、私たちはどのように被災地に向きあっていくべきなのか、ただごまのはえ氏のように愚直にあらざるを得ないのか。大きな問題提起を静かに孕んだ作品だった。

伊藤 寧美(いとう・なび/国際基督教大学教養学部学生)

 

2014-06-23
麗しの島での人類学者の格闘|劇団大阪『フォルモサ!』

劇団大阪『フォルモサ!』(6月24日7時、A/7月1日7時、B@谷町劇場)

forumosa-chirashi
 創立40周年を迎えた劇団大阪が、記念公演のための上演戯曲を募集、その入選作品が『フォルモサ!』である。「イラ・フォルモサ!」とはポルトガル語で「麗しの島」を意味し、16世紀にポルトガル船の航海士が台湾を見たときに、こう叫んだそうだ。日清戦争後、清国から割譲された台湾を統治するために1895年に日本の官庁、台湾総督府が設置された。舞台は総督府時代初期の台湾で活動し、苦悩するひとりの人類学者と妻の物語である。

 日本と台湾の関係を描いた作品は珍しい。作者は新人の石原燃。パンフレットで女性であることを知った。確かに女性の視点から全編描かれており、主人公は人類学者というよりもその妻なのである。人類学者、百木太郎のモデルは、台湾総督府の嘱託として先住民の研究をした森丑之助である。森は先住民と日本人の架け橋となるべく奮闘したが、1926年に日本への帰国途上、船の甲板から飛び降り自殺を遂げている。

 円形の窓のある部屋。明治時代に取り入れられた洋風建築のモダニズムを思わせる。上手には大きな机があり、ここで百木が調査資料の整理や研究をしている。台湾総督府理蕃(りばん)本署調査課の部屋で、上手奥の扉の向こうに課長である鶴丸の部屋が続いている。理蕃政策とは、蕃族と呼ばれた台湾先住民に対する大日本帝国軍部による強制的な民族同化政策を意味し、窓や、下手扉の向こうから抗日蜂起の声が時として聞こえてくる。

 舞台は百木の妻、アイの回想で始まる。大正11年、東京の実家で、アイは木箱を開けて亡くなった夫のアルバムや研究ノートを整理する。アイは手帳のページをめくり、読み始める。明治34年、船で神戸を出帆して4日目に島が見え、夫、百木が「イラ・フォルモサ!」と叫んだ様子が言葉で示される。百木は「美しい山々に住まう未開の人たちとの出会い」が楽しみなのだ。

 この芝居は枠構造をなしており、最終景もアイに送られた手紙を読むところで終わっている。アイは過去を回想する語り手として登場し、やがて現在を演じる劇平面へと降りていく。この構造自体は新しいものではないが、台湾に到着以降の森尾教授との調査旅行の様子などが手際よく語られており、状況設定が観客に簡潔に示される。作品はアイを中心に展開していく。外から聞こえる桃太郎の歌は子どもの声から討伐隊の声に変わる。当時、民間で流布した「桃太郎(日本)の鬼(敵国)退治」がイメージされる。

 上演はAチームとBチームの2チームに分かれ、すべての役が違ったキャストで演じられるため、まったく上演の印象が変わっておもしろい。A,B順に俳優名を記すと、百木太郎は上田啓輔/熊谷志朗、アイは名取由美子/小石久美子が演じている。上田は百木をニヒルで反骨精神に富んだ庶民研究者として演じており、好演だ。硬さは折れやすさにもつながり、上演では調査課の自分の部屋の窓から飛び降り自殺をする。

 百木家には二人の子どもがいる。15歳になる知的障害者の夏夫(山根徹/竹中裕紀)と養女として迎えたタイヤル族の女性ハナコ(南澤あつ子/吉本藍子)だ。百木の広い人間愛が示され、蕃族の討伐に反対する百木の姿勢が貫かれている。その意味でハナコの形象は重要な意味を持つ。ハナコに対して「お母様だなんて呼ばないで…蕃人なんて子どもと思って育てられるわけがない」と叫ぶアイとの間に強いコントラストを生むからだ。

 先住民の土地を侵略し、先住民を帰順させようとする総督府に対して、反対し続ける百木だが、妻アイの理解は得られない。アイは百木が求める、「夫の研究に対する理解」も、「自立した女性としての歩み」も、「毒婦になること」も、何一つ満たすことができない。寂しさから測量技師として赴任してきた宮田(市村友和/岡村宏懇)へのつかの間の愛に走る。市村が純粋でどこか暗い宮田を演じ、白黒映画の世界を髣髴とさせたのに対し、岡村が明るく、生き抜く強さを感じさせたのも印象的だった。初日に市村が、愛の告白の場面でハンカチを忘れたのはちょっとしたハプニングだったが。

 違和感があったのは周りの人たちがすべて善人であったこと(善人として演じられていたこと)だった。課長の鶴丸(宮村信吾/清原正次)や、妻で愛国婦人会支部長の貴子(夏原幸子/津田ひろ子)、東京帝国大学教授の森尾(斉藤誠/神津晴朗)、巡査の中島(高尾顕/南勝)などはベテラン俳優がそれぞれ力量を発揮し、見事に演じているのだが、彼らからは大日本帝国の軍国主義のかけらも感じられなかった。描き出される世界は調和に満ちたものであり、矛盾や葛藤はどこかに消えてしまっている。百木が自殺し、巡査の中島が抗日蜂起で殺されているにも関わらずだ。作品自体が持つ弱さを演出の堀江ひろゆきが十分にカバーできなかったことも惜しまれる。

「朝鮮民族の独立」や「東洋圏の平和」を掲げて戦われた日清戦争も、その後の数々の戦争も結局は「自国(日本)の権益の拡大」のための戦争であったことは歴史が検証している。今でも反日感情が強い韓国に対して、親日の多い台湾の状況をとらえて、朝鮮総督府に対して台湾総督府の政策がうまくいき、民族同化に成功したとは、単純に誰も思わないだろう。帰順式の招待状をアイに送る宮田の手紙で、宮田は討伐の終結をアイとともに喜びたいと言い、百木の功績が評価されるようになったと伝える。「今後蕃人たちは、皇民として迎え入れられ、『高砂族』と名前を変えます。彼らの戦闘能力も我ら大日本帝国の為に活かされることと存じます。…」彼の言葉がアイロニカルに響き、批判となって返ってくることを望む。  

市川 明(いちかわ あきら。大阪大学教授/ドイツ演劇)

 

2014-06-23
宝塚音楽学校96期裁判を考える-『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判』-

seto

 2009年11月5日、新聞各紙は「元生徒、宝塚音楽学校を提訴、『ウソの告げ口で退学』」(朝日新聞)などの見出しで、宝塚音楽学校96期元生徒が退学取消裁判を起こしたことを報じた。私もこの報道で初めて裁判のことを知った。いじめという語句と共に、元生徒が二回仮処分裁判を起こしいずれも勝訴した、とあるのが私の注意を引いた。二回負けるのは、音校側に問題があったからではないか。

 私の疑問は、約一週間後に音校がHPに発表した「当校元生徒からの提訴に関するマスコミ報道について」と題する文書で確信に変わった。私も教師の端くれであるが、文書からは生徒を退学させざるを得なかった教育者の痛みがまったく感じられなかったからである。それまで宝塚とのつきあいは数年に一回舞台を観る程度のごく浅いものであったが、これ以後私は関連情報に注意し、裁判記録閲覧のため神戸地裁にも通った。調べれば調べるほど、狭山裁判などと共通する冤罪事件、人権問題の要素を強く感じた。

 昨年11月出版の山下教介『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判−乙女の花園は今−』(鹿砦社、1143円+税、以下本書と略記)は、現在のところこの裁判に関する唯一の書籍である。

 本書や関連資料に基づき、裁判の経過を紹介しておこう。2008年4月原告が音校入学後、さまざまないじめを受けるようになった。一説には、原告の美貌に対する同期生の嫉妬という、ある意味ではたわいもないことが原因という。いじめはエスカレートし、9月には同期生らにコンビニで万引きしたと学校側に報告され、同校は11月、これと他の理由をあわせ原告を退学処分にした。原告は事実誤認だと仮処分を申し立て、神戸地裁は二度にわたって生徒の主張を認める仮処分を出したが、音校は復学を認めなかった。そのため、原告は正式裁判を起こしたのである。音校は13名の96期生を音校側証人として出廷させ、裁判は広く宝塚ファンの注目を集めた。音校は、原告は集団生活に対する協調性を欠き、常習的盗癖があったと主張したが、原告の中・高校時代の担任教師はそろって原告はクラスのリーダー的存在で、盗癖などまったくなかったことを文書証言した。

 その過程で、ある96期生のブログが暴露され、そこに掲載された音校生活の写真のため、その生徒が自主退学に追い込まれることも起きた。制服であぐらをかくなどの写真が、宝塚のイメージと大きくかけ離れていたとされたのである。この生徒は一時はいじめの主犯と誤解されたが、裁判の過程で原告に謝り、音校の主張を否定する文書証言をおこなった。結局2010年7月に裁判所の斡旋で音校は退学処分を撤回し、原告に卒業証書を発行し、原告も宝塚歌劇団に入団を求めないという調停が成立し、裁判は決着した。調停内容は音校の要請で一部非公開だが、非公開部分には原告への謝罪などがあることが容易に想像できる。実質的に原告勝訴であった。

 裁判の中で、音校の対応は極めて不適切なものであることが示された。音校は六つの退学処分理由をあげたが、その一つの「万引き」をみると、コンビニも警察も万引きの事実はないと認識していること、コンビニの防犯ビデオにもその場面は映っていないこと、その現場を見たと報告した同期生も、実は決定的な場面は見ておらずそれまでの状況−自主退学生徒の表現を使えば集団ヒステリー状態−からそう思い込んだにすぎないことが、裁判で明らかになった。しかし、音校はもはや聞く耳を持たず原告が万引きをしたと断定したのである。その他の五つについても、「万引き」と同様にその事実が存在しないか軽微なミスで、退学処分にはあたらないものであった。これらはすでに仮処分段階で裁判所から指摘されていたが、音校はかたくなに誤りを認めなかったのである。音校は歌劇団員養成の特殊な学校だから一般的教育倫理を当てはめることはできないという声もある。しかし興行会社−企業の危機管理としてみても、音校の措置は落第点であろう。

 このような音校(実質的に宝塚歌劇団)の姿勢は多くのファンを失望させ、ファンの宝塚離れを加速させた。証人を引き受けた生徒が入団後不可解な抜擢を受けたことも、それに拍車をかけた。この裁判は間違いなく、あれが宝塚の転換点だったと後世から評されるであろう。現時点で唯一の関係書籍として本書の意味は大きい。

 本書からは“暴露本”の要素も感じられるが、商業出版を成立させるためにはやむをえないのかもしれない。私が集めた資料と照らしても、事件の経過を基本的にはその通りに伝えている。だが、問題のある記述も多い。

 たとえば、自主退学生徒の文書証言を同書は「学校側は・・強く反発したため、結局は証拠採用とはならなかった」(p107)と書くが、この証言は甲オ15号証と証言番号がついて証拠採用され、神戸地裁に行けば今でも読むことができる。全体として原告に好意的な内容だが、一部に批判めいた記述もある。“バランス感覚”かもしれぬが、原告側には異議があるかもしれない。随所に「女の世界独特の妬み」(p65)など「女」を強調した記述があるのも気になる。このような事件は、男性の集団でも起こりうることである。この裁判と宝塚歌劇の将来など、裁判への大局的な考察が欠けていることにも不満が残る。

 裁判記録は五年たてば廃棄される。ブログ類はいつ無くなるかわからない。本書を今後音校96期裁判に関する唯一の文書資料としてはならないと、強く感じる。

瀬戸宏(せと・ひろし/摂南大学・中国現代演劇研究・演劇評論)

 

2014-06-23
演劇創造における「構え」|時間堂『廃墟』

時間堂『廃墟』(4月3日 シアターKASSAI マチネ)

©松本幸夫

©松本幸夫

 三好十郎の1948年の作品『廃墟』。この長大な懺悔劇とでも呼びうる戯曲に、真正面から対峙する集団の姿勢。この舞台の核であり魅力はそのことに尽きる。そして十分に互し、成果を挙げた(演出=黒澤世莉)。

 懺悔たる所以は、『浮標』(1940年)で「俺達は万葉人達の子孫だ」と記したように、ナショナリズムへ転向したと見られる三好の自己総括が反映されているからである。一人の作家として敗戦を受け止めようとする決死の思いが、台詞の一つひとつに重く込められている。

 大学教授を休職中の柴田欣一郎は、三好の立場を体現していると思しき人物。「愛国者」であるが故、勝ってほしいと思った戦争に日本は負けた。そのことについて彼は「国民一人ぶんの戦争責任が有る」と自らを裁く。日本民族としての矜持を持ち、再び日本が立ち上がるためには、一人一人が真摯に日本の誤りを分かち合い、反省すべきというわけである。闇市で手に入れた物資で生き、のうのうと何事もなかったように大学教授を続けることは無責任極まりない。愚鈍なまでに「真面目」な柴田を復職させようと、教え子・清水八郎が訪ねてくる場面から舞台は始まる。

 清水による説得は失敗に終わる。だが、衰弱の一途をたどる柴田に生きてもらうため、闇物資ではなく校庭で取れたジャガイモを清水は渡す。ところがそのジャガイモは、焼け落ちた柴田家の建築費を取り立てに来た棟梁の娘・お光に借金のかたに奪われる。

 遠縁の焼け残った一室を辛うじて借り、そこに8人がつましく生活をしている困窮。闇物資を手に入れようにも僅かな金銭ではどうにもならない現状。全員の根底に等しく認められるのは、身体に流れる「疼き」である。その持って行きようのない感覚が、立場を異にする思想を持った者同士に、観念と論理がない交ぜとなった議論へと向かわせる。長い台詞を一気呵成に放ち、それを受けた相手がまた膨大な台詞で説得しようと応酬、それに反応してまた第三者が噛み付く。戯曲に「(略)速射砲のように早く、かんだかになり、かつ、互いに他の人の言葉を中途でたち切ったり、同時に言い出して、ぶっつかり合ったりする。最後に至るまでに、それは益々はげしくなって行く」と記されているように、劇半ばから激しさが増してゆく。欣一郎が手斧を食卓に勢いよく突き立てて倒れ、暗闇の中で慟哭するまでの2時間30分。ノンストップで走り続ける作品は、非常に緊張感が漂う。

 戦争指導者と戦争犠牲者とを厳密に分け、日本が誤った道に再び進まないよう、プロレタリア勤労階級からの国体改変を推し進めようとする、マルキストの長男・誠。それに対するのは、先に記したように民族主義的な立場から、生きる者全てに責任があると考える父・柴田欣一郎。そして両者の白熱した議論を根底から覆しにかかるのが、戦後派の現実主義的デカダンスの次男・欣二である。理想主義的革命、原罪主義、運命論的退廃。それぞれの論理が個々説得力を持って発せられる。だが、強靱な言葉が紡ぐ論理には、それだけでは十分に掬い上げることができない感情の澱が渦巻いている。観る者を圧倒するのは、両者が不可分となって表出する様にある。それを実現するためには、ただ情念に任せて言葉を発語すれば良いというものではない。それでは三好の重厚な言葉にはとても抗しきれない。言葉の論理を理解しようと努め、発語する技術をまずは要するはずだ。それはつまり、戯曲と真っ向から対峙し、格闘しようという覚悟を要するということである。それほどまでにこの戯曲は硬質なのだ。創作におけるしっかりとしたその「構え」で以って戯曲と拮抗した結果、台詞を巧に扱う箇所があったり負ける箇所が当然出てくるだろう。理性には還元でき得ない激情を台詞に乗せるためには、その格闘の一切を俎上に乗せるしかないのだ。それをこの集団は身体性で感受して創作に当たっていた。これは、演劇創造における重要な点である。

 演出面でも、居候人・せいと誠との淡いプロポーズのシーンには特別目を見張るものがある。ヒューズが飛んでしまい月明かりだけになった中、夫婦仲が冷え切っているにも関わらず煮え切らない態度を取り続けるせい。彼女に業を煮やし、内なる熱情を何とか押さえ込もうとしながら静かに詰問する誠。それ気付きながら、物見遊山に見物する欣二。内からこみ上げてくる感情を抑えた人物と、からかいついでに様子を窺う者が闇夜に点在する、非常に美しい場面だった。緊張感を基点として静/動を巧みに設える演出である。いかに作品と渡り合うか、水平軸で戯曲を捉えた結果、劇団自体がひとつの貌を獲得することを可能にさせた。それは、戯曲をいかに上演するかという、最終的なゴールに奉仕する上下関係が生み出す没個性とは根本的に異なるものだ。

 そして真摯に戯曲に向き合い、「揺らぎ」や「疼き」を身体感覚として体現しようとする姿勢は、地震と原発事故により未曾有の非常事態を迎えた3.11以降の状況にこそ、相応しいものである。今、どのように生き、どのような選択をするのか、一人一人が辛い行動を強いられている。苛烈さだけでなく、また頭でっかちな理論だけでもない、常にニュートラルな視点から物事に対峙すること。そのことによって、対象物と自らの生との化学反応をつぶさに窺うこと。そこから次なる一歩を踏み出そうという意思は、人間の生き方の問題として今後ますます要請されるだろう。この作品を通し、創作における真摯な「構え」の重要性に、改めて気付かされた。

藤原央登(ふじわら・ひさと/劇評ブログ『現在形の批評』主宰・[第三次]『シアターアーツ』編集部)

 

2014-04-30
こちら側の文楽 ー互いに歩み寄るためにはー

 2月の劇団太陽族公演『大阪マクベス』の劇中、「橋桁知事」の圧政に抗議する文化人達の掲げるプラカードに「文楽は大阪の宝」と書かれたものがあった。文楽は現代演劇と同様関西で不当に扱われている仲間とみなされているのかと、認識を新たにさせられたものだ。実際橋下知事は初めて文楽を観て「こんなものはこのままでは滅びる」といった意味の発言をしている。
hoshino(C)国立文楽劇場

© 国立文楽劇場

 
 昨年から国立文楽劇場は「むりやり堺筋線演劇祭」に参加している。5つの小劇場でポイントを溜めれば、一等席4600円の文楽(それでも他の伝統芸能や東京発の中劇場以上の現代演劇に比べれば、ずっと安い)を無料で観ることが出来るのだ。では現在の文楽に、初心者が近付くことは可能なのか。

 2008年に関西に戻って以来、文楽劇場の公演にはほぼ毎回足を運んでいる。よく言われる通り地元大阪での観客動員は、やや思わしくないようだ。文楽の主軸は誰が見ても分かり易い人形でなく義太夫節なのだが、今ではテンポが遅く難解な印象を与えていることが、大きな要因の一つなのだろう(但し字幕の設置によって、以前よりは距離が縮まっている筈だが)。通し上演が多いため、夏の公演を除けば昼夜どちらかの部だけでも4~5時間かかることもあるだろう(勿論この場合、夜の部を仕事帰りに観ることは不可能)。そして歌舞伎と同じ演目(実は大抵の場合、初演は文楽が先)を演じながら、役者中心の歌舞伎とは違って、より封建時代のドラマの理不尽さが際立ってしまうこともあるかもしれない。だが一番大きな理由は、「名人」はいても他の伝統芸能とは違って、マスコミで売れる「スター」が存在しないことではないだろうか。

 最近文楽の魅力を堪能出来たのは、6月12日の「第28回文楽鑑賞教室」の『仮名手本忠臣蔵』(原作の五・六段目)だった。解説付で上演時間2時間半というのはやはり手頃だが、今回は例年にも増して内容が充実していたのだ。「早野勘平腹切の段」を文楽で観たのは十数年ぶりだったのだが、歌舞伎とは違って言葉が切り詰められドライでテンポが速く、この場合はドラマ性の重視が骨太な味わいとして伝わって来た。侍失格の汚名を返上しようとして追い詰められていく青年や一日で家族全てを失う老婆の悲劇が迫って来たのだ。桐竹勘十郎(勘平)以下人形の奮闘もさることながら、竹本津駒大夫の力が大きい。力強く言葉が明快なこの人の場合、義太夫節の魅力は現代でも有効と思えて来る。

 「鑑賞教室」は月1~2回社会人向きのものも行われているが、若手中心のより小規模な初心者向けの公演など増やせないものか。スターの不在は、同時に親しみ易さでもある。そして作り手が歩み寄って来れば、「大阪の宝」に近付く人々も増えると信じたい。

星野明彦(ほしの・あきひこ/演劇批評)